パリーグだけではない!MLBの2015インターリーグ事情

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06 /22 2015
どうやら11年連続でALがインターリーグでNLを圧倒するという結果になりそうです。


なぜ日本ではパリーグがMLBではアリーグが強いのでしょうか?


もちろん、DH制の有無が最大の要因であることは間違いないでしょう。しかしDH制を敷くALホームにおいてNLでは強打者を用意できなからだという分析はあまりに一方的に過ぎます。なぜならその最大のストロングポイントとなっているDHの強打者がNLホームでは使えず、送りバントすら間々ならない投手が9番に入るわけであり、一転してNLホームではALは大きく不利になり、上記の分析は余りに恣意的に過ぎるからです。物事は表と裏をバランス良く眺めてこそはじめて深い洞察を得ることができます。


ではそもそもなぜパリーグ アリーグにおいてDH制が導入されたのでしょうか?

この歴史的な沿革より話をしなくてはならないように考えます。一言で言うと1970年代前後においては圧倒的に人気がセリーグとナリーグに集中していたからです。特にミラクルメッツの人気ぶりはヤンキースの比ではなく、対NYYダブルスコア以上の圧倒的な観客動員数であり、DH制が導入されることになる直前の1971年においてメジャー最高の人気球団はニューヨークメッツでした。NYMが250万人に対してNYYは100万超であり、ALの中でもNYYは決して観客動員が1位ではありません。


ヤンキースの人気があまりなかったことを意外に思われ方もいるかもしれません。当時NYYは暗黒時代、弱小チームへと転落しており最下位に沈むこともありPOにかすりもしない時代でした。統計的にもチームの勝率と観客動員には一定の相関関係があるように、力がなく客を呼べる選手もいなく人気もさっぱりであったというのが歴史的な事実です。


ではなぜ NYYは弱かったのでしょうか?


これは「さらばヤンキース」という本でも明らかになっているように、戦略的な意味で時代の潮流に乗ることに完全に立ち遅れたからに他なりません。1947年にカラーラインが突破されて以降、ブルックリン・ドジャースには数多くのアフリカ系の選手が入りました。彼らの能力の高さはたちまち周知されるに至り、ドジャース戦法が流行すれば他の対戦相手であるセントルイス等も柔軟に取り入れて戦ったように、ブルックリンに対抗すべくNLのライバルチームたちは積極的にアフリカ系の選手を入団させることになります。セイバーメトリクスでもOAKからBOSへという形で同一リーグにおいてまず流行しましたが、ひょっとすると流行とは同一リーグからMLB全体へと波及するスタイルを取るものなのかもしれません。

しかしながら、リーグが違ったNYYやBOSなどは根強い人種差別のポリシーによって、アフリカ系の選手への門戸を基本的にはオープンという方針はとりませんでした。白人だけでもマイナー組織を拡充すれば十分に戦えるものであると判断したようです。ある意味の時代に取り残されたガラパゴス化がALにおいて進行していたわけです。結果、圧倒的な実力差がみるみるのうちにリーグ間でつき 1960から1980年で例えばオールスターの成績を見ると18勝2敗という圧倒的な格差がつくことになりました。もちろんNLの圧勝です。


当時のMLB代表的な選手であったアフリカ系、ヒスパニック系のカラードを挙げてみます。ウィリー・メイズ、ウィリー・マッコビー、オーランド・セペダのSFのトリオやハンク・アーロン、アーニー・バンクス、ボブ・ギブソン、ジョージ・フォスター、フランク・ロビンソン(最初はレッズ)ルー・ブロック、ロベルト・クレメンテなど。ぱっと思いつく選手を挙げてみても、共通することは皆、NLであるという点です。リーグMVPも8割近くをカラードがNLにおいては占めるような状況でした。


スターが枯渇し時代に完全に乗り遅れたNYYをはじめとするALは、実力だけでなく深刻な人気不足になり、結果、1972年にDH制へ踏み切ることになります。NYYが一瞬の輝きを取り戻す1977年、伝説のWSでHR3打席連続でライトスタンドへ打ち込んだのはレジー・ジャクソンでした。NYYの窮状を救ったはアフリカ系の黒人選手だったというのは実に象徴的です。




最後に余談になりますが、メジャリーグにおいてはじめてマイナーリーグをメジャーの傘下に組み込んで安定的な戦力補強をするためにファームシステムを開発したのはセントルイスですが、ご存知の方も多いようにその時のSTLのGMが後に移籍したブルックリン・ドジャースにおいてジャッキー・ロビンソンをMLBデビューさせたブランチ・リッキーです。当時、アフリカ系を登用することは最先端のマネーボール戦略であったと言ってもいいでしょう

ブランチ・リッキーは<兵站>というものを重要視していたことはマイナーリーグをメジャーの傘下に置くファームシステムの確立やカラードによる新たな戦力補給を求めていたことからも明らかですが、当時最高の戦略家であったと言えるかもしれません。


以上まずはDH制について考察するにあたって、まずなぜそもそもDH制を敷くに至ったのかという歴史的経緯について触れました。ではDH制を敷くとなぜそのリーグの実力が上がるのか?次回改めて考えてみたいと思います。(と言いつつオチをつけることができるのかは不明です)



大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。