視聴率も下がり続ける チャップマン放出劇にみるヤンキースの現状

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07 /28 2016
チャップマンのトレード成立を受けてヤンキースのキャッシュマンGMは「2016のプレーオフ出場は諦めておらず、チーム再建にかじを切ったわけではない」と強調したと言われています。ヤンキースにはまだ後ろに二枚おり、今回のトレードそのものだけに視野を限定すれば、ヤンキースは勝ったとみなすことも可能です。呪いを解いたならばほんとうに勝ったのはエプスタイン率いるカブスである可能性は大いに残されているわけですが、MLB最高レベルのクローザーを放出しておきながら、決して売り手になったわけではないとGMが強調しなけれならないほんとうの理由とは、いったい何のか?

今更敢えて指摘するまでもなく、もしコンテンダーであることからヤンキースが完全に降りたと表明することは、TV視聴率の低下および観客動員の減少に一層の拍車がかかることを意味しており、利益がこれ以上減ることだけはどうしてもハル・スタインブレナーが避けたいからという以外の理由はありません。しかし勝ち目はほぼない以上、チャップマンをキープすればそれはそれでもったいないということで、実に中途半端な結論が出てきたというわけです。思い切って勝負することがどうしてもできない。これは現オーナーの能力そのものであり、必ず繰り返されることになります。戦略的撤退、どうせなら今年は見限って、再建を断行するという手も十分にありました。

そもそもチャップマンを手に入れた際に、当ブログではこの絶好の機会を大きく+に転じるためにも、プライスやセスペデス、マエケンに代表されるドラフト指名権を失わない選手獲得へ大々的に取り組まなければチャップマン獲得も意味は半減するという極めて単純な意見を書きました。

「チャップマンという強力な武器を手に入れたNYY」

ボスならそんなことを言われるまでもなくその程度の動きは当然入れますが、予測通りハル・スタインブレナーはボスと真逆であり黙ってやり過ごした。こうしたひとつひとつの判断が、観客動員から勝率にまで大きな影響を与えてゆくわけですが、では、なぜハル・スタインブレナーはやり過ごしたのか。

一般に流通している表向きの説明ははっきり言って全くのフェイクであり、ハル・スタインブレナーが一にも二にも単純に贅沢税回避をすることによって確実にコストダウンできる目先の数千万ドルが大事だったからに他なりません。真の戦略家ならば、コストカットよりもチャップマンという武器を梃にして更なる積極的に投資をし、堂々とコンテンダーとして地位をキープし、完全なる買い手で7月の時期を迎えて大きなリターンを狙うことに必ずなっていたはずです。

ちなみにTORは一試合あたり5000人も観客動員を昨年増やしましたが、今年もコンテンダーであり更に5000人増やしており2年前から10000人増、衰退するヤンキースの観客動員をついに抜く状況にあります。

選手へのサラリーを「コスト」として捉えて倹約に励むのか、それとも「投資」として捉えてより大きなキャピタルゲイン(チームの資産価値)やインカムゲイン(売り上げによる収益)をリターンとして狙うのか。これらも表裏一体であり支払うサラリーとしては同じものですが、必然的にコスト意識が強ければ縮小均衡になり、投資意識が強ければ拡大均衡となる。

ソフトバンクの孫正義を<戦の神>とも評しましたが、英半導体大手のARMを約3兆3000億円で買収するといった大勝負に出ました。スマホのCPUメーカーであり世界のシェア97%、プラットホームをがっちり抑え巨大な利益を目論むという孫正義、得意の戦略を打ち出しました。これから間違いなく世界は「IoT(モノのインターネット)」「AI(人工知能)」、「スマートロボット」へ社会は向かうわけですが、その際にハードが世界へ供給されるにあたってARM製のチップが必ずINされることになる。まさしく世界を舞台にした大戦略、これを一般にプラットホーム戦略と言います。結果はどうなるかはわかりません。当然リスクもあります。しかし勝負師・孫正義の面目躍如といったところです。リスクがなければ、そこには大きなチャンスもない。

投資により大きなリターンを目指すのではなく、贅沢税回避によるコストカットによって利益を狙うというハル・スタインブレナーの判断が果たしてほんとうにヤンキースにとって正しかったのかどうか。

率直に言って戦術レベルの今回の一トレードのみを切り取って、勝ったの負けたのというセンスが不思議でなりません。物事を俯瞰した時、事実として2016のヤンキースは観客動員は下がり、視聴率も下がり、チームは弱体化し数十年ぶりにヤンキースは売り手へ回ったわけです。チャップマンのトレードそのものに視野を限定させればヤンキースが得したようにも見えるが、一歩後ろへ下がって冷静に眺めたとき、ヤンキースが中途半端な売り手としてマーケットに登場してきたという自体、戦略的にはヤンキースが興行的にも優勝を狙うという意味においても完全に負けたことを意味しています。戦術レベルのチャップマンにまつわる一ディールだけに視野を限定させてはなりません。つまり他のスモールマーケットのチームなら売り手に回ってこのトレードで得をしたと喜ぶのならいざ知らず、ヤンキースという強豪としての伝統のあるチームが売り手にまわったと言う現実をこそまず直視するべきではないのか。

戦略と戦術の違いとは一体何か。

その違いを知りたければ、ヤンキースのハル・スタインブレナーとソフトバンクの孫正義の考え方の違いに迫れば一目瞭然となります。いずれアップする「戦略とは何か」という記事でこの点についても明らかにしていきます。

もしこのまま2015オフではFAでも何の補強もなく、それどころかフラッグディールにおいてもチャップマンをも欠いたこの戦力でPOに出たなら、不可能を可能にしたという意味でその監督は正真正銘の名将となる。アリーグ9番打者の平均OPSが650前後であるのに対してタシェアラ、AロッドのOPSいずれも600前後、共にWAR-1.0前後。チーム全体の攻撃WAR26位。この戦力でよくも貯金を作っていると言ったのは、NYYファンの名倉ですが全くその通りの数字となっています。ピタゴラス勝率から見れば、2016もこの戦力で貯金を4つもしており大善戦とみなすのが客観的なところです。しかも最初の数十試合はチャップマン抜きであったわけですから・・・。監督が普通の能力なら借金も0~5、ほんとうに無能なら借金が6~10あっても決しておかしくない戦力であることはセイバーメトリクス的にも明らかなことです。

優勝するために最も大事なことは何か?そう問われてミラクルメッツの指揮官であったギル・ホッジスは答えます。「優秀な選手が揃っていることだ」と。ヤンキースというチームの動きを洞察するにあたって、最大のキーマンであるハル・スタインブレナーの考えさえ抑えておればまず問題ありません。

この時期は事態の流動性は高いために予期せぬことが起こります。何かあればまた記事をアップします。


3000ですら通過点に過ぎない イチローの天才性を示す驚異のメンタル 

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07 /24 2016
「NHKスペシャル ミラクルボディー(第1回)」では、ロシア代表(イシェンコ&ロマーシナ)シンクロナイズドスイミングの卓越した実力の秘密に迫った。この番組では驚異の身体能力だけではなく、メンタルな側面からもこの天才ペアに焦点を当てながら分析を行っていました。

分析によればロマーシナは「金メダルのため」「国のため」など目の前の目標に向かって動くタイプであるという。それに対してイシェンコは自己決定力が高く「自分を向上させるため」という、内から湧き上がる欲求で動くタイプであり、動機づけが自己の限界の挑戦にあるからこそ、逆境を乗り越えれば乗り越えるほどどれだけつらい環境が自分を高めてくれるかという事を知り、ますます努力を続けていく。困難に対するタフさをイシェンコは才能のひとつとして身につけているという。まさにこのモチベーションのあり方こそイチローである。

小久保が二冠王を獲得して、選手としての目標を達成し「燃え尽き症候群」になりすっかりモチベーションを失った時、イチローの言葉にハッとさせられたといいます。記憶の中からなんとか言葉を手繰り寄せ書き起こせば、おおよそこのような言葉をイチローは小久保に言ったという。

「小久保さんはタイトルや数字のために野球をやっているのですか。僕にとって野球とは自分の魂を磨き出してくれるものであり、己を高めてゆくという点において野球に終わりはない。だからどれだけヒットを打とうが野球をするにおいてモチベーションを失うことはないのです。」

小久保とイチローの相似形としてロマーシナとイシェンコ。ロマーシナもイシェンコも互いに世界における超一流のトップアスリートであることに違いはないが、中でもメンタルも含めた身体能力全般において、イシェンコというアスリートの際立った天才性についてその番組では存分にスポットを浴びせることに成功していた。

オリンピックで金メダルを獲得し前人未到の300点越えをしても尚も進化を求めて止まない羽生結弦や金メダルを二度も獲得しながら、過酷な水泳という競技で驚異的なモチベーションを維持し続けた北島康介、そして3000安打にまもなく到達しようとしているイチロー。この3人の天才に通じる何かをイシェンコというアスリートは明らかに示唆してくれたような気がする。

イチローを称するに「努力する天才」という表現もあまりに陳腐ではないか。本人は認めたがらないようですが、まず大前提として正真正銘のイチローは野球の天才である。その己の内側にある巨大な才能に気づき、正しい努力によってそれを磨き出し、身につけたその力や技術を最高の形で世に解き放つ自己プロデュースに長けた者だけが天才の名前を恣にする。

才能と努力と天才という呼称の関係性はそんなところにあるのかもしれない。

通算安打の話において、もしMLBからキャリアを出発させていたらというifを語る際、日本時代があってこそのイチローであり、MLBであれば埋もれていた可能性についてその話もわからなくもない。しかしMLBという場においても身体では大きく劣るアルトゥーベやペドロイアがオールスター級の選手として活躍しているように、イチローほどの巨大な才能ならばそこに埋もれてしまう可能性というものはまず皆無であると言っていい。どう見てもアルトゥーベやペドロイアよりも全盛期のイチローは才能にあふれている。イチローのようなあそこまでの偉大な才能とひたむきな努力があればMLBという場においても、必ず頭角を現すことになったと考える方が自然ではないか。本物の天才とはそういうものである。イチローほどの巨大な才能を過小評価するのもまた問題ではある。

勉強で上位10%には入れるけど、トップになれないから勉強は諦め甲子園に最も近い高校を選んだイチローのエピソードなどは、野球だけではなく学業もできる万能性をアピールしようとした斉藤佑樹とはあまりに対照的ではある。プロになる前の大学時代から将来的にはスポーツキャスターや政治家にも色気を見せ、MLBへの夢や200勝を軽々しく語った斉藤佑樹にはイチローにみる地道なひたむきさをほとんど感じることができない。田中将大や前田健太はすべてを野球に注ぎ、プロにおいて一流の成績を残しタイトルホルダーとなってMLBへの夢を本格的に語たりはじめたように記憶している。カイエン、早稲田という肩書き、政治家、スポーツキャスター、150km、200勝、MLB。根拠のない幼稚な万能感をかつての甲子園優勝投手は身につけるに至り、前田や田中とは途方もない差が結果的に生じてしまった。

世間からかっこいいと思ってもらえるような自分になることが人生の目的や目標である。

これが少なくとも一流のアスリートとしてのモチベーションではないことは明らかだろう。天才としての傲慢さと同時に地道なひたむきさがイチローには同居している。天才なのだからイチローにおける多少の傲慢さも許されるひとつの個性ではないだろうか。

追記 

それにしてもイチローについて批判できる人が野球界ではほぼ一人になってしまった。ある意味、その人物は非常に貴重ではあります。いずれ記事にすることがあるかもしれません。イチローに近しいメディア関係者に限って、本人生の声が取れるわけですが、反面その記事に強烈なバイアスがかかっているのはどうしても否めない。ここに本物のリテラシーが大事になってきます。


ヤンキースは今こそ売り手へ転じるべきである

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07 /17 2016
ヤンキースの経営戦略において最も重視するべきは27回の世界一にも代表されるように絶対強者としての<ブランド化>である。ブランドとは本来経済合理性を超えたプライスレスなものであり、時として、経済合理性よりも優先しなければならない価値があることをヤンキースのリーダーは知らなければならない。

ところがその最も大事にすべきものを括弧に入れて、小賢しい目先の経済原理によって生え抜き殿堂入り可能であったカノを平気で放出し、コストカットという芸のない手法を好んで使うヤンキースというブランドの破壊者こそがハル・スタインブレナーである。もしリーダーの経営戦略が正しければ観客動員は増えて、チーム資産価値も強力なインフレトレンドに乗り上がっていかなければならない。

しかしオーナーが切り替わってからというもの、観客動員は下降トレンドにあり、資産価値の伸びも相対的に抑え込まれていることが先般明らかになりました。ここまでチームを劣化させてしまった以上、フェーズが完全に切り替わっており、ヤンキースは今こそ大きく売り手へと転じることが戦略的にも正しい判断となる。半年前とは違いフェーズが切り替われば、導き出される結論も180度異なる。定石通りキャッシュマンは解体する意向を持っているが、よもや有能なオーナーはそこにブレーキをかける始末となっている。

本来大胆に勝負に出なければいけない時期にブレーキをかけたのはハル・スタインブレナーであったように、大胆に解体すべき時期にもまたブレーキをかけているのがハル・スタインブレナーである。こうした判断力の欠如というものは生まれ持ったセンスであり、これからも何度となく必ず繰り返すようになります。ヤンキースが衰退するトレンドに入るであろうと予測したのも、ひとえにハル・スタインブレナーのリーダーの資質に焦点を当てた結果にあります。

「明日伸びむが為に、今日縮むのであります」

かっこよく言えば、「創造的破壊」をすることによって戦略的にヤンキースを再生させる道を歩むことができると自らが絶対正義であることを疑いもしなかった一群の賢い人たちがいました。まさしく深謀遠慮であり、今日縮むことが将来の利益につながるのだと、今ハル・スタインブレナーが行っているぜいたく税回避も、一時的に戦力は弱体化するが長期的な利益には適うというわけです。

この「明日伸びむが為に、今日縮むのであります」「創造的破壊」といった真っ当にも見える言葉は、実は昭和初期に日本経済が苦境になった時に大流行したものです。当時のインテリも「明日伸びむが為に、今日縮むのであります」の考え方を大いにバックアップしたために勇気百倍、蔵相だった井上準之助は「これこそが正しい方向である」と緊縮均衡路線を取りました。

結果どうなったのか?昭和恐慌へとまっしぐらに突入したわけです。そこに救世主として現れたのが高橋是清でした。縮む方向性とは全く逆のケインズばりの積極財政を打ち出し恐慌から日本を救い出したわけです。

今から1年前にも衰退の危機にあるヤンキースが採るべき道は、ケチに徹した井上準之助ばりのハル・スタインブレナーが推し進めていた緊縮均衡路線が正しいのか それとも日本経済史に燦然と輝きを放った高橋是清流のソフトバンクの孫正義が推し進めているような拡大均衡路線が正しいのか、意見は真っ二つに分かれていたと言っていいです。

当ブログの結論は今でも全く下記の考え方で変わりはありません。

「忍び寄る衰退 ヤンキース帝国の黄昏」

「NYYのペイロールは3億ドルへ増やすべきである」

誤解のないように補足しておけば、ヒューストンのようなスモールマーケットであるならば、一時的に「明日伸びむが為に、今日縮むのであります」「創造的破壊」という考え方はジャストフィットします。大事なことは「戦略的な正しさとは、TPOに応じて常に変化する」ということにあります。スモールマーケットとビックマーケットのチームとは自ずから戦略的正しさも異なってくる。

例えばスモールマーケットのヒューストンが無理をしてバークマンと経済合理性を超えた契約を結ぶことは間違いとなる。同じことをしてもあるチームとっては戦略的に正しいことも、あるチームにとっては間違いということがある。

確かにオーナーとしていろいろと問題もあったが、絶対強者足らんとし、ヤンキースというブランドを徹底して守り抜こうとしたジョージ・スタインブレナーがリーダーであれば現在のような体たらくにヤンキースは絶対になっていなかった。

草葉の陰からジョージは今のヤンキースをどう眺めているのだろうか。「その調子でいい、今進んでいるこの道こそが正しい。」とボスがにっこり微笑んでいる姿を想像することが果たしてできるだろうか。私の目に浮かんでくるのは、眦を下げた困惑したジョージの姿である。


栗山監督が斉藤佑樹にこだわる本当の理由 その戦略的価値

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07 /12 2016

日本ハムバッター・賢介、9回2死から起死回生の同点ホームラン。スタンドにボールが吸い込まれた瞬間、思わず鳥肌が立った。最後は勢いで勝負は決した奇跡的な日本ハム14連勝のフィナーレ。

「一番ピッチャー・大谷」

張本の言うように常識的に見て草野球でもふつうはやりません。たしかに張本の論にも一部の理はある。しかしだからこそ、プロ野球というショービジネスでやる価値がある。ここで180度発想の転換ができるのかどうかが、大きな分かれ目となる。草野球でもやらないという常識。その枠の中で「喝だ!あっぱれだ!」と叫ぶことが如何に頑迷であり、了見の狭い態度であるのか。

単に勝つだけではなく魅せることにこだわったのはショーマン・三原脩でした。三原脩は川上野球の手堅く強いが決して面白くない野球を皮肉ったことがある。その川上野球を継承し鉄壁の強さを発揮したのが森西武であり、さらにはその強さを現役時代に嫌というほど思い知らされ、元西武のOBをコーチに招聘して、西武と極めてよく似た野球を展開して一時代を築いたのが落合中日であった。

人気を度外視し「監督の仕事はチームを勝ちに導くことである」という哲学を譲らなかった落合は、最終年にあって中日を日本シリーズまで導くも解任。森西武もまた最終年、CSがない時代にあってリーグ優勝を飾りながら同じく解任。両者に共通しているのは強かったが、とにかく人気はなかったということです。最下位であったにもかかわらず、観客動員を伸ばした2015横浜の中畑監督は慰留されたのとは対照的です。

この意味するところをよくよく考えていかなくてはなりません。

ちなみにオールスターで「ピッチャー・イチロー」という二刀流の采配をしたところにも、仰木彬が三原脩の直系であることがよく表れています。どこまでいってもプロとはあくまでファンにドラマを提供することによって感動を与え、二刀流というような夢でもって魅了してこそ成立するものである。ファンから飽きられればMLBのひとつでもあったアメリカンアソシエーションの運命と同じく、プロ野球と言えどもリーグを終了せざる得ません。それがショービジネスというものであり、そもそも張本の解説者という仕事もまたプロ野球が消滅すれば自動的に消えてゆくことになります。

必ずしも常勝ではなかった魅せる野球に拘った長嶋巨人。強さをひたすらに追求した川上・森・落合という野球。三原脩はどちらかを選ばなければならないとしたら、プロである以上、魅せる野球を第一に追求しなければならないとも言いました。しかしほんとうはそのどちらかを選ぶ必要はありません。

三原脩の野球のように勝負においてファンを魅了するドラマ性があり、最終的にはチームを優勝へ導く野球を追求すればいいだけなのです。三原脩の野球には、日本シリーズ「巌流島の対決」でも明らかなように常に巧みにショーアップされたドラマ性があり、そのドラマを勝利に結びつける知略が備わっていた。この両者を具有する点こそが、時代を超えて栗山監督をも魅了してやまない三原脩という巨人の魅力でもある。

栗山監督はおそらく、三原脩の野球を現代を舞台にしてもう一度蘇らせようとしているに違いありません。難攻不落のソフトバンクを倒すには、張本のように常識の枠の中で物事を考えていてもまず無理ならば、ドラマを梃子にして<勢い>で倒すというシナリオが必要であることを本能的に栗山監督は察知している。

監督がハンカチ斉藤に拘るのも、彼の存在そのものが内包しているドラマ性こそが勝ち抜くためのアクセントとして戦略的にも価値が十分にあると考えているからです。

日本ハムにはBOSというシステムもあります。外野から言われるまでもなくセイバーメトリクス的に戦力として斎藤佑樹を冷静には眺めています。セイバー的には一見不可解にも見える判断ですが、もう一段深い目をもった時、栗山監督が単純に斉藤祐樹を贔屓しているから起用しているのではないことがはっきり見えてきます。

例えば加藤が1勝を上げるのと、斎藤が1勝をあげるのとでは、マスコミの露出も全く違えばインパクトも全く違ってくることは言うまでもありません。日本で最も知られている選手という意味でおそらく斎藤は3本の指に入るはずです。ふだん野球を見ない人たちにも、10年前の斎藤がハンカチで汗を拭った姿の強烈な印象を与え、野球というジャンルを超えた一種の社会現象にもなりました。栗山監督はペナントを制するために斎藤佑樹は必要なピースであると本気で思っていると当ブログでは考えています。

斉藤を切り捨てることなど誰でもできる。苦しみながらももがいている斎藤の姿を栗山監督は見守ってきたからこそ、何としてでも1勝を上げさせてやりたいとチーム状況も鑑みバランスを取りながら、チャンスを斎藤に与えているのではないのか。不遇の中にある選手を見守りチャンスを時機を見ながら与える姿にこそ栗山監督の監督としての素晴らしい資質がある。それは結果は大きく違えどもレアードを見守ってきた態度ともどこかでリンクするものです。

ベースボールとはメンタルなスポーツでもあり、理屈を超えた勢いの重要性を栗山監督は相当に重視している。複雑系の観点からして、このハンカチ斉藤に拘る栗山監督の考え方は、単純に非合理なものとして切り捨てることはできません。むしろセイバーメトリクスだけの単純な線形だけで野球の奥深さを語りきれると思う方が間違いである。明らかに野球とは筋書きのないドラマでもあり、複雑系のスポーツでもある。非線形な<勢い>を重視する考え方を無下に否定することは必ずしも知的な態度ではありません。セイバーメトリクスの威力を存分に活用しながら、その限界についても明確に掴んでおくことが大事になる。

「野球には線形からのアプローチだけでなく、非線形からのアプローチも同時にする必要がある。」

日本プロ野球史上最高のインテリでもある知将・三原脩がもし現代に生まれ変わっていたら、そんなことを言っていたかもしれません。捕捉として書いておけば、今から半世紀も前にすでにセイバーメトリクスにおけるWARの原型となる考え方をする極めて合理主義的な一面を持っていたのが三原脩であり、同時に運というアナログな要素も際立って重視する監督でした。三原脩の野球は合理性と非合理性を追求したが故に、魔術も可能であったと言ってもいい。

斎藤佑樹が背負ってきたその歴史までも栗山監督は戦力として活用しようとしている。というよりもベンチにいるすべての選手の能力を総動員して優勝という目標へ向かって戦略的に集約しようと懸命に頭に汗を掻いているのが栗山監督である。かつて監督を無能扱いした一般のシロウトが想像している以上に、数十人というベンチ全体、143試合というペナント全体を見渡しながら、最善手とは何かについて、目標から見てトップダウン式に戦略的に考え続けているのが栗山監督だと言ってもいい。戦略的な思惑と実際の結果がずれることなどいくらでもある。そのギャップができた時、どうチームを立て直して、修正を図り、最終目的へと到達するのか、そこにこそ監督の技術と勝負強さと運が試されている。




 「ボールパーク戦略の極意は<花>にあり」にこんなことを書きました。

「魔術師ビル・べックを眺めてゆくと、肌の色が白であるとか黒であるとか、選手の年齢がいっているとかいないとか、健常者であるかないかとか、そうした既成の社会通念が作り上げた境界線(マージナル)に縛られず、ビル・べックはそのマージナルの上を自由に行き来する人であったことがわかります。魔術の源泉には常識を超えてゆく発想力が大事となる。 」

(話は逸れますがCLEが1948年に優勝してから68年の月日が流れました。果たして「コラヴィートの呪い」を解くことができるのでしょうか。魅せながら勝利する。それを実現したのが今から68年前にCLEを率いたビル・ベックであったということですね。)

多くのプロ野球ファンは目下、応援しているチームを超えて日本ハムの動向から目が離せません。真に魅力的な野球を展開していれば、球団という境界線(マージナル)を超えて、最終的には時代という境界線(マージナル)さえも超えてゆくものです。三原脩が指揮した西鉄三連覇の歴史が未だに色あせることがない理由もそこにある。

率直に言って翌日の監督インタビュー記事に接するまでもなく「一番ピッチャー・大谷」この奇策の中に、魔術師・三原脩の姿をすぐに見出すようでなければ解説者としては本物ではありません。「常識が作り出した境界線(マージナル)を超えて数々の奇跡を起こしてきた魔術師・三原脩が遺した数々の貴重なメッセージ」と「常識の枠の中で「喝だ!あっぱれだ!」と叫ぶ解説者張本の言葉」。どちらを選び取るべきかは比較するまでもないほど明らかなことです。張本の批判をやり過ごした栗山は大人であるというコメントもありましたが、思考の次元が決定的に違っている以上、ムキになって反応するまでもないというのが栗山監督の本音ではないでしょうか。

単なるトリッキーな非常識と境界線(マージナル)を超えてゆく魔術は似て非なるものです。素人がでたらめに絵を描くのとピカソの抽象性の高い不可思議な絵の世界には越えがたい一線があるように、膨大な知識を拠り所にして考えに考え抜いた末に、自らの直感を信じて繰り出した作戦と、何の裏付けもなくとりあえず誰もやっていないことをしてみたという思い付きレベルの非常識な采配は、たとえ表向きは「一番ピッチャー大谷」で同じであったとしても、結果は自ずから違ってくるはずです。

非常識と魔術の違いを明確に知る深い目を持てるように これからも栗山日本ハムを通して学んでゆくつもりです。「一番ピッチャー大谷」のリスクを見た時、そこにどれだけの覚悟があったのかを思えば、大谷のHRとともに栗山監督の勇気にあっぱれとしか言いようがありません。

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「大谷二刀流のルーツを知っているか?」


田口壮の解説力 その奥深さを探る

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07 /09 2016
MLBを解説するにしても何かが田口壮の解説は他の人と違ったはずです。これから田口壮の解説はいったいどこが秀逸だったのか、当ブログから眺めた解説を試みます。

通常、解説者はシーズン直前に順位の予想をします。そして予想は外れるが相場です。

前年地区優勝したそのオフに、サイヤンガーのマックス・シャーザーを獲得して満を持して2015のシーズンに臨んだWSHは、セイバーメトリクスのプロジェクションでも30チームで最もPOに出る確率が高いとされていました。同じく前年地区最下位に沈んだTEXは、大した補強もせず開幕直前に絶対エース・ダルビッシュをトミー・ジョンで欠いて、もはや勝ち目は全くなしという状態で2015のシーズンに入りました。

結果的にシャーザーまでも補強し万全の体勢であったWSHは負け、最下位でありながらダルビッシュまでも欠いたTEXが地区優勝を果たしました。まさしく三原脩の言うように「野球とは筋書きのないドラマである」であり、2015このような結果になることは誰ひとり予測できた者はいなかった。

前提としてセイバーメトリクスに基づくプロジェクションというものは大変有意義なものであり、前田健太の0.00台のERA予測などは3.00台へ向かうことがはっきりと示されていました。(もっとも2016が2点台へ帰着する可能性は十分あります。サンプルが一年程度では投手によってはE-Fが1.00以上開くことは決しておかしくはありません。)前田のERAが今後どうなるのか、こうしたセイバーメトリクスに基づく予測を帰納的予測と言って、間違いなく一定の精度を持っておりベースボールとは数のスポーツというように、統計学に基づいた<予測可能性>を帯びたスポーツであるということが言えます。一方において、2015のWSHとTEXが象徴しているように、ベースボールとは帰納的な予測を超えた複雑系のスポーツでもあり、<予測不可能性>を帯びたスポーツでもあるということになります。

このようにベースボールの奥深さというものは、未来への予測不可能性と予測可能性の狭間にたゆたっている点にこそある。一定のドラマ性と合理性の融合にこそ、その妙味があると言ってもいい。

猪瀬アキという評論家がいます。個人的にはとても好きなのですが、彼は未来についても明確な意見を書きます。そしてこれがまた実によく外れるのです。しかしながら多くの評論家が単なる情報を流している中で積極的に未来をも語る猪瀬アキには外れるリスクを取るだけの勇気がある。レスリングの吉田沙織が次の試合に勝つかどうかを予測するのはそれほど難しくはありません。それに比べるならば、ベースボールの未来を語るということは数段難しく、ドラマ性こそがベースボールの大きな魅力であるために、未来への予測には外れるリスクが必ず付き纏います。しかしそんなことを承知しながらもリスクを取って敢えて一歩前に出る。仮に情報だけを伝えるならそこには何のリスクも発生しません。率直に言って言葉が全く紐付されておらず絶対匿名の完全なる安全地帯に身をおきながら、勇気をもって将来を予測した者が外れたらそれを小馬鹿にするような落書きレベルの後出しジャンケン批判よりも、どれだけ外れようが猪瀬アキさんのあり方は数段以上優れていると当ブログでは考えています。

神であってもベースボールの完全な予測は不可能であることは、複雑系という科学でも立証されている。結果論からすれば、張本のように誰でも神の視座を持ち絶対に正しいことを語れます。たまに予測するにしても2016巨人が首位の時にこのままいくだろうとし、広島が首位になったら手のひらを返して広島がこのままゆくとする。これでは単に結果をなぞっているだけで何の意味もない。2015横浜が首位の時、本物だと言ったのは張本でした。しかしこれでは本当の意味での深い洞察力を得ることができません。

ベースボールには必ず勝者と敗者が存在しています。

すなわちこの両者を分かつ根源的な戦いの法則・原理がたしかに存在しているはずです。だからこそ勝った負けたという結果に目を奪われることなく、プロセスのそのもっと奥深いところに横たわっている<戦いの原理>に対して、当ブログでは焦点を当てそれを明瞭な言葉によって紐解こうとしていています。

もちろん2016CHCのように計画通り打つべく手を打ち、着々と勝利を積み重ねPO進出についてはおそらくは間違いのないチームもあります。一方で、2015WSHのよう、正着を打ち込んでもベースボールでは思うような結果が出ないことがある。そこがベースボールと化学反応とは決定的に違っており、こういうプロセスを踏めば必ずこのような結果に至る、という完全なる科学としてベースボールは成立していない。

原因(プロセス)と結果を正しく結びつけその因果を紐解かなければ、戦いのセオリーというものを見出すことはできないが、単純に原因(プロセス)と結果を結びつけてすべてを語るにはベースボールというゲームは余りに複雑系である。こうした原因と結果におけるジレンマがベースボールには存在しているからこそ、「原因(プロセス)と結果を正しく結びつけるというベクトル」と「プロセスと結果を単純に結びつけることなく二つを分けて考えるというベクトル」の相反するの二つを持っていない限り本当の洞察力の深みへ降りてゆくことはできないようになっています。

ベースボールにおいて「なぜ、そうなっているのか?」という深い問いかけに対して、こうした相反する二つのベクトルを内包できる人だけが結果論というバイアスから逃れて、ベースボールという事象をありのままに眺めることが可能となる。この<原因と結果を正しく結びつける力>と<原因と結果を正しく切り離す力>の2つを具有している解説者の代表格こそが田口荘であり、他の解説者との差別化を図ることに成功をしています。ここが桑田とも微妙に違う点です。やや桑田は原因と結果の連鎖で過剰に説明しきろうとし過ぎです。

解説者・田口荘には原因と結果の連鎖を的確に紐解けるだけの明晰な知性を持ちながら、同時にベースボールに内包している一定の<不思議さ>を無理に紐解こうとしない知的な謙虚さを田口は持っていると言ってもいい。張本にはこれが決定的に欠けています。

あっぱれか喝かだけでは峻別できない領域がベースボールには宿っている。

ベースボールの奥深さというものは、未来への予測不可能性と予測可能性の狭間にたゆたっている点にあるからこそ、解説力のクオリティというものが如実に明らかとなってしまうゲームでもある。


カブスの戦略的柔軟性 やはり守備シフトは過大評価すべきではなかった!2016BABIPは301へ 

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07 /08 2016
「守備シフトの有効性を過大評価してはならない」

という記事を1年前に書きました。固定概念に囚われて 評論家が絶賛している守備シフトを過大評価してはならないと3度にも渡って数字を示してきました。昨年もBABIP299と高止まり、ついには2016のBABIPは301と過去5年でも最高の値を記録するに至りました。いつかこの記事を書こうと思っていた矢先にざっくり言えばCHCが守備シフトを捨てたという報道がなされました。


プルヒッターには相も変わらず守備シフトは有効ではある。

しかしスプレーヒッターにもプルヒッターにもカテゴライズされない打者が守備シフトを戦略的に逆利用し柔軟に対応する打撃技術を手に入れた時、BABIPは守備シフト数に比例するように上がっていたという事実が出てきたわけです。CHCはすでにそのことに気付いて対応してきたということに尽きます。「守備シフトの有効性を過大評価してはならない」では守備シフトが真に打者の攻撃力を大きく削ぐものならBABIPは下がらなければおかしいが、なぜBABIPは上がっているのか、評論家の言葉に惑わされずに虚心坦懐に見つめ直すべきであると歴史を踏まえながら話を展開しています。

もっともSEAのようにシフトが機能しているチームもありオールオアナッシングで捉えることは危険です。

ちなみこのような例をもう一つ挙げておきます。

かつてトーリは「松井には打点を稼ぐ力がある」と評価をしたことがある。セイバーメトリクスを学び始めの頃、トーリはオールドスクールだから こういう古い考え方をするのだなと当ブログは高をくくっていたことがありました。ところがその後セイバーメトリクスに対しての理解が更に深まり、分析をしている内に数字の背景にあるものへ深く透視できるような感覚が出始めた頃から、私の考え方は180度変わりました。

実はトーリの言っていることの方が正しかったのではないかと。

10年も前から打点というスタッツを軽視するのがセイバーメトリクスの通であるという認識が流通しているが、その常識を疑ってもいい。いずれトーリを侮ることの方が実は浅薄な認識であったということがだんだん明らかになってくるはずです。少なくともセイバーメトリクスへの私の理解が深まり数字に対する感覚が深くなるにつれて、打点というスタッツを今では決して侮るようなことはしなくなりました。なぜならよくよくスタッツを注意深く眺めているとサッカーにも得点感覚に優れたフォワードがいるように、一部の打者においてトーリの言った通りたしかに打点を稼ぐという嗅覚に優れた打者もいれば、それほど得意としない打者がいることが明らかとなってきたからです。

これがほんとうにいるのです、いずれこれについても話をすることがあるかもしれません。

「古典「マネーボール」の正しい読み方」

この記事などの例が典型ですが、新しい知識もいつしか時代遅れとなり、気が付くと悪しき固定概念と化してしまうことがある。だから今持っている常識をいい意味で常に疑うことが大事になる。固定概念はバイアスと同じく認識を妨げる最大の敵です。

以前もセイバーメトリクスの記事の中でこう書きました。

「オールドスクールに一定の敬意を表すようでなければ、本物ではない。」

このスタンスだけはおそらく変えることはありません。なぜなら歴史というものは絶えず、アナログとデジタルの狭間で揺れ動きながら進化してゆくものだからです。デジタルが最先端であり、一直線にデジタルに偏って進化するということは絶対にあり得ません。


「一番ピッチャー・大谷」 魅せて勝つ!それが三原イズム

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07 /04 2016
球界における最高の花形であった大学野球から、その人気の座を職業野球(プロ野球)が奪い取りプロ野球のステータスを一気に押し上げた最高の立役者こそが<長嶋茂雄>であったとは、当時の証言を検証する限り誰もが認めるところです。とりわけ天覧試合のサヨナラホームランこそは一大エポックメイキングであり、プロ野球そのものが文字通り天皇に見守られながら<国技>となった瞬間でもあったわけです。

日本プロ野球、史上最高のカリスマ<長嶋茂雄>。

MLBの歴史において最大の功労者は文句なしにベースボールをナショナルパスタイム<国民的娯楽>へと押し上げた<ベーブ・ルース>であるように、プロ野球の歴史において 最も重要な人物と言えば、王でもイチローでもなく<長嶋茂雄>以外にありません。フェアーに歴史を学べば、ルースと長嶋こそが日米の野球の歴史において最大のキーパーソンであることはまず間違いのないところです。

戦前の日米野球の時、アメリカ選手の話を聞いて後にプロ野球第一号の選手ともなった三原脩は衝撃を受けたといいます。

「プロ野球とは、(観客に魅せる)何かが必ず起こるのがプロ野球であって、何も起こらないのはプロ野球ではない」

プロ野球とはあくまで興行であり、原点としてショービジネスでなければならない。

人気と強さが同居するV9の巨人のような状態こそプロ野球というショービジネスから見れば最高ではあるが、もし「ものすごく強いが野球に今ひとつ魅力がなく球場は閑古鳥が鳴いているチーム」か「決して強くはないが、次は何が起こるのかファンをワクワク感で大いに魅了し、球場に人が集まるチーム」か、どちらか一つを選べと言われたら、プロ野球は文句なしに後者の魅せる野球を大事にしなければならない。

なぜならば実際にアメリカン・アソシエーションというMLBとして認定されていたプロリーグは人気がなくなって潰れているからです。ちなみに潰れたアメリカン・アソシエーションに所属していた現在のPIT・CIN・STL・LAD4チームは、ナショナルリーグへ吸収され今に至ります。

「プロ野球という場では長嶋の(魅せる)野球が正しい。長嶋のおかげで今の(繁栄した)野球界があるのだから、野球に携わる者は長嶋の悪口を言っちゃいかん」

そうプロ野球の真髄をズバリと言葉で射抜いてみせた三原脩はさすがです。しかしその逆説として、長嶋の悪口を見世物にまで昇華させたショーマン野村克也の話芸もまた是となる。長嶋の悪口を言う言わないが真のポイントなのではなく、プロとは観客を魅了してナンボということ。

では、ファンを魅了するにはどうすればいいのか?

ボールパーク戦略の極意は<花>にあり

にも示したように、結局は世阿弥の言う<花>をどう演出できるかにすべては集約されてくる。花とは、観客を魅了して止まない力の源泉。ビル・ベック同様、世阿弥もまた喝破したように珍しきこそが花であり、サプライズを演出することがショービジネスにおける<花>の第一義となる。

三原チルドレンと言ってもいい栗山監督が、大谷を一番打者起用したこの奇策にこそ、ファンを驚かせ魅了して止まないショービジネスの原点がある。果たして「4番ピッチャー・大谷」が札幌ドームでコールされる日はくるのか。4番打者でHRを放ちながら、160連発で完封勝利。大谷の二刀流は日本ハムというチームを完全に超えたプロ野球ファン全体の夢となっている。

単に勝つだけではなく、魅せて勝つ。それが真のプロというものである。そう考えたのが初代社長に三原脩を戴く日本ハムの流儀でもある。

追記

ここまで書いてきてスポーツマーケティングの父と呼ばれ、ボールパーク戦略の極意を体現したビル・ベックと魔術師・三原脩の共通点がようやく見出せた気がします。いずれも固定概念がなく感覚がフレッシュで奇策が得意である。キーワードは<花>。

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カーショウ復帰の目途立たず しかれども2016LADはまだ終わらない

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07 /03 2016
ご承知の通り素晴らしく早い動きをフリードマンは入れてきました。時間に関するコスト感覚は抜群であり、間髪入れずにATLからノリスを補強。監督をはじめとしてベンチやファンも含めて、全体の気分が一気に落ちたところで緊急補強。ネットでは2016LADは終わったと言われていました。最高責任者であるフリードマン自身こそがある意味、もっともダメージを受けているにもかかわらずLADはコンテンダーであり続けることを内外に知らしめたアナウンス効果は極めて大きいと言えます。

このタイミングでなければ、動いたという価値は大きく損なわれることになる。嘆いていてもカーショウはすぐには復帰できない現実は変わらない。そこで止まっていても問題は解決できないならば次のアクションをすかさず起こす。この切り替えの素早さたるや、フリードマンの優秀さを改めて証明することにもなりました。

今更当ブログで指摘するまでもなく、4000万ドルもの金をドブに捨てたとされるクロフォードを切ったLADフリードマンの決断も極めて正しい判断でした。例えば2015のイチローもWARがマイナスを記録してはいました。しかし攻撃・走塁・守備でみるとかろうじて守備だけは+評価となっており、守備だけはメジャーで通用するレベルにあったため、選手としての使いようはまだ残されていると判断することも可能です。

DFAされたクロフォードのWAR

攻撃 -7.6 走塁 -0.2 守備 -1.3

外野手がだぶついているLADにおいてクロフォードは三部門においてどこを切り取ってもメジャーレベルでは選手としての使いようがありません。

クロフォードの一報を聞いて瞬間的に思ったのは、経済学でいう<サンクコスト>という言葉です。

3Aのマイナー選手がMLBに上がってきてふつうに残せる成績レベルであるWAR0.0にすら達しないクロフォードをこれ以上出場させても、ロースターの枠を一つ失くすだけで、戦力してはチームに不利益を出し続ける結果となります。であれば4000万ドルは高い勉強代・サンクコストと割り切って、クロフォードをDFAにすることこそが正しい経営判断となる。

このような理屈は当ブログが語るまでもないほど、皆さんもよくわかっていることかと存じます。大事なのは理屈ではなくそれを実践することが如何に難しいことであるかという点にあります。それを明らかにしたのが行動経済学です。

なぜならばサンクコストと割り切ることは投資において最も難しい損切りに等しい行為であり「これだけの大金を使ったのだから、みすみす4000万ドルをドブに捨てることはできない」としてふつうの人はズルズルと決断を先送りにしてしまう傾向にあるからです。SDのプレアーGMが撤退戦略を速やかにできなかったように、言うが易し行うは難し。できそうで実はなかなかできる決断ではありません。何よりもDFAするタイミングが絶妙でした。

ノリスの緊急補強やクロフォードのDFAをするタイミング。フリードマンは時間というファクターの持つ重要性をよくよく知っている。SDのプレアーよりも明らかにフリードマンの力量の方が上であることが証明されたと言ってもいい。明らかに動きが違う。キレがある。

2017年にゴンザレスとの契約が切れるまで、チーム編成において就任してからの3年間はその過渡期にあるものとして、理想的なチームデザインを念頭に置きながらも、とりあえず2016フリードマンが取った戦略としては単純にロジスティックス・兵站を豊かなものとし物量作戦で当座をしのぐというものです。その作戦に反してけが人が多すぎるのが最大の問題なのですが、7月以降、柳・マッカーシー・ウッド・アンダーソンと続々、戦線に戦力が補充される予定となっています。

もし仮に、今年カーショウの離脱によってPO進出ならずとも、今回のような決断を即座に打ち出せる限り、当ブログのフリードマンに対する評価は全く変わりません。たしかにカーショウの離脱は余りに大きすぎる。それを単に終わったと嘆くことなら小学生でもできる。

いずれワールドシリーズをはじめとする短期決戦で勝ち抜くためにLADの未来をどうデザインしていこうとしているのか、2018年頃からフリードマンの意図がいよいよ明らかになってくるはずです。

2016LADはコンテンダーであることを全く諦めていない。

大谷の二刀流に反対していた人たちは誰か 改めて検証する

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07 /02 2016
「このままでは中途半端で終わる。ピッチャーで5勝、バッターで2割8分くらい。どっちかに決めないと。150キロを投げられるピッチャーはそうそういない。(投手専念なら)相当な選手になる」
(張本勲)

「ひとことで言えば、「大昔」の大記録。つまり多くの選手の実力レベルが、今日と較べてかなり低く少数の突出した実力の持ち主が大活躍をする、言わば「神話の時代」のベースボールでの出来事だった。」
「北海道日本ハム・ファイターズに入団した大谷祥平選手がバッターとピッチャーの「二刀流」で、プロに挑むという。が、結論から言えば、それは現代プロ野球で常識的に考えて無理」
(玉木正之)

「絶対にあり得ない! レッドソックス在籍時に投手兼主軸打者として活躍した伝説のホームラン王、ベーブ・ルースの時代ならいざ知らず、現代では無理です。今のメジャーでは、延長戦などで投手が足りなくなったときでさえ、控えの野手しか登板させない。高い給料を払っている主力にケガのリスクを負わせないためです。もし大谷選手がメジャーの一流選手になるという夢を志しているなら、二刀流プランは早々に破棄するべきでしょう」
(福島良一)

「投打ともに20年に1人現れるかどうかという逸材であることは間違いありません。投手、野手のどちらでも大成するでしょう。ただし、『どちらかで』であって、両方の大成を目指すことは、どちらも中途半端に終わる可能性がある。」
「本気で二刀流できると日ハムは思っているのか。大谷を潰す気か!投手は一度出来上がると長持ちするがバッターは難しい」
(江本孟紀)

「二刀流が通用するほどプロは甘くない。俺の記録を抜けるのはあいつしかいない、打撃の天才」
(清原和博)

「ずっと二刀流で(両方で大成)ゆうのは無理よ。160出せる身体能力は野手でも絶対に生きるはずやんか、オレはやっぱり野手で大成させてほしいと思うな」
(岡田彰布)

「ベーブ・ルースに大投手の名声はない。関根氏の偉業もほとんどの人は知らない。そんな「二刀流」よりも1日も早く「一刀流」に絞り、200勝もしくは2000本安打を目指すべきだ。どっちつかずが一番怖い。」
(サンケイスポーツ 田所龍一)

「プロを舐めるな、成功してほしくない、俺が日ハムの監督なら間違いなくピッチャー」
(野村克也)

「二刀流だと中途半端になる。投手に専念したほうがいい」
(桑田真澄)

「二刀流はどちらかに逃げられるので結局身につかない。栗山、判断を間違えるなよ」
(関根潤三)

ちなみに関根潤三という監督は弱小であったヤクルト時代の監督であったわけですが、戦力がないから負けて当然と考えて指揮をしていた実に常識的なものの考え方しかできない人でした。しかし野村克也が言うように「弱者は必ずしも敗者ではない。」そのための戦略があるということすら頭にない人であり、関根氏の認識の限界がここでも浮き彫りとなっています。

「投手出身の私はまず投手からの方が、と考えていたが、栗山監督の話を聞いて少し意見が変わった。栗山は、二刀流でやるからには1年とかで(方針を)曲げるわけにはいかないんです。と言っていた。私は運命だと思って、とことんまでやればいい、との言葉を贈った」
(森繁和)

「無理だと言うこと自体がおかしい。二刀流は難しいが前例のないことをいきなり否定はできない」
(松井秀喜)

否定派の人たちの言うことが決して間違っていたとは思わない。ただ彼らは大谷という100年に一人の逸材を自らが数十年の間で培ってきた常識の枠で捉えようとしたに過ぎない。大谷が打者にあっては5試合連続HRを放ちながら、投手としても160km超の4シームを一試合で何度も投げ込み、セイバーメトリクス的にも文句なし日本でナンバー1の座に居座るだけのポテンシャルがあることに否定派の誰ひとりとして気づかなかったということ。

この二刀流というプランが最も危機に晒された時期は、大谷一年目の日本ハムが最下位になった時でした。まさしく四面楚歌。ほぼ完全にアゲインストの向かい風の中を一人栗山は身を呈して、大谷の二刀流というプランを守り抜きました。きわめて日本ハムが柔軟性の高い組織であり、二刀流のサポート体制を作ることはあっても、そのプランを主導するのはあくまで監督であり、ひるまず立ち向かうは選手です。

「時代を変えてきた人たちは、周囲から“おかしい”と言われてきた」幕末の思想家・吉田松陰に栗山監督は影響を受けてきたと言われています。かの松陰が投げかけた「狂いたまえ」のゲキを日本ハムの選手に飛ばしたと言います。狂いたまえとは如何なることを意味しているのか。「その時代に合わせた常識の中では、本当に国家(野球)のためになる業績や改革など成し遂げられない。己の情熱のままに行動しなさい」という意味。

そうした松陰の狂の精神をもって大谷に「姿を現せ」という、謎めいた言葉を栗山監督はかけたと言われています。たしかに二刀流も一見すれば単なる非常識でもあり、狂っているとしか言いようがない。常識を超え、大谷自身もまたそのほんとうの能力・姿を表へ顕在化するためには、どこかで狂ったところが必要なのかもしれません。栗山監督の常軌を逸した二刀流続行という決断はまさに<狂>であり大多数の評論家や決して少なくない日本ハムファンも強烈にバッシングしたように、栗山監督は全くの無能扱いでした。

しかしそうした狂っているとしか見えない表層を超えたもう一段深いところに、確かな志とインテリジェンスが備わっている時、狂の精神が至誠へと転じ、世の中の常識を根本から変えることがある。

「千万人といえども我行かん」という吉田松陰の精神。たとえ一千万の敵によって道が塞がれようとも、もし自らを省みて正しいと思うなら、我が道を突き進む姿勢があってこそ、今の大谷二刀流がある。あの最も苦しい時期に松陰の精神を栗山監督自身が体現して見せてくれたような気もするのです。

おそらく栗山監督はどれだけ無能と罵られようが、外部の声については基本シャットアウトし、本当に自らが聞かなければならない声の持ち主が自らの心の内側にいることを知っていたに違いありません。その声なき声の持ち主こそが、栗山監督が心底尊敬して止まない、数々の不可能を可能にしてきた魔術師・三原脩だったのです。

MLBの歴史の骨格を語る上においてビル・ベックは絶対に外せない人物であるように、日本のプロ野球の歴史を俯瞰していると、私が思わず目を奪われたのが大谷二刀流のルーツでもある三原脩という男の持つ圧倒的な存在感でした。日本のプロ野球の歴史を語る上において、三原脩抜きには語れないとさえ考えています。セイバーメトリクスを研究していれば日本ハムが取り組んでいるBOSという強力なシステムに目が行かざる得ません。スポーツマーケティングや戦略の本を読めば、固定概念に囚われることがない組織風土を持っている日本ハムのフロントが如何に優秀かはすぐにわかります。当ブログの主な関心事である、セイバーメトリクス・戦略・歴史という3つの観点をたどると、その先には日本ハム大谷の二刀流は基本的に是であるという結論が浮上してくることは自明であったと言えます。

今年ヤンキースが最下位に沈んだ最も借金が多い時、当ブログではジラルディ監督を擁護しました。もちろん、最下位の日本ハムを指揮しバッシングの嵐の中にいた栗山英樹監督も当ブログは擁護しました。最下位だろうが擁護するものは断固擁護していきます。

大谷翔平は言います。

「特に幕末が好きですね。日本が近代的に変わっていくための新しい取り組みが多くて、歴史的に見ても大きく変わる時代。革命や維新というものに惹かれるんです」

幕末好きで日本のプロ野球の歴史に革命を起こしたいという栗山監督と大谷の意志が二刀流というアイデアによってがっしりとベクトルを一にした。すなわち二刀流によって時代に革命をもたらそうとした点において、栗山監督と大谷翔平は監督と選手という垣根を超えた同志であったのではないのか。

本当に無能だったのは果たして誰だったのか。それは後世の歴史家がフェアーに判断することになります。あの大バッシングを外から第三者として見ていた者としては、評論家や多数の意見が必ずしも正義とは限らないことを栗山監督の二刀流からは改めて学んだ気がします。たまにお前の書いていることとライターでは意見が違っていると指摘されることもあるのですが、「だからそれでどうした」としか言いようがないんですね。(笑)

大谷に感心させせられるのは時間に対するコスト意識といい、MLBへの夢を語ることを封印して、日本ハムの優勝だけに今はターゲットを絞っているというコメントを聞いても、大谷は周囲のことが実によく見えており、本質を掴み取る能力においても極めてクレバーな点にあります。判断もつかない高校生であった大谷に対して、大人が二刀流という餌で吊り上げたという下種なコメントを見たことがあります。いったいどこまで大谷を見下せば気が済むのか。大谷は栗山英樹という監督や日本ハムの本質にあるものを洞察し信頼に足るという確信を得たからこそ、MLBへ100%、日本はまずないとした前言を翻したのではないのか。

大谷の眼(まなこ)は、野球において最も大事な事柄についての核心だけは決して外さない。これまでも外さなかったからこそ、最速に近い速さで超一流の領域までレベルを伸ばしてこれた。栗山監督が有能でないならば、事が野球であるだけに透き通った大谷翔平の眼は確実に見抜くことになるはずです。能力のないと判断した監督へ、超一流の才能を持つ選手がついてゆくのかということです。

最後にもう一度、野村克也。

「あれだけのバッティングとピッチングができるなら、大賛成。今まで誰もやったことがないことをやるというのも、魅力である。『10年に1人の逸材』と呼ばれる者はよくいるが、プロ野球80年の歴史で、あんな選手は初めてだろう」

野村克也という人物の最良の部分がこの言葉に表現されています。しなやかな思考力を未だ失わず、自らの考えが間違ったと判断した時に、プライドに固執することなく方針を変更し前言を如何様にもひっくり返すことができる。この点、実に素晴らしいものがあります。


大谷の二刀流。漫画ならあり得ても現実にそんなことが可能なわけがない。もし今を生きる人が3年前に一人だけタイムスリップをして周囲の人に二刀流の未来が「5試合連続本塁打に160km超連発することになる」と告げても、誰も信じないに違いありません。どれだけ否定派の人たちが詭弁を弄しても栗山英樹監督は、大谷二刀流という誰もが不可能と考えていた常識を覆したきわめて有能な指導者として必ずや歴史に名を残すことになります。

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大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。