メジャー通必須の知識 MLB史に聳え立つ巨人ビル・ベックを知っているか

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07 /05 2015
歴史の話は特に人気なさそうですが、この記事に書かれてあることをきちんと知識として抑えておくことはMLBのプロスペクトの名前やセイバーメトリクスの最新事情を知るよりも数段大事であると私は考えています。記事後半 一気にアクセルを踏み込んだつもりです。

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もしもブルックリン・ドジャースのスカウトであったジョージ・シスラーがブランチ・リッキーへジャッキー・ロビンソン獲得を進言しなければ、有色人種であるイチローはメジャーデビューできなかった可能性があります。ベースボールの歴史というよりもアメリカの歴史にとって極めて大きなインパクトを与えた 人種差別の壁を破ったブランチ・リッキーとジャッキー・ロビンソンが苦難を乗り越えて グラウンドで喝采を浴びるまでのストーリーを描いて見せた映画「42 世界を変えた男」が1年半ほど前に公開されました。


しかし余りにジャッキーとリッキーにスポットを浴びせ過ぎるとその周りで何が起こっていたのかもわからなくなるのが人間の常です。先日 アメリカから届いた手紙の切手にラリー・ドビーの絵が描かれていました。ジャッキー・ロビンソンNLデビューに遅れることわずか数ヶ月、ラリー・ドビーもまたAL黒人初の大リーガーとなりクリーブランド・インディアンズからデビューをしていました。いったいどれだけの人がジャッキーではなくドビーの人知れぬ苦難にも想像を馳せることがあるでしょうか?


ラリー・ドビーもジャッキー同様また数知れぬ人種差別の壁と戦いながら、MLBで打点王、HR王も獲得する一流選手にのし上がります。そしてついには日本で初の超大物メジャーリーガーとして 中日にも入団を果たしたのがドビーでした。まさか日本にMLBのタイトルホルダーが来るわけがない・・・そんな時代でした。


そのラリー・ドビーがメジャーの舞台に立った最初の日が今から68年前の1947年7月5日です。ドビーはジャッキー・ロビンソンについで二番目にメジャーデビューを果たすだけでなく、メジャーで二番目にシカゴ・ホワイトソックスで黒人監督になった人でもあります。最初の黒人監督はフランク・ロビンソン。メジャー最初の監督と選手、奇しくも名前は同じロビンソンであったということになります。


本記事の主人公はそのラリー・ドビーを選手および監督にいずれも抜擢したビル・ベックという人物です。ビルベックは<スポーツマーケティングの父>とも言われており、単なる野球のみを見世物とする箱物であったスタジアムを非日常を演出する楽しい雰囲気づくりを大事とした野球場のテーマパーク化いわばボールパークのトレンドを作り出した人物でもあります。


ビル・べックは現代で言うところのカブスのマドン監督のように、ベースボールと向き合う基本姿勢としてまず心から楽しむということを第一に考える人でした。観客にプラカードを持たせて、采配を観客の投票によって決めるといった試みや番号1/8 身長1mの小人ゲーデルを起用したことでも有名ですが、wikiにもあるように「球場においても、外野フェンスを可変式にして、敵チームが攻撃しているときは後進させ、また自軍が攻撃している間に前進させるといったこともやった。」などとにかく奇抜なアイデアでどうすれば客の心を掴めるかということを考え実践してきた人でもありました。先日逝去したミノーソの5ディケートを演出したのもまたビル・ベックです。50歳を越えたミノーソを支配下登録し、試合に出るだけでなくヒットまでミノーソは1980年にMLBで記録しています。べックの信条は「楽しいことはいいことだ!」であり、人がやらないことを何でもやってみるという人でした


そのビル・ベックがホワイトソックス時代の話です。名物アナウンサー・ハリー・ケリーが7回になると実況ブースで『Take Me Out to the Ball Game』を一人で口ずさんでいたと言います。ある時、ベックは、ケリーが歌を口ずさむ様子を目にし、休憩中も実況ブースのマイクをオンにさせて、球場全体にケリー氏の歌が聞こえるようにしたのが、7th inning stretchでTake Me Out to the Ball Gameを合唱する起源です。1970年代後半、ちょうどラリー・ドビーがホワイトソックス監督時代にこの7回に執り行われるMLBの習慣は始まりました。 ビルベックが『Take Me Out to the Ball Game』を歌う文化をMLBにもたらしたというわけです。


そんなベースボールを心から楽しむ愉快な人ビル・ベックは一方で闘う人もでありました。ブランチ・リッキーと裏で共同戦線を張って、NLからジャッキー・ロビンソンをデビューさせるとともに、ALからラリー・ドビーをデビューさせ一点に人種差別の攻撃が集中しないように分散させる戦略を採用することになります。しかし私がこのビル・ベックに最も驚愕したのはドビーをアフリカ系の選手や監督として採用したことでもありません。それはビル・べックがチームのオーナーでありながら 歴史上唯一 選手のFA制度導入に尽力した人物でもあった点にあります。ビル・ベック以外すべてのオーナーは FA制度はオーナーの利益を脅かすものとして如何に排除するのかに画策を続けてきたのが メジャーの歴史でした。


オーナーとしての利益の観点だけ見れば、FA制度は選手の年俸高騰を招くことは必至であり、ふつうは反対側に回るものです。しかしビル・ベックは小さな私を超えたMLB全体の繁栄や選手が手にするべき当然の権利へ向けられていたようです。すなわち ビル・ベックは<人種差別の撤廃>と共にオーナーの当然の権利と見られていた選手を拘束する権利に制限を設けて <FA権導入>することに力を尽くした唯一無二の存在です。FA導入に対するオーナーと選手の法廷闘争でも、多くの人は後のオーナーからの報復を恐れて尻込みする中で、選手側の証言者として法廷に立ったのが、ジャッキー・ロビンソンとこのビル・ベックだったのです。この証言台に立つということは、ビル・ベックもまた他の全オーナーを敵に回すことを意味しています。単に快活で愉快な人ではなく勇気の人でもあり、義の人でもありました。


ビル・ベックはジャッキー・ロビンソンをデビューさせたブランチ・リッキーとも違います。ブランチ・リッキーは人道的な立場というよりも相当の策士であり単純に安い金で如何にいい選手を入れるかという マネーボール的な要素がジャッキー・ロビンソンのデビュー劇には多分にありました。ブランチ・リッキーはマイナーシステムをはじめて構築した人でも知られており言わば戦略家です。(はっきり言うとリッキーの印象は全体として、吝嗇家などとも言われていたようですが、良くも悪くもがめつさがあります。)そうした戦略性というものを直裁にビル・べックに感じることはありません。


<私>の利益を超えた偉大な目を持ち、今となってはビル・ベックの時代を超越した先見性が明らかとなりました。分厚い抵抗勢力をものともせずやがて人種の壁は突破され FA制度も導入されるに至り これらによってMLBに<自由>がもたらされました。繁栄というものは 概して<自由>を基礎として花開くものです。すなわちビル・ベックが追求してきた<自由>とスポーツマーケティングによる<顧客第一主義>の精神の上に、現代MLBの繁栄は築かれていると言って過言はありません。たとえこれまでビル・べックについて知らない人であっても、7回になれば必ず繰り広げられるTake Me Out to the Ball Gameの歌声を耳にすることによって、あるいはビル・ベックが考案したとされる今年100周年を迎えるリグリーフィールド名物の蔦を目にすることによって、ビル・ベックが残した歴史的遺産に絶えず我々は触れ続けています。


ビル・ベックこそは時代を超越した類まれなる先見力を有したMLB史上に聳える数少ない巨人の一人です。ビル・ベックの成した仕事の質や量をほんとうの意味で伝える記事が見当たらなかったので、この記事を書くためにも私はこのブログを立ち上げました。一人でも二人でも、ビル・ベックのユーモアたっぷりに時代を軽やかに越えてゆくような雄大なその微笑みを伝えることができたなら本望です。





毎年 4月15日のジャッキー・ロビンソンディが来る度に、どうしてこうも扱いが違うのだろうと思いつつ私はビル・ベックとともにラリー・ドビーがデビューした7月5日に想いを馳せることがあります。

「ジャッキー・ロビンソンだけでなく ラリー・ドビーの偉大さを知らしめる必要がある」

― CCサバシア―



最後になりますが、FA制度導入にもカラーバリアを突破するに勝るとも劣らない困難さを極めたことも明記しておかなくてはなりません。実際一人の選手生命がこの事件よって絶たれています。その英雄の名をカート・フラッドと言います。いずれこの英雄カート・フラッドについても記事にすることもあるでしょう。

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大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

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写真は古代ギリシャの神殿。