名将フランコ―ナの光る采配 インディアンズの野球をセイバーメトリクスする

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10 /12 2016
盗塁数リーグ1位。盗塁成功率リーグ1位。
犠牲バント リーグ3位。
犠飛 リーグ1位。
アルティメットベースランニング リーグ1位。
DRS リーグ6位。 UZR リーグ3位。
防御率 リーグ2位。ブルペン 防御率リーグ2位。
総得点 リーグ2位。

走攻守。これほどバランスの取れた戦力の整ったチームは、ALにはCLEを除いて一つもない。

ALDSにて9番ペレスがレフトフライからタッチアップで2塁へ進塁したように、ベースランニングには特に大きな力を入れているのがCLEでもあり、セイバーメトリクス的にもアルティメットベースランニングがリーグ1位を記録している。「成功率を下げてもいいと言うなら80個の盗塁することもわけはない」とイチローは言ったように、盗塁数と盗塁成功率は一般にトレードオフの関係にある。CLEのナポリやサンタナ等も含まれての盗塁成功率80%超の数字は、イチローの通算における盗塁成功率とほぼイーブンであり、これは何を意味しているのかと言えば、CLEの走塁技術に関するソフトの充実ぶりが数字にもはっきりと表れているということでもある。無論、リーグで唯一の80%越である。投手の癖や心理状態なども含めて研究し尽くした形跡がそこにはあるとも言えるだろう。

足によって敵の隙をどこまでついてゆくCLEの野球。その一方で強力な守備陣と投手力によって相手に付け入る隙を与えないスモールベースボールをCLEは志向している。BOS最終戦にあっても全得点は2度の犠牲バントを絡めたものでもあった。もしカラスコとサラザールが故障していなければその豪華なスターターと強力な攻撃陣をも擁した点も併せて見れば、KCをバージョンアップさせたスモールベースボールを志向したチームとなっているとさえ言える。

カラスコとサラザールがいれば、CLEの総合力は非常に高いものでありフランコーナも弱者の戦術を駆使しおそらくここまで極端な形でミラーの前倒しギャンブルを積極的に仕掛けることもなかったはずである。クルバーの時のようにレギュラーシーズンの継投で十分となる。もし監督がレギュラーシーズンのスタイルにこだわったショーウォルターがCLEの監督であったなら、BOSスィープということもまずなかったのではないだろうか。

魔術師・ギルホッジスも言うようにレギュラーシーズンでは戦力が大きくものをいうステージであるのに対して、監督の力量が勝敗に直結することもあるのが短期決戦である。またもうひとつの地区シリーズにおいて、TORの最終戦における決勝点は、TEXのオドーア送球エラーとTORのドナルドソンが隙を逃さず付け込んだベースランニングにあったように、圧倒的な戦力差がないチーム同士の戦いにおいては、細やかなスモールの質が勝負の大きな分かれ目になることがある。

短期決戦の戦い方を心得たボウチーが名将たる所以を、NLDSでも随所に発揮している。負けたら終わりという第3戦。絶対エース・バムガーナーを起用するも調子が悪いと見れば5回で降板させている。ドジャースのロバーツ監督も徹底して勝負に出ており用兵自体を眺めても特におかしいと思えるところはないが、ディビジョンシリーズで毎回ほぼ姿を消してしまうLADの短期決戦での弱さはすっかりファンの間では定番と化している。

このままSF、LADともにNLDSで姿を消すのか。はたまた、逆転で勝ち上がってゆくことができるのか。LADはエースもクローザーも、レギュラーシーズン通りの力を発揮しているとは到底言い難いものがあるだけに、監督への依存度は必然高くなる。

短期決戦で力を発揮する選手とそうでない選手がいるように、短期決戦で強いチームと弱いチームは確実に存在している。そうである以上、両者を分かつ短期決戦における戦いの原理原則もおそらくあるはずである。バンビーノの呪いを打ち破った一大転換点となったのは現LAD監督でもある代走ロバーツの「The Steal」にあったように、ひょっとするとロバーツを監督へ据えたひとつの要素はフリードマンがロバーツの勝負強さや運の強さといったものも高く買ってのものだったのだろうか。

ベースボールで勝利するためには単に力だけではなく運をも必要とするスポーツである。

優勝候補筆頭は言うまでもなく戦力的に頭ひとつ抜けているチームはCHCということになるだろうが、当ブログ的には2枚のエース格を欠いたCLE、及び追い込まれたSFとLADの動きに今プレーオフでは特に注目をして観ていきたい。

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「なぜOAKはプレーオフで勝てないのか?」


勝負師フランコーナの5回ミラー投入とショーウォルターのブリットン温存 そして9回大谷降板について

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10 /08 2016

レギュラーシーズンではチームにおける運不運はおおよそ相殺されるため<実力>がむき出しになるステージであり、実力が平均的に出力されるように選手の故障等、「リスク管理を徹底する」ことが大事な要素になるのに対して、短期決戦では実力よりも<運>が大きくなるステージであるために、ギャンブル(運に賭ける)を仕掛けそれが成功した際のリターンが大きいために、「<リスクを取らない>というリスク」をこそ真に怖れなければならない。

名将ラルーサは「ワールドシリーズとはラスベガスみたいなものだ」と選手にクラブハウスで語りかけたように、短期決戦においてリスクを取ってギャンブルを仕掛ける重要性を説きました。またラルーサは「短期決戦では継投が大きなキーを握る。」と言います。言うまでもなく、レギュラーシーズンと短期決戦では継投のセオリーは違ってきます。

例えば通常、延長戦における継投のセオリーは、先行ビジターチームと後攻ホームチームでは異なります。先行ビジターチームであるBALは通常の789回と同じように延長に入っても勝ちパターン投手のなかでランクの低いリーフ投手から投げさせて、勝ち越したら裏の回にクローザーを投入するというスタイルを取るべきであるのに対して、一方後攻のホームチームTORは、勝ちパターンのなかで最高の投手から注ぎ込んでいくのがセオリーとなっている。

ショーウォルターはレギュラーシーズンのセオリーに従って継投をしたということになる。結果ブリットンを投入せずに敗戦。これが果たして短期決戦におけるセオリーでもあるのかどうかということです。

レギュラーシーズンの戦いでは目先の一点にフォーカスをさせ過ぎず、常に長期的な利益の観点(リスク管理 戦力温存)も持つことが大事になるが、サドンデスの短期決戦では目先の一点にフォーカスし、フルスロットルで前倒し気味に良い投手から継ぎこんでゆくことが戦いのセオリーとなる。レギュラーシーズンとはマラソンであるならば、短期決戦とは100m走と表現することもできます。マラソンなら力(ブリットン)を温存という考え方もありですが、100m走なら基本、力を温存するという考え方はあまりなじみません。

ショーウォルターは延長の後のことを考えてリスク管理をした采配・・・?

リスク管理よりも、短期決戦ではリスクを取ってでも一か八かの勝負にでなければならないシーンがある。クローザーを温存して負けたBALとクローザー級のセットアッパーを前倒しで起用して勝ったCLE。結果論ではなく、これは勝負に出たフランコーナの方がショーウォルターよりも、短期決戦の戦い方をよく知っていたということです。

「KCヨースト監督に見る 真のリスク管理とは何か」

昨年も繰り返し書きました。

「一発勝負だからこそリスクを恐れて慎重にいく、それも大事な考え方ですが、それ以上に一発勝負だからこそ敢えてリスクを取ってでも大きなリターンを目指すという考えがより大事になる、それが短期決戦での戦いの要諦となる。」

監督の能力の差がはっきりと出た象徴的なシーンであったと言ってもいいでしょう。フランコアのあの5回ミラー投入を見て、思わずフラッシュバックしたのは青木が在籍していたKC2014のワールドシリーズの第四戦リードをしていた5回でした。この試合に限り5~6回からへレイラを前倒しで投入すればこのワールドシリーズほぼ確実に取れるという視界が一気に開けたシーンがありました。

「この試合に勝って3勝1敗。ついにKCが世界一を取れる大チャンスが来た」と思いながら観戦していましたが、結果、ヨーストはシーズン通り継投も7回からとワンテンポ遅くその試合を逆転されることにより落とし、WSでも敗退しました。目先の一点が極めて重要なPOでは、投手の継投もレギュラーシーズンとは違い、良い投手を基本的には前倒しで投入すべきです。

次の試合のことは括弧に入れてギャンブルの前倒しでミラーを投入した5回「これは面白い!フランコーナは2014ヨーストやショーウォルターよりも確実にできる。結果はどうであれ、一戦必勝の勝負に出たこの判断は決して間違いではない。」と感心しながら観戦していました。レギュラーシーズンの勝利してきた型・スタイル・方程式・定石といったものを、短期決戦においてはかなぐり捨てるべきシーンが訪れることがある。

継投で言うともうひとつあります。2年前の2014NLDS 1点差リードで9回2アウトからSFパニックを四球で歩かせて、完璧な投球をしていたWSHはジマーマンを型通りクローザーへ交代させ同点に追いつかれ、結局延長18回をSFに制されて、その年SFは世界一に輝くこととなりました。なぜ絶好調のジマーマンに最後まで任せなかったのか、決して結果論ではなくこの判断は間違いであったと言えます。

同じようなことは日本のソフトバンクと日本ハムの天王山でもありました。9回日本ハムはクローザー不在の中でなぜか絶対エース大谷を降板させ継投をしました。結果は陽の超ファインプレーによって試合には勝ったので継投ミスについて指摘する記事はほとんどありませんでした。しかしながらたとえ試合に勝とうが継投ミスは継投ミスです。あの試合をもし落としていたら、結果日本ハムはどうなったか?ソフトバンクのマジック1点灯で最終戦の楽天とSBは当たっていたということです。消化試合ともなっておりSB最終戦は松坂投入で負けていましたが、栗山監督の継投ミスで2016はSBに最終戦でリーグ優勝をさらわれていた可能性も十二分にあったと言えます。

継投などせずに絶対エースの大谷で9回もあの天王山に限り行くべきでした。結局、最後の西武戦ではそのミスに監督も気づいたのか、大谷を完封させることになります。状況は1-0か2-1というもので、1点差で9回を迎えるというものでありほとんど変わりありませんでした。昨日のSFも9回万全のクローザーがなかったために、絶対エース・バムガーナーでボウチーは完封させました。全く正しいボウチーの判断であると言えます。

結論

レギュラーシーズンのセオリーに必ずしも短期決戦ではこだわるべきではない。短期決戦における継投のセオリーに照らしてみた時、結果の如何に問わず、ブリットンを残しての敗戦はショーウォルターの継投ミスであったように、天王山での絶対エースの大谷降板も栗山監督の継投ミスである。監督の判断ミスひとつが命取りになることがある。

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「田口壮の解説力 その奥深さを探る」

なぜ張本勲・野村克也は栗山監督を未だ認められないのか

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10 /03 2016

二人ともに超一流プレイヤーであった点についてはリスペクトしつつも、今回はそれらをすべて括弧に入れてベースボールを観る技術の観点から話を展開していきます。今回はリベラルアーツと反知性主義の話です。

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みなさんよくご存じ、朝から「喝だ!あっぱれだ!」と叫ぶ、張本勲という評論家がいます。2016もソフトバンクが独走していればSB優勝は間違いない、ジャイアンツが抜けだせば巨人がこのままいくとしたこの張本という解説者は典型的な結果論というバイアスにかかっています。ついでに言うならば昔良かった凄かったというノスタルジアバイアスにもこれほど見事にかかっている人も実に珍しい。こうしたバイアスによる偏見には枚挙に暇がなく、張本の解説とは結果から見てプロセスを後付けで解釈するといったレベルの作業しかしていないことが極めて多いと言えます。それとは正反対の立場を取っていたのが田口壮でした。下記の記事においてそれもある程度明らかにしたつもりです。

「田口壮の解説力 その奥深さを探る」

ちなみに張本は日本ハムが最下位の2013年に何と言っていたか。「二刀流が原因で最下位になった。即座に二刀流はやめるべき。」というものでした。全く出鱈目な解説。言いたい放題であり、論理の飛躍といった詭弁も著しく、二刀流を是として最下位の日本ハムを擁護した立場を取った当ブログとしては、対極にあっただけに鮮明にそのことはよく覚えています。

そしてそれは何も張本だけではなく世の多くの意見もそれほど大差はなかったはずです。

エラーするのは何もプレイヤーだけではない。解説者も多くのエラーをする。基本言い放しであり、自らの言動には一切責任を取ろうとしないのは何も張本のようなニ流の解説者だけではなく、そうした言動はJ民やSNSにも数多く満ち溢れており、それはマスメディアやスポーツライターとて例外ではありません。

「殿堂入り 私ならバリー・ボンズへ投票する ジャーナリズムの精神とは何か」

MLBカテゴリーでかなり気合を入れて書いたものです。この記事は種を明かせば、実は社会学者のマックス・ウェーバーという人の思想を受けて書いたものです。如何に多くのスポーツライターという種族が、ジャーナリズムの精神の欠片もない曲学阿世の徒であるかを明らかにしたものです。曲学阿世とは時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱えること。ボンズの記事だけでも是非一度目を通してもらえたら幸いです。スポーツジャーナリズムに対して、かなりの強烈なカウンターを入れたつもりです。

もし時間をさかのぼって<解説そのもの>について再現VTRを流して「喝だ!あっぱれだ!」と評価するコーナーがあったとしたら、張本の解説のひどさには喝や大喝の連発となるはずです。この解説者の特徴は「固定概念・バイアス・詭弁」反知性主義の象徴とも言える三種の神器が見事なまでに揃っており、それを張本は話芸にまで高めることによってスポーツコーナーが番組最大の立派な目玉商品となっている。角度を変えればその解説の中身はともかく、金を稼げる、衆目を集めるという意味では超一流の解説者とも言えます。

この張本の対極にあったのが、日本プロ野球史上最高のインテリでもある三原脩であります。当ブログの基本理念として、「リベラルアーツの力を信じる」というものがあります。リベラルとは自由、アーツとは技術の意。リベラルアーツとはあらゆる固定概念やバイアスから真に自由になるための知的な技術と捉えてもらっていいでしょう。栗山監督の優れたひとつの点は、固定概念に囚われない発想力にあると言われています。リーダーとしてあり方を学ぶために中国の古典である「貞観政要」を監督は読んでいるとは如何にも監督らしいわけですが、三原脩、栗山英樹というラインにはっきり見えるものとは、この「リベラルアーツの力」にあります。

当ブログが一貫して三原脩、栗山英樹というラインをここまで支持してきたという背景も両氏に共通するこのリベラルアーツにあります。三原脩、栗山英樹はワンセットで捉えています。そしてここが二人とは野村克也とも決定的に違う点です。

野村克也は「プロを舐めるな、成功してほしくない、俺が日ハムの監督なら間違いなくピッチャー」とも言いました。暗に栗山監督が失敗する姿を見て、そら見たことかと言いたい願望が「成功してほしくない」の発言の中には込められており、この野村発言のように自分の願望を対象に投影し、自分が見たいように物事を見る態度を一般に<反知性主義>と言います。

誰がどう見ても2016日本ハムの優勝は大谷二刀流なくしてあり得なかった。格下と見下していた栗山監督にこれほど鮮やかな一本を取られるとは野村も張本も考えてもみなかったに違いありません。大谷翔平と栗山監督は世の常識をひっくり返してやろうという意味では同志であり、切っても切り離せない関係性にあることは明らかでです。しかしそれはわかっていても張本や野村は大谷二刀流を一時的にせよ完全否定していた立場上、口が裂けても栗山監督を手放しで絶賛することはできない。だからこの両者は11.5ゲームをひっくり返したという日本ハムの歴史的な快挙についても、一切監督の能力へ言及することもありませんでした。

(やっぱり、誉めることはできなかったかとそう思いました)

なぜやっぱりかと言えば、その根拠もすでに「栗山嫌いの野村克也に本物の知性はあるか?」という記事を以前書いてあります。99%監督説などが典型であり、ヤクルトの優勝は野村自身の力によるものであるとしたがり、格下と思い込みたい栗山監督の優勝については風が吹いて偶然勝ったのだと勝手に結論づけている、この態度こそが反知性主義そのものなのです。

栗山監督をどうしても認めない 認めたくないところに張本・野村の限界が浮き彫りとなっています。野球界広しと言えども、三原脩、栗山英樹のように言葉の奥にリベラルアーツを感じる人物というのは極めて限られています。よもや栗山が自分よりも優れたアイデアと指導力をもって、新たな歴史の扉を開くこととなる名将であるはずもない、と信じたい元・超一流プレイヤーのプライドが生み出す強固なバイアス。栗山監督の偉業を素直に認めたくないという、ここにこそ両氏の認識における「バカの壁」があります。

「完全に勝負あり、栗山監督の一本!」

と言いたいところですが、二人から絶賛する声はないところを見ると、認めさせるにはどうやら日本ハムが日本一になるしかありません。日本一になればさすがの二人も兜を脱ぐしかない。

ドラマはまだ終わりません。これから栗山劇場、第二章がいよいよ始まります。

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大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。