栗山監督が斉藤佑樹にこだわる本当の理由 その戦略的価値

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07 /12 2016

日本ハムバッター・賢介、9回2死から起死回生の同点ホームラン。スタンドにボールが吸い込まれた瞬間、思わず鳥肌が立った。最後は勢いで勝負は決した奇跡的な日本ハム14連勝のフィナーレ。

「一番ピッチャー・大谷」

張本の言うように常識的に見て草野球でもふつうはやりません。たしかに張本の論にも一部の理はある。しかしだからこそ、プロ野球というショービジネスでやる価値がある。ここで180度発想の転換ができるのかどうかが、大きな分かれ目となる。草野球でもやらないという常識。その枠の中で「喝だ!あっぱれだ!」と叫ぶことが如何に頑迷であり、了見の狭い態度であるのか。

単に勝つだけではなく魅せることにこだわったのはショーマン・三原脩でした。三原脩は川上野球の手堅く強いが決して面白くない野球を皮肉ったことがある。その川上野球を継承し鉄壁の強さを発揮したのが森西武であり、さらにはその強さを現役時代に嫌というほど思い知らされ、元西武のOBをコーチに招聘して、西武と極めてよく似た野球を展開して一時代を築いたのが落合中日であった。

人気を度外視し「監督の仕事はチームを勝ちに導くことである」という哲学を譲らなかった落合は、最終年にあって中日を日本シリーズまで導くも解任。森西武もまた最終年、CSがない時代にあってリーグ優勝を飾りながら同じく解任。両者に共通しているのは強かったが、とにかく人気はなかったということです。最下位であったにもかかわらず、観客動員を伸ばした2015横浜の中畑監督は慰留されたのとは対照的です。

この意味するところをよくよく考えていかなくてはなりません。

ちなみにオールスターで「ピッチャー・イチロー」という二刀流の采配をしたところにも、仰木彬が三原脩の直系であることがよく表れています。どこまでいってもプロとはあくまでファンにドラマを提供することによって感動を与え、二刀流というような夢でもって魅了してこそ成立するものである。ファンから飽きられればMLBのひとつでもあったアメリカンアソシエーションの運命と同じく、プロ野球と言えどもリーグを終了せざる得ません。それがショービジネスというものであり、そもそも張本の解説者という仕事もまたプロ野球が消滅すれば自動的に消えてゆくことになります。

必ずしも常勝ではなかった魅せる野球に拘った長嶋巨人。強さをひたすらに追求した川上・森・落合という野球。三原脩はどちらかを選ばなければならないとしたら、プロである以上、魅せる野球を第一に追求しなければならないとも言いました。しかしほんとうはそのどちらかを選ぶ必要はありません。

三原脩の野球のように勝負においてファンを魅了するドラマ性があり、最終的にはチームを優勝へ導く野球を追求すればいいだけなのです。三原脩の野球には、日本シリーズ「巌流島の対決」でも明らかなように常に巧みにショーアップされたドラマ性があり、そのドラマを勝利に結びつける知略が備わっていた。この両者を具有する点こそが、時代を超えて栗山監督をも魅了してやまない三原脩という巨人の魅力でもある。

栗山監督はおそらく、三原脩の野球を現代を舞台にしてもう一度蘇らせようとしているに違いありません。難攻不落のソフトバンクを倒すには、張本のように常識の枠の中で物事を考えていてもまず無理ならば、ドラマを梃子にして<勢い>で倒すというシナリオが必要であることを本能的に栗山監督は察知している。

監督がハンカチ斉藤に拘るのも、彼の存在そのものが内包しているドラマ性こそが勝ち抜くためのアクセントとして戦略的にも価値が十分にあると考えているからです。

日本ハムにはBOSというシステムもあります。外野から言われるまでもなくセイバーメトリクス的に戦力として斎藤佑樹を冷静には眺めています。セイバー的には一見不可解にも見える判断ですが、もう一段深い目をもった時、栗山監督が単純に斉藤祐樹を贔屓しているから起用しているのではないことがはっきり見えてきます。

例えば加藤が1勝を上げるのと、斎藤が1勝をあげるのとでは、マスコミの露出も全く違えばインパクトも全く違ってくることは言うまでもありません。日本で最も知られている選手という意味でおそらく斎藤は3本の指に入るはずです。ふだん野球を見ない人たちにも、10年前の斎藤がハンカチで汗を拭った姿の強烈な印象を与え、野球というジャンルを超えた一種の社会現象にもなりました。栗山監督はペナントを制するために斎藤佑樹は必要なピースであると本気で思っていると当ブログでは考えています。

斉藤を切り捨てることなど誰でもできる。苦しみながらももがいている斎藤の姿を栗山監督は見守ってきたからこそ、何としてでも1勝を上げさせてやりたいとチーム状況も鑑みバランスを取りながら、チャンスを斎藤に与えているのではないのか。不遇の中にある選手を見守りチャンスを時機を見ながら与える姿にこそ栗山監督の監督としての素晴らしい資質がある。それは結果は大きく違えどもレアードを見守ってきた態度ともどこかでリンクするものです。

ベースボールとはメンタルなスポーツでもあり、理屈を超えた勢いの重要性を栗山監督は相当に重視している。複雑系の観点からして、このハンカチ斉藤に拘る栗山監督の考え方は、単純に非合理なものとして切り捨てることはできません。むしろセイバーメトリクスだけの単純な線形だけで野球の奥深さを語りきれると思う方が間違いである。明らかに野球とは筋書きのないドラマでもあり、複雑系のスポーツでもある。非線形な<勢い>を重視する考え方を無下に否定することは必ずしも知的な態度ではありません。セイバーメトリクスの威力を存分に活用しながら、その限界についても明確に掴んでおくことが大事になる。

「野球には線形からのアプローチだけでなく、非線形からのアプローチも同時にする必要がある。」

日本プロ野球史上最高のインテリでもある知将・三原脩がもし現代に生まれ変わっていたら、そんなことを言っていたかもしれません。捕捉として書いておけば、今から半世紀も前にすでにセイバーメトリクスにおけるWARの原型となる考え方をする極めて合理主義的な一面を持っていたのが三原脩であり、同時に運というアナログな要素も際立って重視する監督でした。三原脩の野球は合理性と非合理性を追求したが故に、魔術も可能であったと言ってもいい。

斎藤佑樹が背負ってきたその歴史までも栗山監督は戦力として活用しようとしている。というよりもベンチにいるすべての選手の能力を総動員して優勝という目標へ向かって戦略的に集約しようと懸命に頭に汗を掻いているのが栗山監督である。かつて監督を無能扱いした一般のシロウトが想像している以上に、数十人というベンチ全体、143試合というペナント全体を見渡しながら、最善手とは何かについて、目標から見てトップダウン式に戦略的に考え続けているのが栗山監督だと言ってもいい。戦略的な思惑と実際の結果がずれることなどいくらでもある。そのギャップができた時、どうチームを立て直して、修正を図り、最終目的へと到達するのか、そこにこそ監督の技術と勝負強さと運が試されている。




 「ボールパーク戦略の極意は<花>にあり」にこんなことを書きました。

「魔術師ビル・べックを眺めてゆくと、肌の色が白であるとか黒であるとか、選手の年齢がいっているとかいないとか、健常者であるかないかとか、そうした既成の社会通念が作り上げた境界線(マージナル)に縛られず、ビル・べックはそのマージナルの上を自由に行き来する人であったことがわかります。魔術の源泉には常識を超えてゆく発想力が大事となる。 」

(話は逸れますがCLEが1948年に優勝してから68年の月日が流れました。果たして「コラヴィートの呪い」を解くことができるのでしょうか。魅せながら勝利する。それを実現したのが今から68年前にCLEを率いたビル・ベックであったということですね。)

多くのプロ野球ファンは目下、応援しているチームを超えて日本ハムの動向から目が離せません。真に魅力的な野球を展開していれば、球団という境界線(マージナル)を超えて、最終的には時代という境界線(マージナル)さえも超えてゆくものです。三原脩が指揮した西鉄三連覇の歴史が未だに色あせることがない理由もそこにある。

率直に言って翌日の監督インタビュー記事に接するまでもなく「一番ピッチャー・大谷」この奇策の中に、魔術師・三原脩の姿をすぐに見出すようでなければ解説者としては本物ではありません。「常識が作り出した境界線(マージナル)を超えて数々の奇跡を起こしてきた魔術師・三原脩が遺した数々の貴重なメッセージ」と「常識の枠の中で「喝だ!あっぱれだ!」と叫ぶ解説者張本の言葉」。どちらを選び取るべきかは比較するまでもないほど明らかなことです。張本の批判をやり過ごした栗山は大人であるというコメントもありましたが、思考の次元が決定的に違っている以上、ムキになって反応するまでもないというのが栗山監督の本音ではないでしょうか。

単なるトリッキーな非常識と境界線(マージナル)を超えてゆく魔術は似て非なるものです。素人がでたらめに絵を描くのとピカソの抽象性の高い不可思議な絵の世界には越えがたい一線があるように、膨大な知識を拠り所にして考えに考え抜いた末に、自らの直感を信じて繰り出した作戦と、何の裏付けもなくとりあえず誰もやっていないことをしてみたという思い付きレベルの非常識な采配は、たとえ表向きは「一番ピッチャー大谷」で同じであったとしても、結果は自ずから違ってくるはずです。

非常識と魔術の違いを明確に知る深い目を持てるように これからも栗山日本ハムを通して学んでゆくつもりです。「一番ピッチャー大谷」のリスクを見た時、そこにどれだけの覚悟があったのかを思えば、大谷のHRとともに栗山監督の勇気にあっぱれとしか言いようがありません。

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大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

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「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。