古典「マネーボール」の正しい読み方

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05 /23 2015
今からちょうど3年前の2012年、SEAのイチローがムネリンをともなって凱旋し開幕戦を東京ドームで行った際のことです。対OAKということで、解説者に長谷川がマネーボールに詳しいというキャッチで呼ばれていました。

長谷川は自信満々で「OAKは盗塁や犠打などの小細工はしない」と断言。その話のそばから、OAKが次々と盗塁やエンドランを仕掛ける姿を目の当たりにして、「メルビンになってから野球を変えたんですかね」と長谷川はボソッと言っていました。


多少なりともOAKに関心のあった人ならOAKが盗塁を増やしていたことは知っていましたし、知恵袋でも「なぜ、最近OAKは盗塁をするようになったのですか?マネーボールでは御法度ではなかったのでしょうか?」という質問がよく掲載されていました。


「マネーボール」ではよく盗塁成功率は75パーセントはないと走る価値はないという話を聞いたことはないでしょうか。つまり盗塁の損益分岐点は75パーセントでありそれ以下の盗塁成功率ではベネフィットよりもロスの方が多くなる。だから 盗塁という戦術は成功率が確保されない限り価値はないという結論が出てくるわけですが、この75パーセントという数字は、マグワイヤとソーサが本塁打競争で全米を熱狂の渦で巻きこんだ翌年、2000年のステロイドエラピークの年の得点テーブルから得られたものです。過去半世紀を見ても2000年が最も一試合当たりの得点が高い年でした。



(どの年がステロイドエラのピークかと問われたら、2000という切りのいい数字を覚えておくのもいいかもしれません。)



ところで過去10年、だいたいリーグ平均の盗塁成功率は70~72パーセントですから、損益分岐点が75パーセントである2000年という時代において、盗塁という戦術はリスキーと結論されます。ところがスモール全盛の1987年の損益分岐点を見ると65パーセントまで下がることが確認されています。70パーセントの成功率もあれば盗塁は十分に仕掛ける値する戦術であった時代ということですね。


例えば、2000年ヤンキーススタジアムのような狭い球場で、リスクを犯してまでせっかく盗塁を決めた。しかし次のステロイドボーイのパワーヒッターがライトスタンドへ軽々とHRを叩き込んだ。盗塁をしなくても2点、盗塁を成功させても2点。成果に変わりはありません。長打が簡単に数多く出るようなビックボールの時代では 盗塁はリスクを犯してまで遂行する価値はあまりないことは直感的にもわかるはずです。その数字的な根拠をセイバーメトリクスでは示しています。


もう少し追加で説明すると、仮に損益分岐点が75パーセントであった2000年であっても、対戦投手がマイナーレベルのERA6.00台後半の投手であったとします。試合状況はプレーボール直後です。ふつうに打てばガンガン得点が入るのに、盗塁するリスクを犯す必要はあるのだろうか?という話です。そうした投手に対して対峙している時の盗塁の損益分岐点は帰納的に考えれば下手をすれば80パーセントを越えるレベルになります。裏を返すと投手が絶対守護神マリアーノ・リベラのような通算被OPSが600を切ってくるような投手ですと、対戦する打者の能力が8番打者(メジャー平均OPS610前後)か9番打者(メジャー平均OPS530前後)になるようなものであり、シングルヒット1本が大変希少となり、故に盗塁の価値が上がり対リベラの際の損益分岐点は65パーセント程度までググッと下がる可能性があります。


75パーセントという数字を一人歩きさせてはなりません。その75パーセントという数字はあくまで2000年の平均的な打者と平均的な投手が対峙している際に、算出されたものであるということ。平均的な選手こそ、リーグの中では最大多数になるわけで概ねその75パーセントという数字を当てはめて考えることは正しいともいえます。しかしWPAなども勘案するとルースの呪いを破る一大転換点となったロバーツの「the steal」などはまさに 損益分岐点が大きく下がった状況でありました。WBCの東京ラウンドで鳥谷が9回二死から盗塁を決めて、井端のヒットがあり同点のシーンも全く同様です。統計的には盗塁をし掛ける絶好の場面という結論が出ます。



重要のポイントは、ビックか?スモールか?というその時代環境から、戦うステージがペナントかPOか、対戦投手の力量やイニング、得点差などの変数によって、セイバーメトリクス的には盗塁する価値というものは常に相対的に変動してゆくということです。一律に75パーセントなどではありません。

果たして解説の長谷川はそこまで理解していたのかどうか?


2000~2002年だったでしょうか、その3年をソートするとSB数リーグ最下位はOAKでした。著書「マネーボール」通りOAKは盗塁をほとんど仕掛けていません。しかし2010年近くになると一試合当たりのリーグ平均得点も1987年をも下回る状況となっており、リーグ平均の盗塁成功率に対して損益分岐点が下回っている時代に突入したためか、盗塁がリスキーな戦術からリターンをもたらす戦術へ変わったところを見計らって、ビーンは時代環境に対して戦略的に対応するべくSBを増やしました。


「たしかにOAKのSB数は表面上は大きく変わった。しかしそれはビーンが決して変心したということでもない。戦略的であるという意味ではビーンは何ひとつとして変わっていない。そのことを正しく洞察していかなくてはならない。」


冒頭に書いた知恵袋の質問にも4~5年近く前に私はそう回答をしました。経済新聞ばかり読んでいた長谷川は、OAKがSBを急増させている情報すら持たないばかりか、すっかり浦島太郎と化し、時代遅れのビックボール時代の論理を得意げにTVで振りかざしていたということになります。


セイバーメトリクスは単なる統計的な技術に過ぎず、時代環境や点差 試合状況などによってケースによってビックボールを肯定もし、ケースによってスモールボールも肯定する理論であるということに尽きます。

セイバーメトリクス=ビックボール

もしそう思い込んでいるとしたら それはセイバーメトリクスの理解不足以外の何物でもありません。確実に言えることはセイバーメトリクスは盗塁も犠打も単純に否定しているわけではありません。あるシーンでは否定もし、あるシーンでは肯定もします。


あの「マネーボール」という本の本質的な部分とは 二宮清純の下記の言葉に言い尽くされています。

「ビリー・ビーンが戦っているのはマネーでもなければヤンキースでもない。教典と化した”過去の知性”である。しかし最先端のセオリーもいつかは”過去の知性”と化す。そのことを誰よりもビリー・ビーンは知っている。」


「マネーボール」という本の表面的な内容は、すでに古典の領域に入っています。その古典の中にある本質的なエッセンスをいかに汲み取り、現代において生かすのか?それが大事になってくるような気がするのです。





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大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

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写真は古代ギリシャの神殿。