WBC決勝ラウンドを前に、よりフェアーな判定システムの構築を望む。集合知、人工知能、トラッキングシステム・・・

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03 /18 2017
ふっと単純に思い浮かんだアイデアの一つです。あくまでお遊びの思考実験です。現実的でないことは百も承知。どうかごゆるりと。今回は10年ほど前に社会学において発見された<集合知>からチャレンジシステムについて見解を述べてみます。

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チャレンジシステムに疑念を感じざる得なかったのは、2016のポストシーズンでのことです。

先取点を獲得したチームの勝率が圧倒的に高いというデータがある戦いにおいて、NLCS第四戦、LADが先取点を取れるかどうかの非常に重要なシーンでのチャレンジでした。走者はゴンザレス。チャレンジのスローを見た瞬間に、セーフであると個人的には確信しました。ご存知のようにスタジアムの歓声も映像を確認し、大盛り上がりとなりました。

ところがチャレンジでアウトと判定された。

球場はLADファンで埋め尽くされており応援するチームを贔屓にするバイアスがかかっているので、球場の反応はあてにはできない。これは私個人の認知バイアスの可能性もあると考え、そこで不特定多数の雑多な人が集まっている実況掲示板ではどう語られているのか、参考までに覗いてみました。するとチャレンジのシーンがTVで流れたところで次の瞬間に、「セーフ」「セーフだ」「セーフ!」「セーフ」「これはセーフだ」というコメントが瞬間的にものすごい勢いでズラズラと並んでいたわけです。圧倒的多数でした。

この時、もしチャレンジシステムに集合知が入り込むようなシステムがあったのならどうだったであろうか、そうふっと思いました。ここからは思考実験です。まず社会学において、今から10年ほど前に大きな発見として取り上げられていた<集合知>の典型的なエピソードを最初に挙げます。


「その奇妙な現象は、ヴィクトリア時代のイギリスの片田舎で開催された「雄牛の重量当てコンテスト」で見つかりました。発見者は、ダーウィンの従弟で、優生学の創始者としても知られる統計学者フランシス・ゴールトンです。

コンテストは、6ペンスを払って雄牛の体重を予想し、もっとも正解に近い参加者が景品をもらえるというものでした。約800人の参加者のなかには食肉関係者や牧場関係者もいましたが、ほとんどは興味本位の素人で、彼らは当てずっぽうでいい加減な数字を書き込んで投票していました。

このコンテストに興味を持ったゴールトンは、主催者から参加チケットを譲り受け、統計的に調べてみました。ゴールトンは最初、参加者のほとんどは「愚か者」で、正解を知っている「専門家」はほんの少ししかいないのだから、参加者全員の平均値はまったくの的外れになるはずだと考えました。

ところが驚いたことに、参加者の予想の平均は1197ポンド(542.95キロ)で、雄牛の体重は1198ポンド(543.4キロ)だったのです。正しい状況下では、集団は極めて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中で一番優秀な個人の知力よりもすぐれている。すぐれた集団であるためには特別に優秀な個人がリーダーである必要はない。集団のメンバーの大半があまりものを知らなくても合理的でなくても、集団として賢い判断を下せる。」

参考文献『「みんなの意見」は案外正しい』


これはあくまで一例に過ぎません。条件さえ揃えれば専門家の意見よりも『「みんなの意見」は案外正しい』ことが<集合知>という概念によって学術的にも明らかになっています。ただし<衆愚知>などもいくらでもあり、<集合知>が成立するためには条件があることは非常に重要なので抑えておいてください。

集合知が成立する要件のひとつに、「参加者が多様であり、ほかの参加者の影響を受けず、たがいに独立していること」があります。例えばリグレーフィールドのような場所でカブスファンによる判定は、集合知を集約するには有効なサンプルには成り得ないわけです。バイアスがかかっているためカブス有利の判断をするためです。

ところで、2016のワールドシリーズ、カブスのホーム・リグリーフィールドでこんなことがありました。CLEの攻撃時に内野ゴロで1塁でアウトの判定の際でのチャレンジ、解説者の斎藤隆が「同時はアウトでしたっけ(同時はセーフ)」という大歩危をかましていたシーンのことです。個人的には「なんとなく同時っぽくセーフに見えるが、微妙でよくはわからない。アウトと見えなくもない」という印象だったので、おそらくカブスファンはこの映像を球場で見て、アウトであるとそれなりに盛り上げるだろうと想像していました。

そして次の瞬間とても印象的だったのです。TVでチャレンジのスローが映し出されてから遅れること約1分。アナウンサーが「ただ今、球場のバックスクリーンにもチャレンジのシーンが流されています。(セリフは大体の記憶)」と言うや否や、カブスファンで埋め尽くされていた球場全体が盛り上がるどころか、シーンとしてしまったのです。映像を前にカブスファンは嘘を演じることはできなかったわけです。これは一つの新鮮な発見でした。

映像を眺めてアウトかセーフかを判断するのに特別な専門知識は必要ありません。1年程度の集合知システムを検証する試験段階を経てトライアンドエラを繰り返し改良すれば、集合知をチャレンジに生かせる可能性は十分にあると、そんなことを感じました。(カブスファンは押し黙ったにもかかわらず、結果チャレンジは却下のアウトのままとなりました。)

メッシが八百長と認定した鹿島vsレアルのセルヒオ・ラモスへ2枚目のイエローを咄嗟に引っ込めた判断などがその典型ですが、ボクシングのタイトル戦で内容では完全に負けていた亀田に判定勝ちとした試合といい、2002ワールドカップの韓国BEST4をかけた対スペイン戦の完全なる八百長といい、WBCの西岡タッチアップアウトのデビットソンの判定といい、全盛期の浅田真央に不当に低い得点しか出さなかった女子フィギュアの不可解なジャッジといい、夏オリンピック100kg超級決勝で中国審判による日本の原沢選手へ開始数十秒で指導を出したことといい、ジャッジの力が試合そのものを決するケースは枚挙に暇がありません。

舞台が大きくなるほど審判はよりフェアーになるという幻想。

武士道精神が伝統に流れている日本人はそうした幻想をついつい持つ傾向にありますが、実際はその逆で舞台が大きくなればなるほど利害が大きく絡むため、アンフェアーになる傾向が強く出てきます。もちろん大部分の試合ではフェアーな判定の元に試合が行われていることは言うまでもありません。しかし実際のところ、9月のワールドカップ予選のUAE戦でも明らかな八百長が日本のホームでまかり通り嵌められたのはご承知の通りです。こうしたことを語るのは本来、タブーなのかもしれませんが、だからこそ敢えて踏み込んで書いています。

集合知の本を読むとフィギュアのような専門性を擁する採点であっても、分業制を確立し、素人であってもある程度の知識と訓練すれば数万レベルの集合知によって、プロの判定とも互角にわたりあえることは実は可能です。(工夫やアイデアもありますが、ここで詳細を書きません)。もっとも素人の集団に大事な判定に介入させるというアイデアそのものが固定概念が障害となって実現はまずないでしょう。しかしはっきり言ってそれは専門家の驕りと言うべきものであり、条件をきちんと整えてやりさえすればビッグデータを活用した集合知をチャレンジ等に活用できる可能性が開かれているのです。

事実として、過去チャレンジシステムで誤審があったことをMLB機構が認めたという事例がありました。チャレンジによる専門家の判断が絶対でもありません。

基本的に私はコンサバティブな人間であり、もっとはっきり言えば衆愚知についてはかなり敏感な人間です。例えばみのもんた司会「ファイナルアンサー」でお馴染みのミリオネアという番組がありました。回答者は、四択問題に答え続け15問連続で正解すると本家アメリカでは100万ドルがもらえるそうです。答えに詰まったとき、スタジオの観覧者にアンケートをとりその結果を見て答えるというオプションがあります。私自身、会場のアンケート結果はあてにならないと高を括っていたタイプの人間でした。アンケートを参考にする、それは会場の最も平均的な認識力に頼るというイメージを漠然と持っていたからです。一方、アメリカ版ミリオネアではやその問題に詳しそうな専門家に電話で助言を求めるオプションもありました。ここが日本版とは違うところです。

会場のアンケート VS 専門家。この正答率はどうなっているのか。集合知という概念を知ってから、当然気になるので調べてみました。

四択問題なので、まったくランダムに答えると正答率は25%。専門家の助言に従った時の正答率は65%であったそうです。さすが専門家といったところです。では会場のアンケート結果による集合知の正答率はどうだったのか。10年間のサンプルでアンケートによるその正答率実に91%であったそうです。

なぜあのゴンザレスの走塁がアウトだったのか、率直に言って未だにさっぱり私にはわかりません。何もチャレンジで最終判断を下している専門家が八百長をしているということがいいたいのではありません。ただ「アウトである確証が得られなかったためにゴンザレスのチャレンジはひっくり返らなかったのだ」という解釈を額面受け取るには、瞬間的に確信をもってセーフであると判断した人が明らかに多過ぎるのです。

ちなみにそのシリーズにおいて、明らかに審判のボールストライクの判定がカブス寄りに偏っていたためか、自然発生的にカブパイアなる言葉が造語され、一般に流通していたことも付記しておきます。

野球のジャッジで個人的に最も印象に残っているのは第三回のWBC準決勝・前田の立ち上がりの判定です。プエルトリコも言ってみればメジャー代表の片割れです。日本に三連覇はならんということなのか、重要な立ち上がりの判定で何度も繰り返し、完全、完璧なストライクをボールと判定されました。第一回WBCの米国VSメキシコ戦でもメキシコの完全なホームランを2塁打と判定するなど、審判が勝敗を左右することがあってはならないと考えています。

あのメジャー通で知られるパンチョ・伊東さんもメジャー審判の技術の酷さは、日本の審判のクオリティの比ではないと明言していましたが、両方とも見ている者ならば誰でもわかることです。よりフェアーな判定を求めるならば今後、チャレンジも含めて集合知や人工知能、field F/Xやpitch F/Xに代表されるような最新鋭のトラッキングシステムを統合したよりフェアーな審判システムの構築が望まれます。もしMLB審判の組合による反発が大きいというならばせめてWBCの決勝ラウンドで最新の審判システムを試すというのがあってもいいのではないだろうか。

第一回の決勝はキューバであり、第二回は韓国でした。対戦相手はいずれもメジャー代表の片割れではなかった。過去のWBCの歴史やMLBの審判の技量を見てきた限り、今回の決勝ラウンドでは審判が勝敗を決することがないことを切に望みたい。

付録)

「MLB 戦いの原理を求めて」をスポナビにエントリーするまで

という記事においては多数は必ずしも正義とは限らないという<衆愚知>について書きました。今回の記事は<衆愚知>の対極にある<集合知>からのアプローチということになります。<衆愚知>から<集合知>へ。マージナルを跨ぎながら如何に思考を重ねていけるのか、それこそが当ブログの生命線でもあります。


大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。