栗山嫌いの野村克也に本物の知性はあるのか?

未分類
05 /21 2015
野村の本を読むといろいろと教えられることが多いことは確かです。しかしながら、彼の本の特徴はとにかく客観を装いながらも自分のことを良く見られたいという欲求で終始しているために、自分に都合のよいバイアスに沿って物事を眺めるという最大の欠陥がある。

ヤクルト時代の野村本を読むと99パーセント監督でチームは決まるといい、ヤクルトが優勝したのは自分の力によるものであると暗に言っています。たしかに監督の力は非常に重要なファクターではあるが客観的にはそんなことは断じてあり得ません。それは後の野村のキャリアそのものがそれを図らずも証明してゆくことになります。もし野村克也のその言葉が真理であるならば、阪神時代も優勝していなければ、嘘ということなる。

万年最下位阪神時代の野村本を読むと、組織はTOPで決まると阪神のオーナーの姿勢を批判し、選手のやる気のなさを批判している。ヤクルト時代にはオーナーや選手にも恵まれていたことを告白しているに過ぎない。99パーセント発言はやはり間違っていたことをここでも証明している。もちろん、阪神以降の野村本では99パーセント発言一切出てきません。当然です。それは真理ではないのですから。


さらにもっとも呆れたのは、野村が栗山監督を嫌いのはよくわかるが、その批判の仕様です。ダルビッシュを欠いた日本ハム一年目で戦前 誰一人優勝を予想した解説者がいない中、(前任の梨田が唯一3位に予想はしていたが、このような身びいきともいうべき予想は有効なサンプルとはとてもみなせない)、というよりも梨田を除く他すべての解説者がBクラスを予想した中で、栗山監督は文字通り不可能を可能にするといった結果を出したわけです。

ダルと田中のチームにおける働きは、セイバーメトリクス的には同等か、ダルの方がやや上。楽天から田中が出て行っても尚、優勝して見せたくらいの業績であったわけです。田中が抜けた翌年の楽天は最下位でした。

しかし偉業を成した栗山監督を認めるどころか、簡単に素人が優勝してもらっては優勝監督の価値が下がる、栗山監督が優勝したのは偶然、風に乗っただけに過ぎない、ヒルマン、梨田は野村自身のことをよく研究していたからその遺産によって栗山でも優勝できたのであり、栗山の力量によるものではないと言っています。さすがに呆れました。つまり言っていることは栗山監督の優勝さえも自分の影響によったものであると読めるものでした・・・、風が吹けばおけ屋が儲かる的な驚くべき詭弁。


<まとめ>


ヤクルト時代の優勝は自らの功績とし、阪神時代の失敗はオーナーや選手を痛烈に批判し責任を押しつけ。挙句の果てには、星野を推薦したのは自分であると、星野阪神の成功の要因を自らの推薦した眼力によるものとアピールし、好意を持っていない栗山監督の優勝をこともあろうに、風が運んでくれたもの、大きな意味で野村のノウハウのお蔭であるというもはや全くの頓珍漢な論理を展開。


つまり、ダルビッシュが抜けた日本ハムをもしあの時 梨田の後継として御本尊の野村克也が監督を引き受けていたら、無能な栗山監督で優勝できるなら名将野村克也であれば100パーセントの確率で日本ハムを優勝に導いていたという結論になる。しかしながら野村克也が仮に日本ハムの監督を引き受けていて優勝させることはできたのか 大いに疑問です、はっきり言えばチームカラーにも合わずまず無理だったのではないか。

野村克也は自分のことを過大に評価し、栗山監督を嫌いなのはいいが少々過小評価し過ぎてはいないだろうか。

フェアーな精神に著しく欠ける知性とは果たして本物なのだろうか。

次の記事へつづく三原チルドレン 栗山の二刀流を成功させたその信念


コメント

非公開コメント

大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。