2010年 SEA超守備型戦略に何を学ぶべきか

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05 /31 2015
打ち出した方向性は正しくても、結果怪我人や不運にも見舞われて、結果が出てこないということは十分にあります。チームによっては勝率500を切るということもあるかもしれない。しかしながら正しい戦略を打ち出したにもかかわらず、100敗をも越える大惨敗という結果が出ることは絶対にあり得ません。


「戦略は正しかったが、結果リーグ最下位の100敗を喫した」こうした日本語は成立しないと考えるのが筋です。


もしあの超守備型戦略が正しいのであれば、その方針を徹底して貫くべきですね。しかし結果はどれだけチャレンジしようがおそらくはまず出ないと言っていいです。なぜなら「戦いの原理」に照らしてあの方針は明らかに間違っていたからです


SEAは2009年の成績に気を良くして、超守備型戦略へ邁進したというのがおそらく真相です。スモールな野球を打ち出し2009は珍しく貯金をしたSEAですが得失点差そのものはマイナスでした。つまり2009SEAは力による貯金というよりも運による貯金であった。しかし力による成績であったとその現状認識をズレンジックは間違えて、この方向でいいのだと2009を更に先鋭化させ2010超守備型と突き進んでいってしまったというところでしょう。




本拠地がピッチャーズパークであり、時代もスモールへと突入してきた故に ターゲットとしては徹底して守備を含めた防御力を高め、結果、最終目的であるフラッグを手に入れようとする構想、一見正しそうに見えるし、多くの人はその構想に酔いました。おそらくはSEAファンの80%は肯定的にズレンジックの構想を受け入れた。かくいう私自身もだまされそうになりましたが、(笑)最終的にはシーズン直前あの当時、ズレンジックの戦略を受け入れないという立場を取りました。ある意味、冷や汗ものでした。


当面の目標であった防御力を高めることはある程度達成されたのではないでしょうか?リーグ4位のERAであったはずですから。しかし目的は叶わずぶっちぎり最下位でした。SEA2010に見る目的と目標の大いなる齟齬はどこから生じたのでしょうか?実に意味深です。


野球は投手力である。守備ももちろん大事です。それらを単に否定しているわけでもありません。得失点差を+にしてゆくための重要な一大要素ですから。しかしながらベースボールは防御力そのもの、失点の少なさを競う競技ではありません。あくまで得失点差によって優劣が決するゲーム。

バスケの神とも言われるマイケル・ジョーダンも言っているそうです。「やはりディフェンスこそが重要なのだ」と。バスケのみならずあらゆるスポーツにおいてディフェンスの大事さを強調する言葉は数多く見出すことはできるものの、ペナントにおいてオフェンスよりもディフェンスの方が重要性がより高いという統計的な結果は得ることができない。それがファクトです。たしかに言われてみれば攻撃による1得点も防御において1失点も、基本的には全くの等価。もちろん、ベースボールは他の競技と違って競技場が各球場で個性を持っていますから、地の利を生かすべきであり守備重視という戦略を採用することは全く持って理にかなっています。そのことを否定しているわけではありません。



先ほど読んでいた本の中で、南海の野球殿堂入りもした広瀬 叔功はこんなことを言っています。


「野球とは守るだけでも、攻めるだけでも勝てるものではない。投打のバランスがきれいに揃ってこそはじめて勝てるものである。」

ペナントを制するにあたってあそこまで極端な守備型思考で作り上げたチームは歴史上ほぼないでしょうが、壮大な2010SEAの実験が明らかにしてくれたことを正しく学んでゆく必要があると思います。

技術とは得てして二律背反するものを両立せしめるような奥深いバランス感覚が求められるものです。優れた弱者の戦略の深奥には必ず絶妙なバランス感覚があります、それを何とか探り当ててゆくことが当ブログの目的でもあります。それこそHOUの戦略に見られるような守備においてGB最大 攻撃においてFB最大というようなバランス感覚です。
超守備型にする、そこにはバランス感覚は必要ありませんから。




大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。