イチローにとっての仰木マジック そして栗山マジックの正体に迫る

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09 /11 2016
無名でありまだ2軍に埋もれていた鈴木一朗の存在を一躍、世に大きく知らしめ、メジャーへ行くにあたって背中を押してくれたのはご存知、仰木監督であり、メジャー通算3000安打を打って過去を振り返った時、仰木監督こそがイチローにとって師以上の最も大きなウェートを占めた存在であったろうことは想像に難くありません。選手登録名を平凡な鈴木という姓ではなくカタカナ表記で<イチロー>として売り出した仰木マジックの手法も「目立ったキャッチフレーズを選手につけてマスコミを通じて大々的にプロデュースする」というプロ野球の原点とはファンを魅了することであるを知り抜いていた三原脩の教えに他なりませんでした。それは三原の生前の著書でもはっきりと記されています。

しかしながらイチロー以上に仰木監督を師として仰ぐだけでなく、<野球における父>として深く慕っていた選手がいます。それが土井監督の精神的な締め付けによって、送球ミス恐怖症・イップスにかかっていた田口壮でした。仰木監督は田口の素質を見抜き、ショートから外野手へのコンバートによって田口の野球人生は大きく開かれてゆくことになります。田口壮は仰木監督が最後の病床にある時も、日本に帰国し時間さえあれば見舞いを欠かすことなく、訃報に接した時はまるで子供のように周りに憚ることなく田口は大声を出して号泣したと言います。そのエピソードを知った時、如何に田口荘の仰木監督への想いが深いかがよくわかりました。その田口壮の姿にはちょうど三原脩の最後を看取った仰木彬の姿と二重写しのように感じたものです。

もともとピッチャーとして入団した仰木彬でしたが、三原脩にセカンドの適性を見出され、コンバートによって黄金期西鉄時代のレギュラーメンバーとして活躍することになります。栗山監督が増井をクローザーからスターターへコンバートするという報道を最初に聞いた時、パッと頭に浮かんだのはイップス田口のコンバートによって成功した仰木監督であり、仰木監督の背景にあったであろう三原脩監督による教えでした。

人使いの魔術で知られた三原は言います。

「ピンチこそがチャンスであり、弁証法によって現状を大きく打開せよ」

イップスに追い込まれた田口、クローザーという役割に精神的に追い込まれた増井は、本来のポテンシャルを発揮できずに選手としては袋小路に入り込みピンチそのものでありました。しかしこのピンチをチャンスへ転換させるという逆転の発想で、コンバートによって田口や増井は見事に蘇った。

ピンチも一転してチャンスへ変えてしまう監督としての技術を人はマジックと呼ぶ。

おそらくマジックの正体とは、<同調圧力などにも屈せぬ強靭な信念>と<既成概念に囚われない思考の柔軟性>を基礎にした、どのようなピンチさえもチャンスへと変換させようとする斬新なアイデアそのものである。

今回日本ハム、絶対守護神マーティンの戦線離脱という最大のピンチが訪れました。代わってクローザー吉川起用における最初の試合は結果、失敗したかもしれない。しかしピンチをピンチとしてのみ捉えて苦肉の策としての吉川起用だったのか、それともピンチをチャンスに転換させるための考え抜いた末の一手であったのか。その一手の背景にある考え方こそが平凡な指導者か、それとも名将なのか分ける分水嶺となるはずです。

(しかしアイデアはともかく正直なところ、吉川のクローザー映像で見ましたが、極めて危ないですね。三振は取れないわ、打球は強烈だわ、十数試合なら誤魔化しも可能かもしれませんが・・・あるいはほんとうに吉川が化けることがあるのか)

ベースボールを観る技術としては、結果の奥にある思考のプロセスに目を向けることこそが大事であり、最下位であるから無能だと強烈にバッシングしたり、驚異的な追い上げを見せたりすれば名将と持ち上げるような、巷に溢れている手のひらをくるくる変えることは当ブログでは断じてしまいと肝に銘じてきたつもりです。本日の試合も最下位の年、無能扱いされながらも栗山監督が懸命に育てた近藤と大谷の打棒がチームに勝利をもたらしたものでした。当時近藤起用や二刀流も含めて無茶苦茶言っていた人たちが今をどう眺めているのかは知りません。ただ手のひらくるくるの人たちというのは、辛辣ではあるが物事の表層をなぞっているに過ぎず、より本質的な部分まで深く目が届いていないことに全くもって無自覚なのではないか。厳しい目線が絶えず外へしか向かっていないのです。しかし洞察力が真に鍛え上げられてゆく過程では、その厳しい目線がまず己の内側を通っていかなければならない。

もし吉川の一時的なコンバート策が失敗であることが明らかになれば、当然のことながら栗山監督は心中はせずに次なる作戦も立てているはずです。ここは絶対に吉川と心中するシーンではない。大谷が先発に復帰したこのタイミングならば、登録抹消させた有原を一時的なクローザーへの配置転換などというアイデアも温めている可能性もあるのではないか。(この部分は完全に適当なことを言っています)ちなみに斉藤佑樹を2軍から上げたようですが、1勝の重さがシーズン中盤までとは大きく異なるために仮に投げさせるとしても、モップアッパーとしてチームが試合で負けているシーンに限定されるはずです。シーズン中盤までならローテに穴が開いた際に、ギャンブルとして斉藤佑樹を投げさせることはあったかもしれないが、シーズン大詰めのシーンでは話が全く違う。例えば3点差で負けていて、ほぼ試合が決まりかけているような状況下、打線が爆発しての逆転勝ちするというシナリオが描かれるとき、栗山監督は斉藤の持っている運を戦力化すべく中継ぎとして起用することはあるのではないか。この時期に僅差で勝っている状況で斉藤を起用したら、さすがに大問題となる。

マジックという言葉が冠としてつけられた監督は、過去三人しかいない。三原修、仰木彬、栗山英樹の三人である。100%日本はないと言い切った大谷との交渉において出馬した栗山監督はまさしくピンチに立たされていたわけです。そのピンチを誰もが不可能と考えていた二刀流というアイデアによって、大チャンスへと変換させてみせた技量は只者ではなく、マジックと称されるにふさわしい仕事ぶりであったと言ってもいいでしょう。もしも日本ハムがリーグ優勝という実績を作れば文字通り、栗山監督は名将であるという不動の評価を歴史からも受けることになり、栗山マジックが2016年のパリーグを席巻したと後世の歴史家によって書き記されることになるでしょう。わずかソフトバンクとは1.5ゲーム差、波乱の要素は吉川の出来を見ても明らかです。歴史は勝者が物語りを紡いでゆくものである以上、栗山監督はこの物語(ドラマ)の主人公の一人として最後のピリオドを撃ち込まなくてはなりません。

野球という筋書きのない物語(ドラマ)に対して、敢えて主体的な筋書きを描いてゆくことを戦略と言います。栗山監督が戦略家であることだけは間違いない。

ちなみに1993年シーズンオフ、LAAから広島に大野をチームに獲得したいという公式オファーがあり、1997年のオフには野村に同じくARIとTBから公式オファーがあった。投打におけるパイオニアとしてメジャーリーガーが広島からそれぞれ排出されても決しておかしくなかった。しかし実際はなぜ最初にメジャーへチャレンジしたのが野茂やイチロー、田口、長谷川、吉井とパリーグ出身のみならず仰木彬と深いかかわりのある選手ばかりであったのか。これも決して偶然ではありません。

仰木マジックは当時不可能であると考えられていたMLBの扉を開く重要なキーをも握っていたということです。

詳細については下記の2つの記事において、既に分析したつもりです。大谷二刀流のルーツは1から読まない限り あまり意味はないです。

「大谷二刀流のルーツを知っているか?」

「なぜパリーグのレベルの方が高いのか? 小宮山や里崎の記事で満足できなかった人のために」


大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。