なぜ野村克也は大谷二刀流がメジャーで失敗に終わって欲しいのか 30チームに拡張されたメジャーのレベルはほんとうに下がったのか

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12 /01 2017
大谷二刀流の成功によって日本のプロ野球の歴史を大きく変えたと言っても過言ではない栗山監督への世間の高い評価が認めがたく、強烈な嫉妬も相俟って、野村克也はどうしてもメジャーで大谷二刀流が失敗に終わってほしいことが先日のインタビューでも透けて見えてきました。もしこのまま大谷二刀流がメジャーでも成功すれば、栗山監督への評価は日米の野球とベースボールの歴史を変えた人物ということになり、栗山監督へ向けられる更なる高い評価を野村克也は率直に認めることができないということなのでしょう。

大谷翔平自身でさえ、プロに入れば投手か打者かどちらか一本に絞らなくてはならないと思い込んでいたことが日本ハムの入団記者会見等でも明らかになっています。そこへ魔術師・三原脩を心服する栗山監督が、「誰も歩いたことのない道を歩む」ことを大谷が目標としているならば<二刀流>を現代に蘇らせるというアイデアがあるとプレゼンし、100%日本球界入りはないと断言していた大谷獲得への奇跡の大逆転勝利を収めることになります。

そして現在、大谷二刀流はMLB全体を揺るがすほどのインパクトを持ち、大谷翔平のポスティングは2017年ストーブリーグ最大の関心事となっています。

知性を売り物にする野村克也について、本物の知性があるのか、野村克也こそ反知性主義者の典型的な人物であると当ブログでは記事にしてきました。その記事の支持数は100や200を超えてしまっているわけですが、今回は張本や野村克也が言う我々の頃は16チームしかなかっためにメジャーのレベルが高かったという意見について反駁を試みます。

さてところで張本や野村の全盛期に入る1962年には、MLBでもエクスパンションが行われており16チームから20チームへと既に増えていました。当時のアメリカの人口がざっくり2億人弱です。そして現在の人口は3億超に突入しています。

1960年には2億から選ばれし20チームに所属するメジャーリーガーだったのが、現在では3億から選ばれし30チームに所属するメジャーリーガーということになります。母数の大きさに鑑みた時、必ずしもチームの数が増えたからレベルが落ちたという理屈にはなりません。

更に1962年当時と決定的に違うのは、ドジャースが1980年代に入って中南米の選手発掘を皮切りに、1990年代に入ってからは韓国や日本にも進出し、選手のマーケットが一気に国際化した点を見落としてはなりません。

メジャーリーガーの出身国人数です。

1962年 20チーム

アメリカ 692人 その他13か国  68名 (ドミニカ 9名 プエルトリコ13名 ベネズエエラ2名 他) 

2017年 30チーム

アメリカ 1055人 その他24か国  439名(ドミニカ 170名 プエルトリコ30名 ベネズエエラ112名 他 日本11)

1962年に比べてヒスパニック系が爆発的にシェアを伸ばしていることがわかります。

典型的なヒスパニックの名前 (思い当たるはずです。複数います)

ペーニャ
ロドリゲス
ゴンザレス
ロペス
フェルナンデス
マルティネス
ラミレス
サントス
オルティース
クルーズ
カブレラ
ソリアーノ
ゲレーロ
モリーナ
イズトュリス

複数はいないもののバティースタ、カノ、プホルスなどももちろんヒスパニックですが、例えばイヴァン・ロドリゲス、Aロッド、Kロッド。ロドリゲスだけでも3人メジャーを代表する選手がいます。彼ら抜きに近代のメジャーは語れません。こうしたヒスパニック系の選手たちが張本や野村が絶賛するウィリーメイズの頃はほとんどいませんでした。カブレラにしても、3冠王のミギーのみならず数多くのカブレラがMLBに在籍していることは指摘するまでもありません。

20チームの方が30チームよりも少ないために、だからそれだけ昔の方がエリートクラスの選手が集まっていたためにレベルが高いと考えるのは余りに浅はかなのであり、実に恣意的なモノの見方をしていると言わざる得ない。むしろ客観的に母数との対比で眺めた時、20チームであった昔よりも、母数は格段に増えており、ベースボールの国際化が一層の拍車がかかっているために、競争の原理が強く働くようになり、30チームに増えてもむしろレベルは上がっていると結論できるのです。

母数が変わらず20チームから30チームへ増えているならば、野村や張本の説にも一理はあったのですが、現実に母数は増えていることを見落としてはならない。

守備シフトにフライボール革命に進化の歩みが象徴されるように、野球文化を歴史的に眺めても クイックや投手分業制 エンドラン 100球制限など あらゆるものが システマティックに磨き上げられているはずです。技術も洗練され 練習方法から肉体や食事の管理 トレーニング方法かなどあらゆるものが総合的に進化していきます。セイバーメトリクスひとつ取っても日進月歩です。選手の体の大きさも昔よりも統計的には大きくなっています。4シームのの平均球速もここ10年でもはっきりと上がっています。グローブの開発等によって 内野の守備率なども大幅に向上をしています。投手も昔の球種としてはなかったバックドアだフロントドアだカットだと実に多彩になっています。

野茂や松井といった10年以上メジャーリーグに在籍していた選手たちが口を揃えて、自分たちがプレーしていた頃よりも現在の方が10年前よりもレベルが上がってきているとも証言しています。16チームから30チームへ・・・だからメジャーがレベルダウンしているという張本や野村の見せ掛けの論法に惑わされてはなりません。

日米野球の勝敗を見てください。

1934年 MLB選抜 16勝0敗 全日本
1951年 全米選抜 13勝2敗2分 全日本
1960年 SF    11勝4敗1分 全日本、巨人
2014年 MLB    3勝4敗  全日本

1934年委来日した際にはルースは一塁に日傘を差しながら守ったとか、時には寝っ転がりながら守備につくというエピソードも日米野球には残っています。それでもルースの頃はほぼ完勝でメジャー選抜は戦いを終えています。それだけ日本とアメリカではレベルに差があったわけです。張本や野村の1960年頃はまだ歯が立たなかったものの、全敗ということはなくなり、ここ10年における勝敗はいい勝負をしており、事実、2014年にはMLB選抜に勝ち越しを決めています。レギュラーシーズンでは勝ち目はないもの、短期決戦ではひっくり返す可能性あるところまで日米のレベル差が埋まってきたことを意味しています。

WBCでも日本が2回連続も優勝したわけですが、それは単に運だけではない。WBCではアメリカ代表は本気ではなかったなど見苦しい言い訳をしつつも、一方でデービットソンの疑惑の誤審を重ねるという醜態まで晒しています。

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にも示したように、この世界に時間が流れる限り、あらゆるものはライフサイクルの中を流転するものです。物事には必ず誕生があり、黎明期があり、やがて成長期が訪れ、いずれは成熟期へ移行する。この成熟期へ入ると進化できるスペースが必然的に狭くなるために、仮に日米ともに進化の歩みをしていても、成熟期に入った途端に進化は必ず鈍化するために、後から追いかける日本の野球から見ればMLBのベースボ―ルのレベル差が野村や張本の頃よりも相対的に差が縮まっていると見なすことが可能です。すなわち、メジャーのレベルが下がっているのではなく、あらゆるものがライフサイクルにある以上、その宿命として日米間のレベル差が経年で小さくなっていることが日米野球の勝敗でも明らかになっているということなのです。

張本が言う昔の日本のプロ野球の方が今よりもレベルが高かったということなど絶対にあり得ないように、野村が言うように現代のメジャーのレベルが下がっているということも絶対にありないことです。ちなみに張本や野村のようなモノの見方をノスタルジアバイアスと言います。昔はよかった 素晴らしかったという思い込みであり、残念ながら知性の欠如が成せる業であるとしか言いようがありません。

ではどうしてこのようなバイアスに張本や野村は嵌ってしまうのでしょうか。

「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」

ユーリウス・カエサル

結論

野村克也が栗山監督への嫉妬故に、未だに二刀流が失敗に終わってほしいという潜在的な願望を通して、今ある状況も眺めているならば、万一大谷二刀流がメジャーで成功した場合、自らのプライドを守るために上手に辻褄を整合させようとすれば、メジャーのレベルが下がったと結論すれば、栗山監督を絶賛しなくて済むことになる。

野村克也はカエサルの言葉を十分に噛みしめるべきではないのか。

野村克也という人物は非常に頭もいいし勉強家であることは言うまでもありません。ただこの件に限らず、どうしても固定概念やバイアスを排除しきれないのは否めない。例えば、弱者の戦略に拘るのもいいのですが、発想を転換させて、弱者を強者にして勝つという発想に野村は至りません。こうした自らは弱者でなければならないとするのも一種の野村的な固定観念であり、そうしたものに囚われず弱者の戦略も駆使するが、強者の戦略も状況によっては駆使できる融通無碍な態度を示したのが三原脩でした。

なぜ当ブログにおいて野村克也よりも三原脩の方を高く評価するかというと、カエサルの言葉を三原脩は自覚していることが自伝などを読んでいるとはっきり伝わってくるからです。三原脩、栗山英樹というラインは野球界においては極めて珍しいリベラルアーツの系譜にあり、この三原-栗山ラインは野球界においても、かなり特殊であると言えます。

リベラルアーツの系譜とは何か。固定概念やバイアスを排除できるだけの幅広い教養を持ち、リベラルアーツをベースボールを捉える際の重要な源泉としている極めて数少ないタイプであるということです。すなわち絶滅危惧種でもある<真の知将>に類型される監督たちであると言えます。

もしブログが閉鎖する前に機会があれば「なぜ栗山監督には固定概念がないのか」というタイトルでも記事を書いてみたいと思います。

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日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

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「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。