名将ラルーサの奥深き智慧「これからの監督に求められる資質とは何か?」

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07 /15 2015
現代の監督に求められる力について、先日ラルーサはBSにて<セイバーメトリクスに基づくデータを活用する力>と同時に<フィールド内にいるからこそ見えてくる現場感覚に基づいて判断する力>、この両方が大事であると語っていました。野村克也は野球は頭でやるものだと言い、長島は勘ピューターとも揶揄されましたが、ラルーサは監督として知性だけでも感性だけでもどちらかだけでも駄目なのであり、この両方の資質がこれからの優れた監督であるためには大事であると言っていました。


ワールドシリーズともなればじっくり最初から最後までその戦いを見届ける故に、監督の力量についてもじっくりと観賞することができます。今回はラルーサの主張するところをこの具体的な例として2014のワールドシリーズのKCヨースト監督を用いてわかりやすく説明してみます。

例えば一般に一試合という流れの中で見ると、<終盤になるほど、接戦になるほど、投手戦になるほど>これらのファクターが強くなる程に1点の持つ価値は大きくなることが統計的にWPAという指標で明らかになっています。ベースボールにおいて勝利という観点からすれば1点の価値は状況に応じて常に変わってきます。つまり監督は自ずからその状況に応じて戦術的にも常に臨機応変に変化させることが大事であるということになります。例えばメジャーの監督でも、攻撃においては序盤のフェーズでは得点を最大化する攻撃スタイルを採用する一方で、終盤、僅差であればあるほど1点を大事に取りにいくスモールな戦術を採用する傾向がはっきりあります。MLBでも、実際の数字として「1回から6回までの犠打の数」=<「7回から9回までの犠打の数」ともなっています。


戦術も序盤から終盤に向かってビックボールからスモールボールへという流れが一般的なセオリーです。これはセイバーだけではなく野村克也も言っていることです。すなわちセオリーであるからこそ、セイバーメトリクス的にもID野球的(スモールベースボール)にも結論は一致します。もちろん、ペナントから短期決戦に向かうほど、ビックボールからスモールボールへという流れが一般的な戦いのセオリーにもなります。それは、「LAD新社長フリードマンのゴードンを放出した戦略とその誤算」でも記事にしました


これを攻撃から守備に置き換えるとよって例えばPOに入るとヨーストはペナントとは若干戦い方を変えて、7回でリードになるとこれでもかと攻撃力を犠牲にしても青木というメジャー平均レベルの外野手に代えてセイバー的にもメジャー最高のアウトフィルダーであるダイソンにスィッチするスモールな戦術を採用しました。これは実に戦いのセオリーにも合致しています。実際それが功を奏して、2014ALDSのLAA戦でも8回に見事にダイソンの強肩で3塁直前で2塁走者をタッチアウトとしたシーンは象徴的です。


そんなこと誰でも知っていると思われがちですが、例えば広島の緒方という監督は2点差リードの9回で、守備範囲の異様に狭いエルドラッドを代えず結果、最終的に試合をひっくり返されたことがあったようです。一体何試合緒方監督のミスで広島は試合を落としてきたのか? 得失点差がリーグ最高の+でありながら、ぶっちぎりの最下位のチームを指揮してきた監督だけはあります。この点、緒方よりもヨーストはいい意味で非常に用心深い性格なためなのか、正しい判断を下している言えます。


しかしヨーストのこの慎重な性格は長所ではあるものの、同時にややアグレッシブさに欠けることも意味しています。ヨーストはオールドスクール型の監督であるために、例えばセイバーメトリクスにおいて盗塁という戦術の持つ価値が短期決戦においてはペナント以上に上がるという理解力もまずないと考えていいでしょう。故に、慎重な性格が災いし、リスクを恐れる余りに最も盗塁の価値が上がるワールドシリーズにおいて盗塁自体をほぼ全くと言っていいほど企画しませんでした。戦力の持ち腐れでもあり、切り札でもあった快足ゴアもほぼ全く起用されることはなかったはずです。現場で指揮する監督の考えていることは選手に敏感に伝わるものであり、ワールドシリーズで選手の足は一気に止まりました。ポージーも決して阻止率の高いキャッチャーではなかったにもかかわらずです。


過去のワールドシリーズの戦いを見ても敵からして最も警戒するのは足であるという史実があります。例えば1995年 CLEは7番マニー・ラミレス、6番ジム・トーミというステロイドエラを象徴する超強力打線でした。しかし野茂のLADを倒しリーグ戦を勝ち上がって来たATLが最も恐れたのはCLEのHR攻勢ではなく90年台最高のリードオフであったケニー・ロフトンでした。限りなく3000安打1000盗塁に肉薄したルー・ブロックの足もまた1968年のWSでは敵から非常に恐れられました。短期決戦では勢いが大事です。敵からすれば足によって心理的にかく乱させられ、奇襲や盗塁が決まった時、相手が勢いづくことが何よりも嫌なのかもしれません。ましてKCが誰か一人というわけでもなくどっからでも走れただけに、足の使い方ひとつで戦局は大きく動いた可能性があります。

通常の解説は、盗塁を企画してそれが成功したか失敗したか その結果について解説を加えます。しかし私が指摘したいのは盗塁の結果についてではありません。セイバーメトリクスの統計的な観点からもスモールベースボールの心理的な観点からも、戦略や戦術を研究してきた限りワールドシリーズになった途端、リスクを恐れる余り盗塁を企画しなかったことそのものが指揮官のミスであると私は結論しています。戦いの鉄則は敵が嫌がることをやるという実にシンプルなものです。SFのボウチーに、走ってくるKCと走らないKC、どっちが戦う相手として嫌だったか?一度聞いてみたいところです。


足を使った攻撃の話をしてきましたが今度は守備についてです。短期決戦の2014ワールドシリーズまで KCは守備シフトを敷いていたために 最も重要な場面でベルトにショート前のセーフティを決められ、それが一勝に対して大きな価値を持つ一点となったことがありました。ベルトが最も重要なシーンに取って置いたものであり、それは完全に狙ったものでした。


個人的にはKCを応援していた手前、ベルトがし掛ける前から なぜ 一戦必勝というステージのこの大事な場面までヨースト極端なシフトを敷くのか?スモールな立場からして、全くもって私は疑問でした。結果見事に決められたわけですが、どんなにペナントでベルトの打球に引っ張るという強い傾向性があったとしても 短期決戦の最も緊迫した場面で 機転を効かせられ逆をつかれたら ・・・そしてそれが決勝点になれば もう次の試合はありません。the endです。守備シフトは序盤、大量得点差があるなど相手が強打することがほぼ必定である状況以外、特に短期決戦においては非常にリスキーな戦術に成ることがあります。おそらくですがラルーサのように感性の鋭い危機察知の能力が高い監督であれば、あの僅差の大事な場面で極端な守備シフトを敷くことはまずなかったと私は考えています。これまでラルーサの戦い方を見ていてそういう隙を作る監督であるとは思えないのです。


最後に記事のまとめです。

野村IDもラルーサも所謂 オールドスクール型ですがデータ活用には極めて積極的です。 別にデータを扱うはセイバーメトリクスの専売特許ではありません。両者に違いがあるとすれば、セイバーメトリクスとは<フィルード外のオフィスのパソコンから生まれた知見>であるのに対して、スモールベースボールとは<フィールド内においてユニフォームを着た現場で指揮する者から生じた知見>であるという点です。
これからは監督が新思考型のセイバーメトリクスか?オールドスクール型のスモールベースボールか?の二者択一ではなく、データをコミュニケーションツールとしてフィールドの内と外にある者が互いの立場を尊重し、セイバーメトリクスとスモールベースボールが戦略的に止揚する段階に時代は突入したと私は考えています。

<セイバーメトリクスに基づくデータを活用する力>と同時に<フィールド内にいるからこそ見えてくる現場感覚に基づいて判断する力>、この両方を具有できれば理想的な監督です。しかしもし一人の指揮官が両方を具有できないなら、例えば監督の出自がオールドスクール型であればベンチコーチには新思考派の者を配置し、全体でバランスを取ることが大事になってくるはずです。ベンチの中にもセイバーメトリクスにある程度通じている人物が必要です。戦略的なGMであれば必ずそうした配慮もしてくるでしょうし、やがてトレンドにもなることは巷間言われていることで今更指摘するまでもありません。例えばKCのように監督もベンチコーチもオールドスクール型であると悪い意味で足並みが揃ってしまう時、異質な視点を持ち込むことができず試合全体を俯瞰する視点に欠け、結果こける可能性が高くなります。
これからの理想的な監督としての資質について以上述べてきました。次回こうしたデータ主義と現場感覚の融合が上手くいっているチームとして雑誌に紹介されていたPITの防御戦略について若干触れたいと考えています。



大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

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「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。