大谷 二刀流のルーツを求めて プロ野球歴史編  その1

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06 /06 2015

今から65年前、NPBは1リーグから2リーグ制へ移行しました。プロ野球まさに黎明期であり、セリーグ8チームパリーグ7チームという乱立ぶりで、球界再編を迫られます。ちょうど再編によって数年前に楽天が新球団として立ち上がったように、今から半世紀以上前に弱小チームの寄せ集めとして出来上がったチームが、西鉄ライオンズでした。そしてこの楽天の如き超弱小チームを数年かけて強豪へと変貌させ伝説の三連覇へと導いた監督こそ、魔術師・三原脩です。楽天の星野と同じくこの三原もまた過去の因縁により 巨人に対して強烈な敵愾心を燃やしており、三原もまたそのGMとしての秀でた能力によって 星野同様、あらゆる手段を尽くして有力な選手をかき集め戦力を整えてのち勝利を勝ち取るという手法を取りました。

ドラフトやFA制度などもなかった時代、半ば強奪とも言っていい手法を駆使したのが三原脩です。特に有名なのは川上哲治と並んで当時、球界のスターであった大下弘の引抜きです。赤バット青バットという言葉を持ち出せばピンと来る方も多いでしょう。当時は<引き抜き>という言葉が、<トレード>という言葉同様、一般に流通していたようです。


パリーグにあって南海が全盛期でありましたが、そうしたリーグ優勝すら覚束ない頃から、三原脩がターゲットとして考えていたのは打倒、王者巨人でした。当時から巨人は一糸乱れぬ組織野球、管理野球をモットーにしていたわけですが、この管理野球に打ち克つには敵と同じことをしていたとしても勝てるわけがない、個性を最大限重視し責任に裏打ちされた自由を打ち出した遠心力野球を標榜する以外にないと三原は考えるに至ります。


野武士軍団という型破りでアクの強い個性派の集まりの起源は打倒 巨人にあります。この点は、極めて重要です。行儀の良い紳士な巨人の野球に勝つには荒くれ者たちの豪快さが必要であったと名将三原は考えたということです。


巨大な戦力を持ちつつ徹底した管理という方向性を打ち出し緻密な組織力によって勝つ巨人野球と個性重視の自由放任という方向性を打ち出し豪快さを束ね、強さへと転換してゆく西鉄野球。それはスモールベースボールとビックボールという区分けをすることも十分に可能です。巨人がオールドスタイルの2番は確実バントで送るというスモールなスタイルを貫いたのに対して、西鉄の三原は<流線型打線>と評し、2番に小技など一切しない30本近いHRを放つ強打者、豊田を配置するというまさに、ビックボールを採用することになります。


この巨人VS西鉄という構図にこそ、弱者の戦略(緻密なスモールベースボール)という日本プロ野球の保守本流の流れと強者の戦略(豪快なビックボール)という傍流の二つの大きな流れが出来たことを意味しています。


ひとまず今日の投稿はここまでです。次回以降明らかにしていきますが、大谷のルーツを迫ることは実はイチローや野茂のルーツに迫ることにも繋がってきます。それは決してこじつけでもありません。



大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。