大谷 二刀流 ルーツを求めて プロ野球歴史編 その2

未分類
06 /09 2015

今回はイチローと野茂について触れます。

巨人対西鉄の伝説となった日本シリーズから時は下り、1980年代のNPB、西武黄金期にありまさに無敵状態でありダイナスティと呼ぶにふさわしい堅牢な強さを発揮していた時代でした。そうした毎年、勝ち続けていたこの全盛期にあった西武の牙城を崩しペナントを制するチームと、最後に西武へ引導を渡したチームがありました。

どのチームが西武を倒したのかみなさんご記憶にあるでしょうか?1980年代後半にリーグ戦、連覇を阻止したのは近鉄であり、西武黄金期にピリオドを打ったのがオリックスです。

この2チームに共通することがあります。いったいそれは何か?


両チームの最も重要な共通点とは監督が仰木彬であったという点です。西武野球の基礎にはV9川上野球があったことは間違いありません。川上野球の頭脳でもあったV9戦士の森 祇晶こそが西武の監督でした。それは森へ禅譲した元巨人の広岡自身が言っていることです。すなわち、西武野球とは隙のなく勝ち続けたV9をひとつの手本としている以上、緻密なスモールベースボールであり、徹底した管理野球です。一方仰木近鉄は<いてまえ打線>でもわかるように、ラルフ・ブライアントと中心としたHR攻勢で相手をなぎ倒すビックボールのチームでした。その原型は、西鉄ライオンズの野武士軍団による流線型打線にありました。


両チームの特徴を表現するこんなエピソードがあります。西武VS近鉄の開幕戦での一コマです。開幕戦試合前のセレモニーが終えると西武の選手たちはベンチへ整然と戻るのに対して、近鉄の選手たちは各々がバラバラでベンチへ戻っていったというものです。監督による指導スタイル、管理統制と自由放任という実に対照的なチームカラーがそこにはありました。


巨人VS西鉄の構図が奇しくも数十年の時を越えてパリーグの覇権を争い、森VS仰木という形で現れたというわけです。恩師三原脩の「三原マジック」に倣って「仰木マジック」とも称されていましたが、病床にあった三原の晩年、唯一ただ一人身内以外で病院へ見舞いを続けた野球関係者がいました。そうした三原の最後を看取ったのが他ならぬ仰木彬だったというわけです。三原イズムの歴史的継承者である自覚を仰木彬は持っていました。このエピソードからもわかるように、仰木彬がかなり三原脩に心酔していたようです。言うまでもなく仰木彬はあの伝説の西鉄ライオンズのセカンドレギュラーです。


そうした仰木彬監督率いる近鉄に1990年に入ってきた大型ルーキーこそが、トルネードの野茂英雄でした。仰木彬は野茂の個性を尊重し一切、手を加えることがありませんでした。その野茂は自らの枠に当てはめようとして後に就任した鈴木監督と大きな確執を引き起こすことになります。更には翌年1991年、鈴木一朗という外野手がV9戦士の一人 土井監督のオリックスに入ることになります。


もしオリックス監督がV9戦士の土井のままであったなら、保守的かつ管理統制を大事とする以上、鈴木一朗は長らく二軍でくすぶり続けた可能性は否定できません。土井に代わって仰木彬監督が鈴木一朗の振り子という個性を受け入れその才能を見抜き、鈴木一朗をイチローと命名していなければ、日本の野球史そのものが大きく変わっていました。野茂もまた入団していきなり、鈴木監督からあれこれと口を出されていたら、すっかりやる気をなくしていたかもしれません。


v9戦士土井監督、300勝左腕鈴木監督。いずれも実績は十分です。しかし彼らの過去における偉大な成功体験に裏打ちされた物差しでもっては、NPBの新しい歴史そのものを変えてゆくことになるイチローや野茂のような存在を正しく把握しきれなかった。振り子にトルネード、個性そのものです。しかし仰木彬には野茂やイチローの個性も認める融通無碍な器の大きさがありました。三原イズムを継承する者であれば、己の管理下に選手を置こうとするよりもその個性を最大限生かすべく自由を重んじ、遠心力によってむしろ巨大な才能との距離をより一層取ろうとします。


時代と共に選手との接し方も変わっていかなくてはなりません。そうした意味で土井や鈴木はいささか少し古過ぎたのかもしれません。過去自分たちが成功してきた古いフレームワークでもって、新たなる巨大な才能まで推し量ろうとするには無理がありました。しかし仰木彬の流儀は、個を重んじるがゆえにイチローや野茂のような個性の塊のような天才たちをも深々と受容した。


いずれにして、史実として仰木彬監督しかあの黄金期にあった西武を打ち破ることもできなかったし、土井監督ならばイチローという命名をアイデアとして出し、新人として世に大きくプロモートすることもできませんでした。その仰木彬の野球哲学の根源にあるものとは間違いなく三原脩です。


三原の哲学である遠心力野球。チームの中心においては監督が束ねつつも、個々の選手が遠心力でより自由に大きな円を描きつつチームの力へと転換してゆくというものですが、その個性が日本のプロ野球という枠に収まり切らなかった時、野茂とイチローという類稀な個性は遠心力で外へと飛び出し最終的に着地した地点はメジャーリーグというフィールドであったというわけです。それにしても鈴木監督と出会わなければ、野茂が1995年にメジャーへ渡ることもなかったことを考えると、その出会いは一見不運にも見えながらそれはMLBへの道を切り開くという意味では幸いであったと言えるのかもしれません


野茂やイチローの深いルーツを辿ると、そこには仰木彬という存在を経由して三原脩というプロ野球史上、ひとつの大きな流れを作り出した巨大な存在がいることに思い当たります。率直に言って野村克也よりも遥かに巨大なエネルギーをこの三原脩という監督には感じるのです。

次回、最終投稿では 大谷の二刀流と栗山監督について触れます 

大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。