栗山監督 信じる力と峻別する力 ソフトバンクと0.8ゲーム差に縮まる

未分類
09 /24 2016
オリックス戦では気の抜けたコーラのようなボールを投げ込んでボカスカに打たれた有原でしたが、SB戦初回ボールのキレを見た時、調子が戻っていると感じた人も多かったのではないでしょうか。有原が打ち込まれた時、栗山監督はSB戦に向けて先発の練り直しも視野に入れているとの談話もありました。監督としてはここ8月以降のERAが6点を超える有原と先発に回ってからはERAも1点台の増井、どちらかを単純に選択せよと言うなら、どんな監督であっても増井を選ぶはずです。ローテ変更を示唆するのも十分頷けるというものです。しかし事はそこまで単純ではなかったことをその後、当ブログも気づくことになります。

SB戦に投げるとなると有原は中七日であったのに対して、増井は中四日であり、更にここが重要ですがもしローテをすっ飛ばし強硬に増井へ変更し、SB戦で勝ってもそれ以降の連戦で負け越すならば、SB戦の勝利の価値も意味もすっかりなくしてしまう。

最終盤によもやの過密日程が詰まっておりSB戦以降のスケジュール全体を見渡した時、最終的には栗山監督も有原の他に投げさせる投手が実質いない現実を目の当たりにしたのではないのか。つまりローテを変更できるものならしたかったが、SB戦以降も視野に入れてよくよくつめて考えてゆくと戦力には限界があり、実質的に選択する余地は栗山監督には残されていなかった。

SB戦有原を選択した以上、今年の実績にかけて選手の力量を<信じる力>でマウンドに送る一方で、同時に<峻別する力>で炎上した際にはどういうパターンがあるかを考えつつ、スクランブル体制から宮西、バース、谷元で789回を凌ぐというパターンまである程度試合前にシュミレーション済みであったことは想像に難くありません。

もし単に栗山監督が信じるだけの人であったのなら、吉川クローザーで失敗する前に切るという決断をすることなどありません。有原と吉川の違いは、第一に吉川以外にもブルペンには経験豊富な中継ぎがおり他にも選択肢があった。第二に吉川には有原が前半戦、ERA2.00前後のようなブルペンとしての実績が皆無であった。あるいは栗山監督が信じる人に過ぎないならば、斎藤を栗山監督は先発で使うという一部のファンが最も恐れたこともやったのではないか。その辺の綾については監督も戦いのフェーズを見極めるだけの<峻別する力>は持っています。

そうした中どうしても腑に落ちないのは、8回大谷の降板にある。なぜ大谷の投球イニングを3回、5回と慎重を期して段階的にここまで過去2回の先発で調整を踏んできたのか。8回110球が9回125球になった途端、何か劇的に負の影響が大谷を襲うとでもいうのだろうか。少なくともスポーツ医学の観点からしてみれば110球に明確なボーダーを引く根拠というものはありません。大谷以外のスターターなら今のブルペンでもスウィッチは当然です。仮に大谷であってもマーティンがいればすんなり交代でしょう。あるいはシーズン中盤であるならば大谷交代は問題はないかもしれません。

しかし降板させたシーンは天下分け目の天王山そのものでした。

もし1勝差で日本ハムが今期のペナントを逃したとします。その時、陽の世紀の”the catch”がなく大谷からバースへと継投した結果が失敗だったとき、一片の後悔もなく間違いなく自分の下した判断は正しかったと栗山監督は言えるのでしょうか。「俺が悪かった。」で済まない。

ほぼ大勢の理解が得られなかったシーズン中盤、斉藤の先発起用にも当ブログは一定の理解を示したつもりです。シーズン終盤に斎藤昇格にあって大ブーイングの中、心配するには及ばない登板機会はおそらく敗戦処理に限られるとも言いました。最下位の大バッシングにあった時、当ブログでは<無能>扱いされた栗山監督を擁護したように、今回監督への批判は許さないような大絶賛の空気の中、敢えて<名将>に異を唱えています。

どうでしょうか。空気は一変しており、最下位時代にバッシングが当然であるという状況から、批判などあり得ないという空気に確実に変わっています。単に反対の立場を取りたがる天邪鬼とも違うたしかなカウンター勢力として、当ブログのこの姿勢は一貫させてゆくつもりです。山本七平ではないですが日本は空気が支配する国であるからこそ、良い意味で決し流されてはならない。

広島の緒方監督は昨年、僅差で勝っている試合でエルドラッドを出しぱなっしで9回を迎え、レフトの拙守で逆転負けをしました。プロの監督でありながら終盤に守備固めをするというセオリーさえも知らないのには驚きましたが、もちろんそこは緒方監督とは違うので栗山監督は定石通り、肩の強い岡をライトにし、センターへ守備範囲の広い陽を据えました。しかしこの定石の采配さえも、マジックに例えられるにはさすがに持ち上げすぎというよりも、逆に栗山監督に失礼にあたるのではないか。

今回も栗山監督の<信じる力>に妙なスポットが当たってはいます。しかし<信じる力>の土台となっている的確に物事の軽重を判断する<峻別する力>にこそ目を向けていかなくてはならない。ぎりぎりの段階で吉川を切り、斎藤を敗戦処理、有原を切らずに選択するというこの絶妙な<峻別する力>にこそ栗山監督の本領がある。

実質0.8ゲーム差と考えるのが、最もわかりやすい。

ギリギリの瀬戸際の中での戦いが続きます。この筋書きのないドラマが真にスリルが楽しいと思えるのも、フィナーレは勝利の美酒を味わうからこそ。勝負は全く予断を許しません。一勝の価値が大きくなればなるほど、投手力の価値が相対的に上がってくるゲームが野球であり、SBにはまだ投手力に明らかに余裕があります。

最後に繰り返しになりますが110球に明確なボーダーを引く根拠が見当たらない以上、あそこで大谷交代だけはない。ふつうなら完全に負けていた試合であったことだけは改めて確認しておきたい。

大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。