2016は大谷翔平で始まり、大谷翔平で終わる!

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09 /28 2016

大谷の選手としての成績は、おそらく投手としてWAR5.0、打者としてもWAR5.0、計WAR10.0前後の数字を大谷は最終的に残すのではないかと予測しています。(日本のサイトには有料でアクセスできず。いずれ明らかになるはずです。わかれば修正記事を入れます)。参考までにWAR5.0というとオールスター級の投手、あるいは野手という評価になる。

日本ハムチーム全体のWARが27.0前後ですから、4割前後のWARをたたき出す大谷の戦力としての巨大さが数字からも明らかになっている。WAR以外にもセイバーメトリクスにとって選手を判定するのに、最も馴染みのある指標のひとつはFIPとOPSということになる。投手大谷のFIP2.00台前半 打者大谷のOPS1.00。イメージとしてわかりやすく言うと打者大谷は松井秀喜の日本時代のキャリア平均レベルのOPSであり、投手大谷はダルビッシュのキャリア平均レベルのFIPにある。

大谷二刀流のパフォーマンスの質としては、紛れもなく主砲でありながらエースそのものである。

こうした大谷のポテンシャルを最大限引き出せてこそ、はじめてパリーグを制することができると栗山監督は優勝という目標から逆算して、戦略を練っていたことがこれまでのインタビューの端々からも伝わってきたはずです。WAR10.0を超えてくるようなスーパースターが出現しない限り、最下位であった2013年から黄金時代を築きつつあったソフトバンクをオーバーテイクするための戦力差を補うことはできないと戦略家・栗山監督は考えたに違いありません。

中田を4番に育て、レアードを本塁打王を奪取するまで辛抱強く使ったのも栗山監督でしたが、そんな中、なかなか飛躍することのできない斉藤佑樹にはとても甘いとも言われます。ただでさえ世間からは数限りない心無いバッシングが寄せられる中、監督が斎藤の防波堤にならなくてどうするというのか。どうやら世間は斎藤が潰れることを望んでいるようですが、監督はそうした選手が潰れないように配慮するのは当然のことです。あるいは大谷翔平についてはほっておいても世間は絶賛しているわけです。監督くらい大谷には厳しい眼差しを注ぐくらいでちょうどいい。

すべてはチームにとって、選手にとって最善手とは何かという目的思考によって、栗山監督の行動原理は貫かれている。大谷二刀流や増井のコンバートだけではなく、先発斎藤の起用や吉井のコンバートもすべて含めて、それ全体ではじめて栗山マジックとなる。おそらく栗山マジックの全体像を把握するとはそういうことなのではないか。

かつて1958年伝説の日本シリーズ、3連敗からの4連勝で見事に日本一に西鉄ライオンズを導き大逆転勝利を収めたのは三原脩でしたが、実は1958年ペナントにおいてソフトバンクの前身でもある強豪・南海と一時的11.0ゲーム差につけられながら、絶対に不可能であると考えられていた奇跡の逆転劇でパリーグを制覇するというドラマを既に演じていました。ある意味、日本シリーズ以上のドラマ性を孕んでいたのが1958年のレギュラーシーズンであったと三原脩は回想している。

栗山マジックの本質は、二刀流やコンバートも含めて<三原脩>という文脈の中ですべて捉えられるべきものだと言ってもいい。それだけ三原脩の強烈な影響力が栗山英樹という監督に深く及ぼしている。プロである以上、ほんとうに単に勝てばそれでいいのだろうか。少なくとも三原脩はプロの監督の仕事をそこまで矮小化したものであるとは考えていなかった。魅せながら勝つことこそ真の名将の条件となる。観客動員200万人を突破し、数十年に一度しか起きないような奇跡的な勝利まで後わずかに迫っている。

勝負は9回2アウトから。その言葉通りダルビッシュの在籍するTEXは過去2度までも9回2アウトから大逆転を喰らって、ワールドシリーズの優勝フラッグを逃している。わずか二試合を残してマジック1、日本ハムの若手がプレッシャーで浮足立ち、もし大谷で落とすようなことがあれば、「今あるピンチは世紀の大どんでん返し逆転優勝、ソフトバンク最大のチャンス」と工藤監督が捉えることは十分に可能である。もし残り2~3試合でマジック1という状況をSBの監督が心底、これはピンチではなく大チャンスであると逆転の発想で捉えているとしたら、監督としては相当の器だろう。

11.5ゲーム差がついても、それは単なるピンチではなく大逆転優勝するためのドラマを演じる最大のチャンスなのだと信じ切る栗山監督のような人は果たしてどれだけいるだろうか。栗山監督という野球人を眺めていると、映画に感動し自家製の野球場「Field of Dreams」を作ってしまったように、おそらく誰よりも野球に恋をして、誰よりも野球の知識を持つべく好奇心を持ち、誰よりも野球にロマンを感じているに違いない。打算が先行するプロの世界では、時には計算も超えた監督のようなひたむきさな野球と向き合う純粋さが力となるのかもしれない。

残された試合は極めて少ない。大谷二刀流が決めるのか、それともコンバートされた増井が決めるのか最後まで勝負はわからない。この記事に目を通している人の中には今の状況に微かな危機感を覚える人もいるかもしれない。

しかしだからこそ、プロとして大いなる見せ場としてのチャンスが今ここにはある。

ちなみに最初からTVドラマのように完全なシナリオがあるとしたらそれをプロ野球の世界では八百長という。結末は最後までわからないからこそ、そこに真の野球としての醍醐味もある。日本ハムからしてみれば開幕を大谷翔平で迎え、レギュラーシーズン最後を大谷翔平で締めくくるとしたら。これ以上の出来過ぎたドラマはない。人を感動させ勝利を得るまでのドラマ性にこそ、ベースボールにおける真の芸術があり、そして、そこにこそ栗山マジックの真骨頂がある。


「頼むから、勝ってくれ」




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栗山監督 信じる力と峻別する力 ソフトバンクと0.8ゲーム差に縮まる

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09 /24 2016
オリックス戦では気の抜けたコーラのようなボールを投げ込んでボカスカに打たれた有原でしたが、SB戦初回ボールのキレを見た時、調子が戻っていると感じた人も多かったのではないでしょうか。有原が打ち込まれた時、栗山監督はSB戦に向けて先発の練り直しも視野に入れているとの談話もありました。監督としてはここ8月以降のERAが6点を超える有原と先発に回ってからはERAも1点台の増井、どちらかを単純に選択せよと言うなら、どんな監督であっても増井を選ぶはずです。ローテ変更を示唆するのも十分頷けるというものです。しかし事はそこまで単純ではなかったことをその後、当ブログも気づくことになります。

SB戦に投げるとなると有原は中七日であったのに対して、増井は中四日であり、更にここが重要ですがもしローテをすっ飛ばし強硬に増井へ変更し、SB戦で勝ってもそれ以降の連戦で負け越すならば、SB戦の勝利の価値も意味もすっかりなくしてしまう。

最終盤によもやの過密日程が詰まっておりSB戦以降のスケジュール全体を見渡した時、最終的には栗山監督も有原の他に投げさせる投手が実質いない現実を目の当たりにしたのではないのか。つまりローテを変更できるものならしたかったが、SB戦以降も視野に入れてよくよくつめて考えてゆくと戦力には限界があり、実質的に選択する余地は栗山監督には残されていなかった。

SB戦有原を選択した以上、今年の実績にかけて選手の力量を<信じる力>でマウンドに送る一方で、同時に<峻別する力>で炎上した際にはどういうパターンがあるかを考えつつ、スクランブル体制から宮西、バース、谷元で789回を凌ぐというパターンまである程度試合前にシュミレーション済みであったことは想像に難くありません。

もし単に栗山監督が信じるだけの人であったのなら、吉川クローザーで失敗する前に切るという決断をすることなどありません。有原と吉川の違いは、第一に吉川以外にもブルペンには経験豊富な中継ぎがおり他にも選択肢があった。第二に吉川には有原が前半戦、ERA2.00前後のようなブルペンとしての実績が皆無であった。あるいは栗山監督が信じる人に過ぎないならば、斎藤を栗山監督は先発で使うという一部のファンが最も恐れたこともやったのではないか。その辺の綾については監督も戦いのフェーズを見極めるだけの<峻別する力>は持っています。

そうした中どうしても腑に落ちないのは、8回大谷の降板にある。なぜ大谷の投球イニングを3回、5回と慎重を期して段階的にここまで過去2回の先発で調整を踏んできたのか。8回110球が9回125球になった途端、何か劇的に負の影響が大谷を襲うとでもいうのだろうか。少なくともスポーツ医学の観点からしてみれば110球に明確なボーダーを引く根拠というものはありません。大谷以外のスターターなら今のブルペンでもスウィッチは当然です。仮に大谷であってもマーティンがいればすんなり交代でしょう。あるいはシーズン中盤であるならば大谷交代は問題はないかもしれません。

しかし降板させたシーンは天下分け目の天王山そのものでした。

もし1勝差で日本ハムが今期のペナントを逃したとします。その時、陽の世紀の”the catch”がなく大谷からバースへと継投した結果が失敗だったとき、一片の後悔もなく間違いなく自分の下した判断は正しかったと栗山監督は言えるのでしょうか。「俺が悪かった。」で済まない。

ほぼ大勢の理解が得られなかったシーズン中盤、斉藤の先発起用にも当ブログは一定の理解を示したつもりです。シーズン終盤に斎藤昇格にあって大ブーイングの中、心配するには及ばない登板機会はおそらく敗戦処理に限られるとも言いました。最下位の大バッシングにあった時、当ブログでは<無能>扱いされた栗山監督を擁護したように、今回監督への批判は許さないような大絶賛の空気の中、敢えて<名将>に異を唱えています。

どうでしょうか。空気は一変しており、最下位時代にバッシングが当然であるという状況から、批判などあり得ないという空気に確実に変わっています。単に反対の立場を取りたがる天邪鬼とも違うたしかなカウンター勢力として、当ブログのこの姿勢は一貫させてゆくつもりです。山本七平ではないですが日本は空気が支配する国であるからこそ、良い意味で決し流されてはならない。

広島の緒方監督は昨年、僅差で勝っている試合でエルドラッドを出しぱなっしで9回を迎え、レフトの拙守で逆転負けをしました。プロの監督でありながら終盤に守備固めをするというセオリーさえも知らないのには驚きましたが、もちろんそこは緒方監督とは違うので栗山監督は定石通り、肩の強い岡をライトにし、センターへ守備範囲の広い陽を据えました。しかしこの定石の采配さえも、マジックに例えられるにはさすがに持ち上げすぎというよりも、逆に栗山監督に失礼にあたるのではないか。

今回も栗山監督の<信じる力>に妙なスポットが当たってはいます。しかし<信じる力>の土台となっている的確に物事の軽重を判断する<峻別する力>にこそ目を向けていかなくてはならない。ぎりぎりの段階で吉川を切り、斎藤を敗戦処理、有原を切らずに選択するというこの絶妙な<峻別する力>にこそ栗山監督の本領がある。

実質0.8ゲーム差と考えるのが、最もわかりやすい。

ギリギリの瀬戸際の中での戦いが続きます。この筋書きのないドラマが真にスリルが楽しいと思えるのも、フィナーレは勝利の美酒を味わうからこそ。勝負は全く予断を許しません。一勝の価値が大きくなればなるほど、投手力の価値が相対的に上がってくるゲームが野球であり、SBにはまだ投手力に明らかに余裕があります。

最後に繰り返しになりますが110球に明確なボーダーを引く根拠が見当たらない以上、あそこで大谷交代だけはない。ふつうなら完全に負けていた試合であったことだけは改めて確認しておきたい。

陽岱鋼のスーパーキャッチが栗山監督の継投ミスを救う

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09 /22 2016
これは決して結果論でありません。

日本ハム最大のウィークポイントがクローザーにある以上、絶対エース・大谷翔平ならたとえどのような結果になろうとも9回心中すべきでした。センター最深部へ江川が打った瞬間、ガッツポーズでソフトバンクのベンチから選手やコーチが次々と飛び出したように、江川に打たれた瞬間、サヨナラホームランでスコア2-4の逆転負け、最低でもセンターが前進守備を敷いていたためにセンターオーバーによる2-3のサヨナラヒットを私は覚悟しました。

もし仮に江川の一打でサヨナラだったらの話ですが、大谷からバースへ交代させた判断は一切の後悔もなかったと栗山監督は言い切れるでしょうか。しかし結局は栗山監督の継投ミスと敢えて言わせていただきますが、陽岱鋼のスーパーキャッチが監督のミスを救う形になりました。時には擁護ではなく批判もするつもりです。

先回の記事では吉川とは心中すべきではないとも書きましたが、やはり監督は吉川は切りました。同様にもちろん栗山監督は有原も切れるものなら切りたいでしょう。しかしソフトバンクと違い戦力的に日本ハムには他にカードがない以上、有原先発という結論になったと解釈するのが自然です。明日は有原が7回くらいまで投げるのがベストですが超スクランブル体制を敷くことはほぼ間違いなく、早めの継投となりそうです。

そういえば大谷の二刀流についてメジャーでのインセンティブ契約について書かれた記事がありましたが、大谷が<契約弱者>ならば前田健太や岩隈の一年目のように、買い手が有利なためにイニングや打席数によるインセンティブ契約はあります。川崎のように<契約絶対弱者>になるとスプリングキャンプでチーム屈指の打撃成績を残していても、一度DFAにされて、再度マイナー契約で結び直し、更なる経費削減の対象となることさえあります。

大谷の場合、明らかに立場上、<契約強者>である。高額のサラリーが保証された上でダルビッシュのようにサイヤング賞を受賞したらボーナスが出るといった類の付加型のインセンティブになるはずであり、岩隈やマエケンのようにイニングや先発回数に対するノルマ型のインセンティブにはならないと考えるのが自然です。むしろ、二刀流について各チームからその具体的なプランを提出させることによってその本気度をはかりながら、サラリーの総額と勘案しながら大谷主導でチームを選択するようになる。

明日マジック点灯なるか、誰をクローザーにするかも含めて栗山監督の継投には特に注目です。まさかクローザーに吉川起用はないとは思いますが、成り行きをじっくり見守っていくつもりです。


カブス史上最悪のトレード セイバーメトリクスの限界とルー・ブロックに輝きをもたらしたもの 

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09 /18 2016
ルー・ブロックと言えば、打率300 3000本安打 1000盗塁にメジャー史上最も肉薄した選手としての印象が強い。リッキー・ヘンダーソン出現以前において、盗塁の象徴と言えばルー・ブロックであった。カブスの歴史においてルー・ブロックを1964年にフラッグディールで放出したトレードは、史上最悪のトレードとされており、ブロックは移籍先で一気に才能を爆発させることとなる。

カブス時代のブロックと言えば、外野守備ではボロボロと落球し、打率も260前後と平均的な打者であり、唯一の取柄は足の速さであったがチームの方針もあって盗塁はわずか20個前後にとどまっていた。当時低迷を続けていたカブスのオーナーであるリグリーはひとつの打開策として、監督グリムを含む8人のコーチが交代で指揮を執るという前代未聞の策をとったと言われている。

監督が代わるごとにチームの方針が数週間毎に変わったカブスに上昇する気配があるはずもなく、選手としてブロックは大変戸惑ったともいう。更にはクラブハウスでの新人への陰湿なイジメのようなものもあり、ブロックは精神的に極めて厳しい環境の中でカブス時代を過ごしたと自伝でも書いている。常に失敗を恐れながら、ブロックはプレーしていた。ところがそんなブロックの潜在能力に目をつけていた監督が、カブスではなく他のナショナルリーグのチームにいたのである。それがSTLの監督ジョニー・キーンであった。 21勝という最多勝も受賞したこともあるエースのアーニー・ブログリオを放出してまでも、STLはブロック獲得へ積極的に動いた。

当初カブスは使えないブロッグを餌に大魚のエース格を釣り上げることができたとして狂喜乱舞の騒ぎとなった。しかしカブスへ移籍したアーニー・ブログリオは1964年以降全く振るわず三流投手になったのに対して、「自然体で、好きなようにプレーしてくれ。走りたかったら、好きに走っていい。ウチの機動力野球のリーダーは君だ」とキーン監督はブロックにグリーンライトを与え全幅の信頼を示した結果、ブロックはこれまでの精神的な一切のくびきから解放され、見違えるような選手として生まれ変わることになる。

1964年カブスでは251だった打率も6月15日以降カージナルスでは348にまで跳ね上がり、移籍後だけで実に33個もの盗塁を決めることとなる。このブロックの大活躍もありセントルイスはペナントを逆転優勝し、最後はワールドシリーズでもヤンキースを破り、見事、世界一に輝くこととなった。

この1964年のワールドシリーズにまつわる物語は「さらば、ヤンキース」を紐解けば、克明に描かれている。時代に適応できず、アフリカ系の選手を拒否し、このワールドシリーズを境に没落してゆくヤンキース帝国の黄昏。対照的にルー・ブロックやボブ・ギブソン、カート・フラッドらのアフリカ系の選手が主力となってチームを牽引し1960年代に二度も世界一に輝いたカーディナルスの姿をハルバースタムは見事に描くことに成功している。

ブロックを選手として開花させた最大の要因は、間違いなくメンタルにあった。ブロックのメンタルをキーン監督がフォローしたからこその大ブレイクであったと言っても過言ではない。増井がコンバートされて以降、劇的な活躍ぶりを示している最大の要因も、技術の進化などではなくまさにメンタルであった。絶対に失点できない場面でのクローザーから、ある程度の失点は許容され、試合を作ることが仕事であるスターターになった時、パフォーマンスは劇的に改善された。

サッカーのPKでも平均的な成功率というものが膨大なサンプルから求められるが、明らかに成功率が上昇するシーンと下降するシーンがある。外れても同点であり決めれば勝つというシーンでは際立ってPK成功率が高く、これで外したら負けるというシーンでは明らかにPK成功率が下がる。スポーツ心理学でも明らかになりつつありますが、メンタルがパフォーマンスに影響を与えていることは統計的にも明白であるのです。

今から10年前近くにセイバーサイトの説明を読んでいるとデジタルなアプローチこそが有意義であり、曖昧でアナログなメンタルがパフォーマンスに与える影響はないのだと結論していました。あるいは勢いや流れといったものも選手のバイアスに過ぎず、セイバーメトリクス的にはそうした主観的なものは排除し、客観的なデジタルの数字を取り扱うことが正しいあり方なのだともありました。

この文言を見た時、当ブログはセイバーメトリクスという技術の限界をはっきりと感じ取り、一定の距離を保ちつつもそこから学ぶべきものだけをしっかりと頂き、学ぶという態度を採ることにしました。

たしかに解説者もよくいう勢いや流れというものの多くはバイアスに過ぎないとは当ブログでも考えています。例えば四球でランナーが出すと流れが悪くなる。シングルでランナーに出すのとでは大違いであり四球は失点につながりやすいと解説者はよく言います。しかしそうしたアナログな解説者が力説している定説は基本的には真っ赤な嘘であるというデータが出ています。典型的なバイアスの例です。かくいう私自身、解説者の言う勢いや流れという言葉の8割は眉唾と聞き流しています。

しかしであるから、アナログな解説者や実際に試合に出ている選手が言う、すべての勢いや流れというものがほんとうに実在しないかと言えば、必ずしもそういう結論にはならない。

勢いや流れというものがなければ、なぜベースボールというスポーツに予測を超えたドラマ性というものが生ずるのかが確率論では本当の意味で説明できない。ものすごくわかりやすい例を出します。2016ヤンキースがファイアーセールをしてからの快進撃などは、セイバーメトリクスで予測することは可能であったかということです。チームの勢いとしか説明できないものが明らかに夏場のヤンキースにはあった。セイバーメトリクスで後から分析し説明することは何とでも後付けで可能です。しかし予測は不可能であった。

それは複雑系の<非線形な地震発生>という事象を<線形の確率論>で予測できるとして、予知を外し続けてきた日本の地震予知と極めて近いものがあります。詳しくは地震学のゲラー先生に譲るとして、複雑系の非線形な事象を確率論という線形で未来の予知を語るには必ず知の限界が出てくるのです。セイバーメトリクスによるプロジェクションとは、過去のデータを統計処理したものから未来の予測を試みるというものであり、一定の有効性は認められるにせよ、そうした統計の枠を超えたところに、ベースボールのドラマ性というものは生ずる。

勢いや流れといった非線形な事象を線形による確率論で的確に捉えることなど土台、不可能であるとしか言いようがありません。

セイバーメトリクス分析については当ブログの得意としている分野の一つではあります。しかしながらベースボールの全体性を把握するにはデジタルや線形という一面的な切り口だけでは絶対に不可能であり、セイバーメトリクスの限界についても絶えず意識しながら分析も試みてきました。デジタルとアナログ、フィジカルとメンタル、線形と非線形といった相反するアプローチを同時並行して行わなければその全体像へ迫ることはできません。確かに野球は数のスポーツでありデジタルな確率論が極めて有効となるスポーツでもある。しかしメンタルやケミストリー、勢いや流れを単純に否定する一部のセイバーメトリシャンが是とする態度は知性の欠如そのものである。



落合はフィールドしか見ずに監督業を行ってきたが、三原脩はスタンドとフィールドの両方を視野全体に治めていたように、野村克也が弱者の戦略に固執してきたのに対して、三原脩は弱者の戦略も強者の戦略も、どちらも融通無碍にゆくことができた監督でした。

スタンドとフィールド、弱者の戦略と強者の戦略、デジタルとアナログ、フィジカルとメンタル、線形と非線形、そこには明らかな境界線(マージナル)が存在しています。それらの二つがセットではじめて全体を成しているのであり、そのどちらに偏ることもなく、様々なるマージナルを自在に超えてベースボールを俯瞰し、その限りない深みにあるものを透視してゆく融通無碍な認識のあり方こそを求めなければならない。

結論

「ベースボールとはメンタルなスポーツであり、ケミストリーはチームスポーツにあっては極めて大事であり、勢いや流れは単なる主観的な思い込みなどではなく確実に存在する。」

これについては限りなく100%揺るぎない真理であると断言しておきます。そしてこの結論に至ったとしても、それは1ミリたりともセイバーメトリクスの有効性を否定するものではないことも付け加えておきたい。アナログな勢い・流れ、メンタルなものを安易に切り捨てる、誤ったセイバーメトリシャンの考え方を受け入れる必要など全くないのです。

その出自がバリバリのオールドスクール出身でありケミストリーを極めて大事にしつつも、同時にデジタルなデータ主義も柔軟に受け入れる名将マドンを見ていただきたい。どれだけセイバーメトリクスを学ぼうが、オールドスクールへ一定の敬意を示すようでなければ決して本物ではない。


戦いは短期決戦モードへ 栗山監督の判断力ひとつで勝負は決する

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09 /15 2016
これまでも戦いのセオリーについてMLBカテゴリーでは述べてきました。なぜスモールな要素がより短期決戦になると大事になるのか、なぜギャンブルを仕掛けることが短期決戦においてはより大きな意味を持つのか、なぜペナントでは目先の結果に囚われて右往左往するような采配をすることがあってはいけないのか、過去の歴史の戦いやセイバーメトリクスを用いながら、様々に説明を試みてきました。ペナントでの戦いのセオリーと短期決戦での戦いのセオリーは当然に異なってくる部分があります。通常は残り十数試合までは采配もペナントモードを重視すべきですが、最終コーナーを回りゴールが近づいてきた時、それがレギュラーシーズンであっても、采配も短期決戦モードへがらりと切り替えなければならない。短期決戦モードのひとつが期間限定のラッキーマンを重用することなどはよく知られますが、多少の実績程度ではアンラッキーマンは切るという決断も大事になります。

有原ですが、ソフトバンクには結果はともかく私ならば投げさせません。限りなく撃ち込まれる可能性が高い以上、切るという決断をします。斉藤ついては、敗戦処理モップアッパーとしての役割を十分に果たしています。仮にゼロに抑えても、誰が投げても99.9パーセント負ける試合だったのですから、他の中継ぎに休養を与えるという立派な仕事をしたと言ってもいい。もともと試合をぶち壊した有原には大した批判をすることなく、失点を重ねようが立派に敗戦処理でイニングをこなした斉藤をバッシングしてどうするという話です。目下、斉藤最大の仕事は勝ちゲームで投げるブルペンに休養を与えるというものです。

レアードを辛抱強く使いその才能を開花させたようにペナントを乗り切るためには選手を信頼して目先には囚われないことが大事になりますが、目先の一勝が重要な意味を持つとき、レギュラーシーズンのように様々な可能性へ視野を大きく広げて選手に任せるというモードから、誰がほんとうに使えるのか、焦点を絞り込み決断し<切る>というモードへ監督も切り替えていかなくてはなりません。有原で勝てる可能性もあります。しかし明らかに有原よりも勝てる可能性の高いスターターがいる以上、私ならば有原を切ります。

ひとつだけ言えることがあります。それは監督の判断力ひとつで勝負は決するということです。勝てるチャンスはあります。大谷をどう使うのかも含めて、薄氷の上を歩くようなぎりぎりの中で、正しい判断力が求められています。判断をひとつ間違えば水の中へ深く沈んでゆくことになります。


イチローにとっての仰木マジック そして栗山マジックの正体に迫る

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09 /11 2016
無名でありまだ2軍に埋もれていた鈴木一朗の存在を一躍、世に大きく知らしめ、メジャーへ行くにあたって背中を押してくれたのはご存知、仰木監督であり、メジャー通算3000安打を打って過去を振り返った時、仰木監督こそがイチローにとって師以上の最も大きなウェートを占めた存在であったろうことは想像に難くありません。選手登録名を平凡な鈴木という姓ではなくカタカナ表記で<イチロー>として売り出した仰木マジックの手法も「目立ったキャッチフレーズを選手につけてマスコミを通じて大々的にプロデュースする」というプロ野球の原点とはファンを魅了することであるを知り抜いていた三原脩の教えに他なりませんでした。それは三原の生前の著書でもはっきりと記されています。

しかしながらイチロー以上に仰木監督を師として仰ぐだけでなく、<野球における父>として深く慕っていた選手がいます。それが土井監督の精神的な締め付けによって、送球ミス恐怖症・イップスにかかっていた田口壮でした。仰木監督は田口の素質を見抜き、ショートから外野手へのコンバートによって田口の野球人生は大きく開かれてゆくことになります。田口壮は仰木監督が最後の病床にある時も、日本に帰国し時間さえあれば見舞いを欠かすことなく、訃報に接した時はまるで子供のように周りに憚ることなく田口は大声を出して号泣したと言います。そのエピソードを知った時、如何に田口荘の仰木監督への想いが深いかがよくわかりました。その田口壮の姿にはちょうど三原脩の最後を看取った仰木彬の姿と二重写しのように感じたものです。

もともとピッチャーとして入団した仰木彬でしたが、三原脩にセカンドの適性を見出され、コンバートによって黄金期西鉄時代のレギュラーメンバーとして活躍することになります。栗山監督が増井をクローザーからスターターへコンバートするという報道を最初に聞いた時、パッと頭に浮かんだのはイップス田口のコンバートによって成功した仰木監督であり、仰木監督の背景にあったであろう三原脩監督による教えでした。

人使いの魔術で知られた三原は言います。

「ピンチこそがチャンスであり、弁証法によって現状を大きく打開せよ」

イップスに追い込まれた田口、クローザーという役割に精神的に追い込まれた増井は、本来のポテンシャルを発揮できずに選手としては袋小路に入り込みピンチそのものでありました。しかしこのピンチをチャンスへ転換させるという逆転の発想で、コンバートによって田口や増井は見事に蘇った。

ピンチも一転してチャンスへ変えてしまう監督としての技術を人はマジックと呼ぶ。

おそらくマジックの正体とは、<同調圧力などにも屈せぬ強靭な信念>と<既成概念に囚われない思考の柔軟性>を基礎にした、どのようなピンチさえもチャンスへと変換させようとする斬新なアイデアそのものである。

今回日本ハム、絶対守護神マーティンの戦線離脱という最大のピンチが訪れました。代わってクローザー吉川起用における最初の試合は結果、失敗したかもしれない。しかしピンチをピンチとしてのみ捉えて苦肉の策としての吉川起用だったのか、それともピンチをチャンスに転換させるための考え抜いた末の一手であったのか。その一手の背景にある考え方こそが平凡な指導者か、それとも名将なのか分ける分水嶺となるはずです。

(しかしアイデアはともかく正直なところ、吉川のクローザー映像で見ましたが、極めて危ないですね。三振は取れないわ、打球は強烈だわ、十数試合なら誤魔化しも可能かもしれませんが・・・あるいはほんとうに吉川が化けることがあるのか)

ベースボールを観る技術としては、結果の奥にある思考のプロセスに目を向けることこそが大事であり、最下位であるから無能だと強烈にバッシングしたり、驚異的な追い上げを見せたりすれば名将と持ち上げるような、巷に溢れている手のひらをくるくる変えることは当ブログでは断じてしまいと肝に銘じてきたつもりです。本日の試合も最下位の年、無能扱いされながらも栗山監督が懸命に育てた近藤と大谷の打棒がチームに勝利をもたらしたものでした。当時近藤起用や二刀流も含めて無茶苦茶言っていた人たちが今をどう眺めているのかは知りません。ただ手のひらくるくるの人たちというのは、辛辣ではあるが物事の表層をなぞっているに過ぎず、より本質的な部分まで深く目が届いていないことに全くもって無自覚なのではないか。厳しい目線が絶えず外へしか向かっていないのです。しかし洞察力が真に鍛え上げられてゆく過程では、その厳しい目線がまず己の内側を通っていかなければならない。

もし吉川の一時的なコンバート策が失敗であることが明らかになれば、当然のことながら栗山監督は心中はせずに次なる作戦も立てているはずです。ここは絶対に吉川と心中するシーンではない。大谷が先発に復帰したこのタイミングならば、登録抹消させた有原を一時的なクローザーへの配置転換などというアイデアも温めている可能性もあるのではないか。(この部分は完全に適当なことを言っています)ちなみに斉藤佑樹を2軍から上げたようですが、1勝の重さがシーズン中盤までとは大きく異なるために仮に投げさせるとしても、モップアッパーとしてチームが試合で負けているシーンに限定されるはずです。シーズン中盤までならローテに穴が開いた際に、ギャンブルとして斉藤佑樹を投げさせることはあったかもしれないが、シーズン大詰めのシーンでは話が全く違う。例えば3点差で負けていて、ほぼ試合が決まりかけているような状況下、打線が爆発しての逆転勝ちするというシナリオが描かれるとき、栗山監督は斉藤の持っている運を戦力化すべく中継ぎとして起用することはあるのではないか。この時期に僅差で勝っている状況で斉藤を起用したら、さすがに大問題となる。

マジックという言葉が冠としてつけられた監督は、過去三人しかいない。三原修、仰木彬、栗山英樹の三人である。100%日本はないと言い切った大谷との交渉において出馬した栗山監督はまさしくピンチに立たされていたわけです。そのピンチを誰もが不可能と考えていた二刀流というアイデアによって、大チャンスへと変換させてみせた技量は只者ではなく、マジックと称されるにふさわしい仕事ぶりであったと言ってもいいでしょう。もしも日本ハムがリーグ優勝という実績を作れば文字通り、栗山監督は名将であるという不動の評価を歴史からも受けることになり、栗山マジックが2016年のパリーグを席巻したと後世の歴史家によって書き記されることになるでしょう。わずかソフトバンクとは1.5ゲーム差、波乱の要素は吉川の出来を見ても明らかです。歴史は勝者が物語りを紡いでゆくものである以上、栗山監督はこの物語(ドラマ)の主人公の一人として最後のピリオドを撃ち込まなくてはなりません。

野球という筋書きのない物語(ドラマ)に対して、敢えて主体的な筋書きを描いてゆくことを戦略と言います。栗山監督が戦略家であることだけは間違いない。

ちなみに1993年シーズンオフ、LAAから広島に大野をチームに獲得したいという公式オファーがあり、1997年のオフには野村に同じくARIとTBから公式オファーがあった。投打におけるパイオニアとしてメジャーリーガーが広島からそれぞれ排出されても決しておかしくなかった。しかし実際はなぜ最初にメジャーへチャレンジしたのが野茂やイチロー、田口、長谷川、吉井とパリーグ出身のみならず仰木彬と深いかかわりのある選手ばかりであったのか。これも決して偶然ではありません。

仰木マジックは当時不可能であると考えられていたMLBの扉を開く重要なキーをも握っていたということです。

詳細については下記の2つの記事において、既に分析したつもりです。大谷二刀流のルーツは1から読まない限り あまり意味はないです。

「大谷二刀流のルーツを知っているか?」

「なぜパリーグのレベルの方が高いのか? 小宮山や里崎の記事で満足できなかった人のために」


ヨギ・ベラの再来なるか ゲーリー・サンチェスがヤンキースの未来を担う

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09 /02 2016

期待のデュオ、ジャッジとオースティンの連続ホームランに沸き立ったヤンキース。決して一時的な雰囲気に酔いしれて甘い見通しを立ててはならないとも記事に書きましたが、ジャッジとオースティンのスタッツが打率1割台と今のところ完全な尻つぼみなものとなっています。変化球に対するタイミングを見ている限り、才能が花開くにはもう少し時間が必要なようです。

そうした中、存在感を強烈に放つのがゲーリー・サンチェスであり、新たなるヤンキースの黄金期を形成すべく強力なキャッチャーが誕生したという予感に満ち満ちています。第二期ヤンキース黄金時代を築いたKCステンゲルは、ヤンキースにおける12年間の監督生活のうち、リーグ優勝10度、ワールドシリーズ制覇7度を成し遂げたトーリをも凌ぐ名将ですが、そのステンゲルが勝つ秘訣は何かと問われて「それはヨギ・ベラを試合に出すことだ」と答えています。

チームを優勝に導くには主砲・マントルやエース・ホワイティフォードなどよりも、キャッチャーのベラこそが最大のキーマンであることをはっきり名将ステンゲルは認識していました。史上最多となる10個ものチャンピオンリングを有するヨギ・ベラ。優勝するために最も枢要なポジションとは攻守の要ともなるキャッチャーであることをベラのチャンピオンリング所有数はある意味、証明しているとも言えなくもありません。

実際に今メジャーを代表するキャッチャーと言えば、SFポージー、KCペレス、STLモリーナの名前がパッと浮かぶはずですが、ここ5年でも彼らがリードするチームが世界一をほぼ独占しています。あるいは日本でも黄金期にはヤクルトの古田や西武の伊東がいたように、全盛期の巨人には阿部がおり、中日には谷繁がいたのは決して偶然ではないと考えるべきでしょう。肩の強さ、インサイドワーク、バッティングどれを取っても超一級品の要素を持つサンチェスは将来的にはメジャー史上最高のキャッチャーへ名乗りを上げそうな可能性さえ秘めており、ヤンキースの未来を切り開く、最大のキーマンとなりそうです。

今から3年前大きな借金をかかえて低迷していたLADを救ったのは新星プィーグでしたが、一人の選手の勢いが旋風を巻き起こしチーム全体が活気を取り戻しPO進出を果たしたということがありました。今のヤンキースにあってはゲーリー・サンチェスがその役割を担っておりPO進出に首の皮一枚残っています。かつてはプィーグに救われたLADですが、今ではLADがプィーグをウェーバーにかけたとの報道もありました。今年LADについて最終的地区優勝できるかどうかは、先日60球の投球練習を終えて8月30日には練習の実戦登板をしたカーショウの復帰時期に大きく左右されそうです。

そしてPO進出戦線でヤンキースがここまで踏みとどまってこれたのも、ジラルディの功績についても触れないわけにはいきません。あまりジラルディを評価する記事はそう多くは見受けられませんが、並みの監督ならばヤンキースはLAAのようにとっくに、PO進出圏外にいたはずです。たとえ得失点差が-(マイナス)であろうが、ノバ・イオバルディ・ミラー・チャンプマン・ベルトラン・ARODらが次々と抜けようがPO戦線に踏みとどまれるのは監督が有能だからに他なりません。

「2016ヤンキースはすでに終わっている」と開幕時に書きました。ヤンキースに得失点差において+を記録できるだけの総合力はないと判断したからこそ2016ヤンキースは終わったと結論しました。通常、得失点差が-ならば、PO進出など絶望であり終わったと考えるのが妥当です。しかしヤンキース唯一の救いは監督がジラルディであることだとも書きました。ジラルディは過去何度も得失点差が-を記録しても貯金を作る実績があり、今年も22勝9敗という一点差ゲームで圧倒的な勝負強さを発揮しています。監督が有能である場合、なぜか得失点差が-の戦力を率いても貯金を作り出し、PO戦線に踏みとどまることがある。そのことを予め4月の段階から当ブログでは指摘していました。

改めて繰り返しますがジラルディ無能論には何らの数字的な根拠もなければ、明快な論理性も見出すことはできません。有能であるからこそERA5.00前後の若手が多数を占めるブルペン陣であっても今尚も接戦に強いのではないのか。新思考派のジラルディを理解できない者に限って、オールドスクールのソーシアは名将だと言うケースもあるわけですが、ピタゴラス勝率から導き出されるLAA勝敗は64-69に対して、実際のソーシア率いる勝敗は59-74となっており、実に10個も多くの借金を多く喫しているのがソーシアです。むろんジラルディのように接戦にも強くはない。(ソーシアももちろん名将には違いありません)

もし仮に今の順位を堅持しているジラルディを無能扱いするとは、誰が監督をやろうが今のヤンキースの順位はとっくに地区首位に立っているということになる。これほどふざけた暴論も滅多にお目にかかれるものではありません。監督の醸し出す威厳のある雰囲気や結果論から、その監督の仕事の全体像を見ることなく、極一部の采配の成否を切り取って恣意的に○だ×だと判断するのは、余りにも印象でものを語り過ぎではないか。もっと限りなくフェアーに大局的な立場から物事というものは眺めなければ、事態を正しく把握することもできません。


さて、これまでのLADの戦略を俯瞰すると、BOSからゴンザレス狙いで不良化しつつあったベケットとクロフォードを抱き合わせで獲得したように当初は拡大均衡路線を取り、損を覚悟で積極投資を仕掛けまくりPO進出という最低限の目標はクリアし続けていました。そして一昨年からレイズのフリードマンを社長に据えて、グリンキ―とも契約を結ばなかったように縮小均衡路線へシフトしつつあります。

拡大均衡路線 → 縮小均衡路線へ

こういう動きを見て感じるのは、LADの首脳陣が相当に賢い戦略性の持ち主たちだということです。明らかに戦いのセオリーというものを深く理解した上でやっています。ビックマーケットはこの順番を逆転させては絶対にいけません。戦略を知る者なら、絶対に抑えておかなくてはならない極めて重要なポイントです。

スモールマーケットならHOUやKCのように

縮小均衡路線 → 拡大均衡路線へ

まずベテランをファイアーセールしてプロスペクトを大量に抱えつつ、財政を緊縮した後に、勝負に出るという考え方こそが正しくなります。縮小均衡が絶対に駄目であり、拡大均衡が絶対に正しいということでもなく、繰り返しているように、戦略的な正しさはすべてがTPOによります。

とは言っても、「ファイアーセールをし若手へ切り替えたからこそ、ベイビーボンバーズが出現しヤンキースは一気に息を吹き返しているではないか」という声が聞こえてきそうなので、これからきっちり説明をしていきます。

ここからがいよいよ本題です。

LADはご存じのようにFAで積極的に補強する一方、将来の構想から外れている選手はケンプのように年俸をLADが大きく負担してでもトレードで外へ出し、クロフォードのようにWARがマイナスの選手に対しては4000万ドルをドブに捨てでもDFAにして、プロスペクトが入り込む余地を残してきました。ほんとうに才能がある選手ならピーダーソンやシーガーのように少ない機会をものにして頭角を現してくるわけです。FAでの補強は継続しつつ、戦力にならない選手は早めに損切りをする、あるいは多くの年俸をLADが負担してでも外へ出して新人が活躍できる一定のスペースを空け、FAとプロスペクトの戦力バランスを取ることは戦略的には非常に大事な考え方です。

ここ最近を振り返ってみても、LADがケンプで試みたようなヤンキースが年俸を大きく負担してでも構想外となったベテランを外へトレードで出したことが一度でもあったのか、あるいはファイアーセールする以前にLADのように大型を契約を結んでいたクロフォードをDFAにするような決断を一度でもしたことがあったか。AロッドのようにファイアーセールをしてからDFAをしても決断する時期が明らかに遅いのです。

不良化しつつある高給ベテラン選手を塩漬け状態にして、PO進出が駄目なことが判明してようやく重い腰を上げファイアーセールをする。

すべてがワンテンポ遅く、この時間に対するコスト感覚がヤンキースとドジャースでは大きく異なっている点に着目しなければなりません。株式投資でも<損切り>という決断のできるのがプロであり、損を確定させるのを怖がり<塩漬け>して事態を更に悪化させるのがアマだと言われます。もしヤンキースがファイアーセール以前に、塩漬けにしていたベテランの不良債権を切るなりトレードに出して、サンチェスやジャッジ・オースティン・トレイエスらにチャンスを与えていたら、全く違った展開になっていました。

当ブログの立ち位置を鮮明にするために「カーショウ復帰の目途立たず しかれども2016LADはまだ終わらない」という記事にもしたように、これまでもカーショウなき野戦病院化した青色吐息のLADのあり方をリスクを取っても一貫して支持してきたつもりです。実際、多数の声はLADは終わったと言っていたはずです。

「ファイアーセールをし若手へ切り替えたからこそ、ベイビーボンバーズが出現しヤンキースは一気に息を吹き返しているではないか」

この説明には明らかに論理の飛躍がある。なぜならばLADのようにファイアーセールをし再建期へなど移行せずともDFAや年俸負担により構想外や不良化のベテランを外へ出して、プロスペクトが入り込む余地を作り出すことは十分に可能だからです。ヤンキースはLADとはその真逆であり「FAでは全く動かずに、ベテランでロースターの枠を塩漬けにしプロスペクトにベンチのスペースを与えず、じり貧状態で最終的に売り手へ回った。」すべては一切の誇張もなく2016ヤンキースがこれまで取ってきた手法そのものであり、これこそは戦略的に完全に間違いであると繰り返し当ブログでは言ってきました。

縮小均衡路線 → 拡大均衡路線へ

この間違ったやり方でもビックマーケットのヤンキースは勝つことはできます。勝てないとは一言も言っていない。しかし勝利の生産性が確実に落ちることは戦略について学んできた者なら誰にでもわかることです。このやり方はどうしても勝利を手にするまで時間がかかり過ぎるのです。

ヤンキースにおいてサンチェスを手に入れたことは次なる黄金期の大いなるチャンスと見てもいいでしょう。時間に関するコスト意識を見る限り、観客動員および勝率を落とし続けたオーナーは能力的にはかなり劣ると断言できます。しかし監督は有能であり、まだ数十試合で判断することはできませんがもしキャッチャー・サンチェスが史上最高レベルだった場合、さまざまな要素の入った多次元方程式を解くとき、最終的にどういう結果が出てくるかは正直、予測はかなり困難なものとはなります。

オーナーに才能がないから絶対にヤンキースは勝てないというほどベースボールは単純でもなく、まして野村克也が言ったように99%監督でチームが決まるということも絶対にない。ベースボールは多面体である以上、何かひとつの切り口に偏って単純に白黒で決めつけることはできません。

結論

絶えずFAで補強をしながらもロースターをベテランで占拠することなく、同時に常にプロスペクトへ一定のスペースを設け組織の新陳代謝を図るというLADのスタイルこそが戦略的には正しい。(しかし戦略は正しくても、絶対エース・カーショウのみならずDL入り人数でLADは史上記録を更新する勢いであり、ここまでけが人続出では・・・非常に際どい場所に今LADは立っているのが現実であると言えます。)

おそらくはフリードマン社長が喉から手が出るほど欲しいであろう、キャッチャーにゲーリー・サンチェスという新星が現れたことは、ヤンキース帝国の暗雲を吹き払う一筋の光明となるはずであり、ハル・スタインブレナーの判断力ひとつでLADとNYYの立場が一気に入れ替わる可能性もある。

1995年以降MLBの世界一に導いた監督の元ポジションがキャッチャーである比率は優に50%を超えると言われている。日米問わず、名将と言われる監督の現役時代のポジションは言わずと知れたキャッチャーであることからも、キャッチャーというポジションの持つ重要性はチームを勝利に導くという観点から眺めた時、他にはない格別なものがあります。

果たしてゲーリー・サンチェスは、ヨギ・ベラの再来として新たなヤンキースの黄金期を形成できるだろうか。ゲーリー・サンチェスが本物だった場合、途轍もないチャンスを今ヤンキースは手に入れていることになる。


大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。