カブス史上最悪のトレード セイバーメトリクスの限界とルー・ブロックに輝きをもたらしたもの 

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09 /18 2016
ルー・ブロックと言えば、打率300 3000本安打 1000盗塁にメジャー史上最も肉薄した選手としての印象が強い。リッキー・ヘンダーソン出現以前において、盗塁の象徴と言えばルー・ブロックであった。カブスの歴史においてルー・ブロックを1964年にフラッグディールで放出したトレードは、史上最悪のトレードとされており、ブロックは移籍先で一気に才能を爆発させることとなる。

カブス時代のブロックと言えば、外野守備ではボロボロと落球し、打率も260前後と平均的な打者であり、唯一の取柄は足の速さであったがチームの方針もあって盗塁はわずか20個前後にとどまっていた。当時低迷を続けていたカブスのオーナーであるリグリーはひとつの打開策として、監督グリムを含む8人のコーチが交代で指揮を執るという前代未聞の策をとったと言われている。

監督が代わるごとにチームの方針が数週間毎に変わったカブスに上昇する気配があるはずもなく、選手としてブロックは大変戸惑ったともいう。更にはクラブハウスでの新人への陰湿なイジメのようなものもあり、ブロックは精神的に極めて厳しい環境の中でカブス時代を過ごしたと自伝でも書いている。常に失敗を恐れながら、ブロックはプレーしていた。ところがそんなブロックの潜在能力に目をつけていた監督が、カブスではなく他のナショナルリーグのチームにいたのである。それがSTLの監督ジョニー・キーンであった。 21勝という最多勝も受賞したこともあるエースのアーニー・ブログリオを放出してまでも、STLはブロック獲得へ積極的に動いた。

当初カブスは使えないブロッグを餌に大魚のエース格を釣り上げることができたとして狂喜乱舞の騒ぎとなった。しかしカブスへ移籍したアーニー・ブログリオは1964年以降全く振るわず三流投手になったのに対して、「自然体で、好きなようにプレーしてくれ。走りたかったら、好きに走っていい。ウチの機動力野球のリーダーは君だ」とキーン監督はブロックにグリーンライトを与え全幅の信頼を示した結果、ブロックはこれまでの精神的な一切のくびきから解放され、見違えるような選手として生まれ変わることになる。

1964年カブスでは251だった打率も6月15日以降カージナルスでは348にまで跳ね上がり、移籍後だけで実に33個もの盗塁を決めることとなる。このブロックの大活躍もありセントルイスはペナントを逆転優勝し、最後はワールドシリーズでもヤンキースを破り、見事、世界一に輝くこととなった。

この1964年のワールドシリーズにまつわる物語は「さらば、ヤンキース」を紐解けば、克明に描かれている。時代に適応できず、アフリカ系の選手を拒否し、このワールドシリーズを境に没落してゆくヤンキース帝国の黄昏。対照的にルー・ブロックやボブ・ギブソン、カート・フラッドらのアフリカ系の選手が主力となってチームを牽引し1960年代に二度も世界一に輝いたカーディナルスの姿をハルバースタムは見事に描くことに成功している。

ブロックを選手として開花させた最大の要因は、間違いなくメンタルにあった。ブロックのメンタルをキーン監督がフォローしたからこその大ブレイクであったと言っても過言ではない。増井がコンバートされて以降、劇的な活躍ぶりを示している最大の要因も、技術の進化などではなくまさにメンタルであった。絶対に失点できない場面でのクローザーから、ある程度の失点は許容され、試合を作ることが仕事であるスターターになった時、パフォーマンスは劇的に改善された。

サッカーのPKでも平均的な成功率というものが膨大なサンプルから求められるが、明らかに成功率が上昇するシーンと下降するシーンがある。外れても同点であり決めれば勝つというシーンでは際立ってPK成功率が高く、これで外したら負けるというシーンでは明らかにPK成功率が下がる。スポーツ心理学でも明らかになりつつありますが、メンタルがパフォーマンスに影響を与えていることは統計的にも明白であるのです。

今から10年前近くにセイバーサイトの説明を読んでいるとデジタルなアプローチこそが有意義であり、曖昧でアナログなメンタルがパフォーマンスに与える影響はないのだと結論していました。あるいは勢いや流れといったものも選手のバイアスに過ぎず、セイバーメトリクス的にはそうした主観的なものは排除し、客観的なデジタルの数字を取り扱うことが正しいあり方なのだともありました。

この文言を見た時、当ブログはセイバーメトリクスという技術の限界をはっきりと感じ取り、一定の距離を保ちつつもそこから学ぶべきものだけをしっかりと頂き、学ぶという態度を採ることにしました。

たしかに解説者もよくいう勢いや流れというものの多くはバイアスに過ぎないとは当ブログでも考えています。例えば四球でランナーが出すと流れが悪くなる。シングルでランナーに出すのとでは大違いであり四球は失点につながりやすいと解説者はよく言います。しかしそうしたアナログな解説者が力説している定説は基本的には真っ赤な嘘であるというデータが出ています。典型的なバイアスの例です。かくいう私自身、解説者の言う勢いや流れという言葉の8割は眉唾と聞き流しています。

しかしであるから、アナログな解説者や実際に試合に出ている選手が言う、すべての勢いや流れというものがほんとうに実在しないかと言えば、必ずしもそういう結論にはならない。

勢いや流れというものがなければ、なぜベースボールというスポーツに予測を超えたドラマ性というものが生ずるのかが確率論では本当の意味で説明できない。ものすごくわかりやすい例を出します。2016ヤンキースがファイアーセールをしてからの快進撃などは、セイバーメトリクスで予測することは可能であったかということです。チームの勢いとしか説明できないものが明らかに夏場のヤンキースにはあった。セイバーメトリクスで後から分析し説明することは何とでも後付けで可能です。しかし予測は不可能であった。

それは複雑系の<非線形な地震発生>という事象を<線形の確率論>で予測できるとして、予知を外し続けてきた日本の地震予知と極めて近いものがあります。詳しくは地震学のゲラー先生に譲るとして、複雑系の非線形な事象を確率論という線形で未来の予知を語るには必ず知の限界が出てくるのです。セイバーメトリクスによるプロジェクションとは、過去のデータを統計処理したものから未来の予測を試みるというものであり、一定の有効性は認められるにせよ、そうした統計の枠を超えたところに、ベースボールのドラマ性というものは生ずる。

勢いや流れといった非線形な事象を線形による確率論で的確に捉えることなど土台、不可能であるとしか言いようがありません。

セイバーメトリクス分析については当ブログの得意としている分野の一つではあります。しかしながらベースボールの全体性を把握するにはデジタルや線形という一面的な切り口だけでは絶対に不可能であり、セイバーメトリクスの限界についても絶えず意識しながら分析も試みてきました。デジタルとアナログ、フィジカルとメンタル、線形と非線形といった相反するアプローチを同時並行して行わなければその全体像へ迫ることはできません。確かに野球は数のスポーツでありデジタルな確率論が極めて有効となるスポーツでもある。しかしメンタルやケミストリー、勢いや流れを単純に否定する一部のセイバーメトリシャンが是とする態度は知性の欠如そのものである。



落合はフィールドしか見ずに監督業を行ってきたが、三原脩はスタンドとフィールドの両方を視野全体に治めていたように、野村克也が弱者の戦略に固執してきたのに対して、三原脩は弱者の戦略も強者の戦略も、どちらも融通無碍にゆくことができた監督でした。

スタンドとフィールド、弱者の戦略と強者の戦略、デジタルとアナログ、フィジカルとメンタル、線形と非線形、そこには明らかな境界線(マージナル)が存在しています。それらの二つがセットではじめて全体を成しているのであり、そのどちらに偏ることもなく、様々なるマージナルを自在に超えてベースボールを俯瞰し、その限りない深みにあるものを透視してゆく融通無碍な認識のあり方こそを求めなければならない。

結論

「ベースボールとはメンタルなスポーツであり、ケミストリーはチームスポーツにあっては極めて大事であり、勢いや流れは単なる主観的な思い込みなどではなく確実に存在する。」

これについては限りなく100%揺るぎない真理であると断言しておきます。そしてこの結論に至ったとしても、それは1ミリたりともセイバーメトリクスの有効性を否定するものではないことも付け加えておきたい。アナログな勢い・流れ、メンタルなものを安易に切り捨てる、誤ったセイバーメトリシャンの考え方を受け入れる必要など全くないのです。

その出自がバリバリのオールドスクール出身でありケミストリーを極めて大事にしつつも、同時にデジタルなデータ主義も柔軟に受け入れる名将マドンを見ていただきたい。どれだけセイバーメトリクスを学ぼうが、オールドスクールへ一定の敬意を示すようでなければ決して本物ではない。


大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。