なぜメジャーの球場は左右非対称であるのか?

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08 /20 2015

ベースボールの歴史を紐解かなければこの問題に答えることはできません。一言で言うと、プロのべースボールが郊外型ではなく都市型のスポーツとして発展を遂げてきたこととそれは密接に関係があります。


まず最初にどうしても必要な伏線なため T型フォードの話をします。なぜならば、このT型フォード出現による大衆車社会に突入したことがボールパークの形状とも実は深いかかわりがあるからです。T型フォードの出現は1908年であり1920年代になって数千万台の普及をするに至り、一人一台の時代に突入したのは1960年代に入ってからです。すなわち1900年代初頭というのは鉄道社会であり、1900年代初頭のアメリカでは飛行機も自動車も社会に普及はしていませんでした。


ベースボールの創成期、アメリカは車社会ではなく鉄道社会でありはステーションを中心に都市が形成されてゆくわけですが、駅が設置される場所は多くの人が集まる都会が選ばれることになり、ベースボールのボールパークも当然 都会の一角に作られることになります。具体的には街のワンブロックそのものを購入しそこにボールパークを建設することになります。


例えば1900年台初頭に作られたフェンウエイなどはまさに街のワンブロックをボールパーク化したものです。ワンブロックということは敷地が長方形となり、球場も無理やりブロックの中へ押し込むために左右非対称の歪な形状にならざく得なくなり、スペースの関係上観客席とフィールドの距離が極めて近いボールパークが出来上がりました。


しかし1960年代になって車が一人一台の時代に入ると

●高速道路網の整備
●中東から安いガソリンの安定供給
●鉄道会社の消滅

によって、アメリカは車社会を加速化させていきます。この鉄道社会から車社会への移行はボールパークへの変化も要求することになります。具体的には幹線道路沿いの広大な土地にたっぷりとしたスペースの中、合理的なボールパークが建設ラッシュされるようになるのです。トレンドは都市型から郊外型へ。具体的には郊外の大きな敷地において円形のシンメトリーの全天候型人工芝の多目的に使用できる球場が数多く作られるようになりました。


円形のシンメトリーな球場。ひらたく言えば、日本で言う東京ドーム、大阪ドーム、福岡ドーム、北海道ドーム、名古屋ドームが今から半世紀前、アメリカでは最先端トレンドのボールパークであったということですね。日本にある数多くのドームを見てもわかるように、どの球場も大きな特徴は特にありません。金太郎飴のように、どこで切ってもほぼドーム球場は左右対称でありほぼ同じ姿をしています。


ところでクッキーを作る時の型を<クッキーカッター>と言います。クッキーカッターさえあれば均一のクッキーが量産できます。日本語ではどこを切り取っても同じ様を<金太郎飴>と表現しますが、アメリカでは特長のない球場群を通称で<クッキーカッター>と表現しました。できた当初は<クッキーカッター>の物珍しさも手伝って近代化を歓迎する向きもあり、ドーム球場にファンは熱狂しました。しかし、時間が経つにつれて観客席とフィールドの距離も遠くなりどこを見渡しても左右対称となったために、ファンの心はボールパークから離れてゆくようになりました。青い空とグリーンの天然芝の狭間に白球が舞うといった野球の原風景をベースボールファンは懐古するようになったのです。

このファン離れの危機を脱すべく登場したのが、新古典主義として敢えて左右非対称のオールドファッションに身を包みながら 街の風景と一体化し最新の設備を備えたオリオールパークでした。オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズが球場の歴史的なトレンドに大きな変化を与えました。カムデン・ヤーズの出現によってボールパークのトレンドは再び歪な左右非対称を人工的に作り上げファンのニーズに合わせるべく流れてゆくことになります。

以上、ボールパークの歴史にとって1960年頃が大きなひとつの境目になっていることがわかります。かつてニューヨークにあったブルックリンドジャースがロスへ移動したのは1958年です。(車社会への突入と同時に1960年頃から飛行機の時代に入ったことによって、はじめて本拠地を西海岸へ移転することが可能となりました。選手が全米を移動するには飛行機が必要です)ドジャースの語源を知っている人も多いと思いますが、ドジャースとはもともと<避ける人>という意味です。何を避けるのかというと、当時ブルックリンの街を往来していた路面電車を避けていたということです。その路面電車も1960年頃を境にして街から姿を消す時期を同じくして、ドジャースもブルックリン地区から姿を消してゆくことになります。車社会へ完全に突入すると共に、路面電車を避けていたドジャースたちもいつしかブルックリンの街から姿を消していった。そして半世紀前に西海岸に出来たのが左右対称の郊外型の球場、現在のLADのドジャースタジアムです。

ちなみに、ドジャースのブルーは西海岸の青い空に由来するものではありません。路面電車を避けながらブルックリンドジャースの本拠地であったエベッツフィールドへ通っていたブルーカラー(肉体労働者)のドジャースたちに由来しています。
現在、メッツのシティフィールドは、ブルックリンの本拠地であったエベッツフィールドを模写していると言われますが、メッツのチームカラーは1958年にサンフランシスコへニューヨークからドジャースと一緒に移動したジャイアンツのオレンジとブルックリンのブルーを起源としていることは余りにも有名です。


大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。