田口壮の解説力 その奥深さを探る

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07 /09 2016
MLBを解説するにしても何かが田口壮の解説は他の人と違ったはずです。これから田口壮の解説はいったいどこが秀逸だったのか、当ブログから眺めた解説を試みます。

通常、解説者はシーズン直前に順位の予想をします。そして予想は外れるが相場です。

前年地区優勝したそのオフに、サイヤンガーのマックス・シャーザーを獲得して満を持して2015のシーズンに臨んだWSHは、セイバーメトリクスのプロジェクションでも30チームで最もPOに出る確率が高いとされていました。同じく前年地区最下位に沈んだTEXは、大した補強もせず開幕直前に絶対エース・ダルビッシュをトミー・ジョンで欠いて、もはや勝ち目は全くなしという状態で2015のシーズンに入りました。

結果的にシャーザーまでも補強し万全の体勢であったWSHは負け、最下位でありながらダルビッシュまでも欠いたTEXが地区優勝を果たしました。まさしく三原脩の言うように「野球とは筋書きのないドラマである」であり、2015このような結果になることは誰ひとり予測できた者はいなかった。

前提としてセイバーメトリクスに基づくプロジェクションというものは大変有意義なものであり、前田健太の0.00台のERA予測などは3.00台へ向かうことがはっきりと示されていました。(もっとも2016が2点台へ帰着する可能性は十分あります。サンプルが一年程度では投手によってはE-Fが1.00以上開くことは決しておかしくはありません。)前田のERAが今後どうなるのか、こうしたセイバーメトリクスに基づく予測を帰納的予測と言って、間違いなく一定の精度を持っておりベースボールとは数のスポーツというように、統計学に基づいた<予測可能性>を帯びたスポーツであるということが言えます。一方において、2015のWSHとTEXが象徴しているように、ベースボールとは帰納的な予測を超えた複雑系のスポーツでもあり、<予測不可能性>を帯びたスポーツでもあるということになります。

このようにベースボールの奥深さというものは、未来への予測不可能性と予測可能性の狭間にたゆたっている点にこそある。一定のドラマ性と合理性の融合にこそ、その妙味があると言ってもいい。

猪瀬アキという評論家がいます。個人的にはとても好きなのですが、彼は未来についても明確な意見を書きます。そしてこれがまた実によく外れるのです。しかしながら多くの評論家が単なる情報を流している中で積極的に未来をも語る猪瀬アキには外れるリスクを取るだけの勇気がある。レスリングの吉田沙織が次の試合に勝つかどうかを予測するのはそれほど難しくはありません。それに比べるならば、ベースボールの未来を語るということは数段難しく、ドラマ性こそがベースボールの大きな魅力であるために、未来への予測には外れるリスクが必ず付き纏います。しかしそんなことを承知しながらもリスクを取って敢えて一歩前に出る。仮に情報だけを伝えるならそこには何のリスクも発生しません。率直に言って言葉が全く紐付されておらず絶対匿名の完全なる安全地帯に身をおきながら、勇気をもって将来を予測した者が外れたらそれを小馬鹿にするような落書きレベルの後出しジャンケン批判よりも、どれだけ外れようが猪瀬アキさんのあり方は数段以上優れていると当ブログでは考えています。

神であってもベースボールの完全な予測は不可能であることは、複雑系という科学でも立証されている。結果論からすれば、張本のように誰でも神の視座を持ち絶対に正しいことを語れます。たまに予測するにしても2016巨人が首位の時にこのままいくだろうとし、広島が首位になったら手のひらを返して広島がこのままゆくとする。これでは単に結果をなぞっているだけで何の意味もない。2015横浜が首位の時、本物だと言ったのは張本でした。しかしこれでは本当の意味での深い洞察力を得ることができません。

ベースボールには必ず勝者と敗者が存在しています。

すなわちこの両者を分かつ根源的な戦いの法則・原理がたしかに存在しているはずです。だからこそ勝った負けたという結果に目を奪われることなく、プロセスのそのもっと奥深いところに横たわっている<戦いの原理>に対して、当ブログでは焦点を当てそれを明瞭な言葉によって紐解こうとしていています。

もちろん2016CHCのように計画通り打つべく手を打ち、着々と勝利を積み重ねPO進出についてはおそらくは間違いのないチームもあります。一方で、2015WSHのよう、正着を打ち込んでもベースボールでは思うような結果が出ないことがある。そこがベースボールと化学反応とは決定的に違っており、こういうプロセスを踏めば必ずこのような結果に至る、という完全なる科学としてベースボールは成立していない。

原因(プロセス)と結果を正しく結びつけその因果を紐解かなければ、戦いのセオリーというものを見出すことはできないが、単純に原因(プロセス)と結果を結びつけてすべてを語るにはベースボールというゲームは余りに複雑系である。こうした原因と結果におけるジレンマがベースボールには存在しているからこそ、「原因(プロセス)と結果を正しく結びつけるというベクトル」と「プロセスと結果を単純に結びつけることなく二つを分けて考えるというベクトル」の相反するの二つを持っていない限り本当の洞察力の深みへ降りてゆくことはできないようになっています。

ベースボールにおいて「なぜ、そうなっているのか?」という深い問いかけに対して、こうした相反する二つのベクトルを内包できる人だけが結果論というバイアスから逃れて、ベースボールという事象をありのままに眺めることが可能となる。この<原因と結果を正しく結びつける力>と<原因と結果を正しく切り離す力>の2つを具有している解説者の代表格こそが田口荘であり、他の解説者との差別化を図ることに成功をしています。ここが桑田とも微妙に違う点です。やや桑田は原因と結果の連鎖で過剰に説明しきろうとし過ぎです。

解説者・田口荘には原因と結果の連鎖を的確に紐解けるだけの明晰な知性を持ちながら、同時にベースボールに内包している一定の<不思議さ>を無理に紐解こうとしない知的な謙虚さを田口は持っていると言ってもいい。張本にはこれが決定的に欠けています。

あっぱれか喝かだけでは峻別できない領域がベースボールには宿っている。

ベースボールの奥深さというものは、未来への予測不可能性と予測可能性の狭間にたゆたっている点にあるからこそ、解説力のクオリティというものが如実に明らかとなってしまうゲームでもある。


大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。