チャップマンという強力な武器を手に入れたNYY

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01 /31 2016
投手の時代を象徴するかのように、2015のストーブリーグもまずグリンキーとプライスからマーケットから動き出し、つづいて第二グループのスターターという順番で動き、セスペデスやデービスといった大砲は一番後回しになるという傾向がはっきりと見られるようです。つまり優秀なスターターの価値がそれだけマーケットにおいて上がっているということでもありますが、反面どれだけ優秀なサイヤング級のスターターを揃えても、POでは勝ち抜けなかった数年前のDETや最近のLADといった例を見るまでもなく、ロイヤルズのPOにおける戦い方にも表現されたように、全力で投手陣を突っ込む短期決戦は僅差になりがちであり強力なブルペンが大きな力を発揮することが明らかになってきました。

この際ブルペンの重要性を示唆したと言われるPOで勝ち抜くためのシークレットソースがオーバーフィッティングに過ぎず、その有効性が疑わしいという話もどうでもいい話です。

試合においてもWPAなど調べなくても明らかなように終盤接戦になればなるほど勝利にとって1点の持つ価値は大きくなるために、実際的に終盤に優秀なブルペンを揃えておくことは確実に一勝を獲得するという意味において、強力なチームの武器になることは間違いありません。それは短期決戦のみならずレギュラーシーズンにおける弱者の戦略としても極めて有効です。弱者ということは圧倒的な戦力がないということであり、レギュラーシーズンにおいても「如何に僅差の試合を確実にものにすることができるのか」という部分が勝利するためには枢要になります。この観点からすれば資金的にも一般にサラリーの高いとされるスターターよりもブルペンを相対的に手厚くし確実に僅差を拾ってゆくKCの戦略は、弱者が取るべきものとしても実に理に適っていると言えます。

「弱者は後ろ(ブルペン)から整備せよ」ということにもなろうかと思います。

今回チャップマンを獲得し強力なブルペン陣を手に入れたことはNYYにとって最大の武器になると言っても過言ではありません。この点においては強者も弱者も関係ありません。巷間言われているようにロイヤルズから勝利の方程式を築く大事さをNYYは学んだというところなのでしょう。KCには資金力に限界があるためにどちらにより重点を置くべきかと言われたら、スターターにはクリス・ヤングなどの効率良い補強をしブルペン整備を手厚くする戦略が正しいということになります。しかし資金力においては雲泥の差があるNYYなら、比重を後ろに置くというよりもブルペンとスターターどちらにも金をかけるべきです。どちらかに絞り込みをかけるという発想から抜け出すことが大事であり、プライスとキンブレルを補強したBOSのようなあり方が正着となる。

<絞り込み>という言葉がキーワードになるKCのようなスモールマーケットのチームと<包囲する>という言葉がキーワードになるNYYのようなビックマーケットのチームの2種類がありますが、WS制覇したKCに見倣ったNYYの動きを単純に評価するのは早計であるというのが当ブログの見方です。「NYYのペイロールは3億ドルへ増やすべきである」でも、言ったようにKCの良い部分を今回のように取り入れてゆくことはいいことですが戦略まで模倣する必要性は全くありません。

今回のトレードの動きも、オーナーから示されているであろう相当の限定条件が示された中でLADのおこぼれを預かった形にはなりましたが、キャッシュマン苦肉の策であったということが言えます。あの程度のマイナー選手でふつう状況ならチャップマンほどのクローザーを手に入れることなどできるはずもありません。DV問題で他のチームが次々とチャップマンとのトレードから撤退した状況が訪れたために手に入ったNYYは、僥倖を預かったとも言うべきですが、この幸運を生かし確実に勝利へと結びつけるにはあと一押し二押しが必要となってくるのではないでしょうか。強者であるNYYは弱者であるKCの良いアイデアをパクりかつ、更にそこに金にモノを言わせる戦略を本来なら取るべきです。(パクることも立派な戦略です

単純に考えればスターターの補強もする必要がありますし、打線のテコ入れも必要です。ふつうならば当然そういう動きを入れてくるはずですが、リーダーがリーダーだけにおそらくは何のアクションも起こさない可能性が大きいでしょう。

いずれにしてもNYYは強力な武器を手に入れて2016にシーズンinすることだけは間違いない。勝機は出てきました。状況が変わって勝負を仕掛けられる条件が出てきた以上、戦略的にも柔軟に立ち回ることが求められます。指名権を渡したくないなら、かなりマーケットにおいて買い手市場になってきたと噂されるマエケンを取るという選択肢もありです。

ヤンキースには勝機の色合いをより濃くする補強が待たれます。


LADオーナーのブランド化戦略 真のターゲットは何か?

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01 /23 2016
肝であるLADのオーナーグループ・グッゲンハイム・パートナーズについては、記事後半 言及しています

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一時はグリンキー 岩隈とも契約は結べずどうなるかと思われたLADでしたが、カズミア、前田を無事獲得してLADの動きが一先ずひと段落しました。ウリアス モンタス デレオン等のプロスペクトはキープしつつ、更には2016ドラフト1位の権利も守り、優勝を狙えるような戦力を整えるためには、トレードか、2015のフラッグディールで移籍しQO(クオリファイングオファー)されたカズミアのような選手を獲得するか、ポスティングで前田投手を獲得するか、キューバからヤシエル・ シエラのような選手と獲得するしかありませんでした。2016の夏、フラッグディールにおいて勝負に出ていけるだけのコマを外野手を中心に十分にプロスペクトも貯蓄されてもいる。結果は最終的にどうなるかはともかく一先ずスターターも揃えたという意味では一つの区切りをLADは迎えたと言えます。

<遠い未来の勝利>と<直近の勝利>という、二律背反とも思えるオーナー側からの至上命題に対して、総じてLAD首脳陣は一定の成果を出したということが言えます。こうした両獲りを目論むLADのターゲットは言うまでもなく、単に勝利するだけでなく黄金期を永続させるということになりますが、「プロスペクトを重視すべきか?勝負を仕掛けるべきか?」という戦略的課題を絞り込もうとするNYYに見られる貧困なる弱者の発想とは対極にあります。そして強者ならばLADの首脳陣が志向しているように、未来志向でありながら常勝を目指すという戦い方を選択するべきです。

そんなNYYを尻目に現在LADはブランド化戦略を着々と推進させています。

TORのアンソポロスも招へいしたように<リーグ最高の頭脳>を結集させ、<リーグ最大のペイロール>を維持し、<リーグ最高の人気>・入場者数も維持し、そして今後においては当たり前のようにPOには進出し、いずれは黄金期を形成し<リーグ最強のチーム>として君臨することをもって、世界一と言えば=LADであるというブランドを構築しようとしている。

ではなぜLADがブランド化戦略を採用しているのか。

おそらくLADのオーナーたちの真の狙いがインカムゲインではなくキャピタルゲインにあるからでしょう。キャピタルゲイン。平たく言うと20億ドルで購入したチームの資産価値をブランド化することによって最終的に30億ドル40億ドルまで目指そうという戦略を取っているということです。昨年において、すでにLADは24億ドルの資産価値があるとされています。2016の今では更に上がっている。こうしたキャピタルゲイン重視のブランド化戦略のためにLADはインカムゲインを犠牲にしています。たしかに4億ドルの収入でペイロール3億ドル+贅沢税はさすがに少々やり過ぎではあり、これだけ人件費に投資していれば赤字にもなります。フォーブスの情報を見る限り昨年の収支も赤字を計上している。この点についてLADオーナー陣も戦略的に次のフェーズへ進む段階と考えているため、若干の修正を加えており「トータルリターン(=キャピタルゲイン+インカムゲイン)」を最大化させるべくインカムゲインへも力を入れ始め、そのためにはペイロールに一定の制約を設けるのも常識的な経営判断であるということが言えます。

もしLADがチームを売ろうとする時、人気、実力、頭脳、財政力という要素が揃っている程、チームとしての資産価値は上がるのは当然です。少なくともイメージとしてはMLB金満と言えばすっかりLADという風に定着してきている。何しろ史上初のペイロール3億ドルを超えたチームでもあります。いずれにしてもLADは未来志向でありながら常勝を目指しつつブランド化戦略によって、これからもすべての事柄を束ねてゆくはずです。

一方、ハル・スタインブレナーのやっていることは目先のインカムゲインの最大化を目指す余り、ヤンキースのブランドや伝統を蔑ろにしているとも書きました。ヤンキースのブランドとは、超金満な財政力を背景にしたオールスターの選手をずらりと揃えた絢爛豪華さにこそあり、常勝でもあり、人気においてもNO.1、圧倒的な戦績・WS制覇27回という無類の強さにあったはずです。しかしNYYの戦略が今や伝統やブランドを重んじるよりも、目先のインカムゲインでの儲けが優先になっているならば、贅沢税ラインこそが最大の懸案事項にもなるし、生え抜き殿堂入り可能なカノ放出も問題はなく、まして目先の優勝など慌てて目指す必要もない。

繰り返しですがこうしたNYYを紐解くと、ブルペンに絞り込んだ強化といい、今の勝利よりも未来への勝利へ絞り込む姿勢といいキーワードは<絞り込み>という言葉に集約され、それは典型的な弱者の戦略である。猫騙しという弱者の戦術を用いてでも勝とうとする白鵬という横綱に、ピークを越えて衰退期へ入ったひとつの印であるとも指摘しましたが、絶対王者が弱者のような振る舞いをするところから、終わりの始まりはやってくる。

もしもですがたった今NYYとLADのオーナーが総入れ替えしたら、全く別のチームにそれぞれが変貌することになることは想像に難くありません。LADは一進一退を繰り返しながらも今よりも確実に数段しょぼいチームになりますし、NYYは一気に隆盛を取り戻すべく試行錯誤を繰り返しながら確実に前進させてゆくことになります。それだけオーナーの持っている将たる器というものはチームの趨勢・歴史にまで大きな影響を及ぼすことにもなる。

どうして、こうも投資センスにおいてLADとNYYでは雲泥の差があるのか、ちょっと気になったのでLADのオーナーグループについて少し調べました。すると想像を遥かに超えたスケール感を湛えた強者(つわもの)であることがわかってきました。てっきりBOSのヘンリーオーナーが営む投資会社のように運用資金も30億ドルレベルのものと想像していたのですが、LADのオーナーグループにはグッゲンハイム・パートナーズという金融投資会社であり、実にその運用資金は2400億ドルとも言われています。30兆円近い資金を全世界で動かしているのがLADのオーナーグループの背景にはあります。投資のプロの中のプロがLADのオーナー陣であるということ。LADのこれまでの動きからも、予備情報は特になくても間違いなく投資のプロ集団という雰囲気は感じていましたが、30兆円近い資金を世界中で動かしている集団がその背景にはあったとは完全に想定外でした。

手元に資産が転がり込んできた二代目ボンボンVS投資のプロフェッショナル。なるほど投資センスにおいては勝負になるわけもない。たしかにNYYにも不良債権は多いですがLADは在籍していない選手にまで多額のペイロールを負担しています。10年前からNYYの収入は2倍になっているがペイロールはほぼ横ばいであり、NYYよりもチームとしてははるかに財政力で劣るLADがあれだけ動けるということは、NYYが不良債権で身動きが取れないなどということは本来は全くありません。今NYYは動くべきではないというプロのライターもいますが、率直に言って戦略を研究してきた者としては全く理解できません。間違いなくNYYは<遠い未来の勝利>と<直近の勝利>、どちらも狙うべきです。なぜどちらかに絞り込まなければならないのか。オーナーの発想は実直真面目とも言えますが、裏を返せばあまりに創造性に欠けており貧困であると言わざる得ない。

もしプロのライターが言うことだからそれが必ず正しさを担保するというなら、もちろん私もその意見に従うまでですが、過去の歴史が証明しているように概ねプロのライターは正しい意見を述べることはあっても、必ずしもプロのライターが正しいことを言うとは限りません。ステロイドを使っていたマグワイアをかつてプロのライターは擁護していたように、例えば2010年のシーズンイン直前、プロのライターもファンもその大勢は超守備型SEAを強力に支持していたはずです。結果はどうなったか?少数派の意見の方が正しかったことは歴史が証明しました。

正しさを判定するのはプロのライターでもなければ多数の意見でもない。もちろん私の意見が必ずしも正しいというわけでもない。最終的に言葉の正しさをジャッジするものは<時間>です。では時間の流れを超えて、尚、消費されることない確かな言葉を手に入れるためには、どういう思考の技術を身につけていかなくてはないのか・・・。いずれ機会があれば、もう少し突っ込んで考えてみたいところです。

「白鵬の猫騙しとヤンキースの伝統」

「忍び寄る衰退 ヤンキース帝国の黄昏」


殿堂入り 私ならバリー・ボンズへ投票する ジャーナリズムの精神とは何か

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01 /06 2016

映像作家ケン・バーンズは“The 10th Inning“というMLBを扱った映像作品で 薬物問題を締めくくるに当たり ジョン・キーツという詩人の言葉を引用している。

「今 我々が真に求めるられるべき姿勢とは、シェイクスピアがありあまるほど備えていた特質・・・<消極的受容力>。物事を簡単に善か悪かで 白か黒か裁くことなく そのどちらにも偏らずに その両極に揺らぎながら、謎や、疑惑のなかに安んじていられる力。・・・・この力こそがこの薬物問題に真に求められる姿勢なのではないのか。」

キーツのコメントを最後にもってきた点にこそ MLBの歴史を表現した バーンズという歴史映像作家の真骨頂がある。ほんとうは薬物を使用した彼らにも彼らなりの言い分があるはずです。しかし今となっては彼らの言い分を聞く余地をほんとうの意味では与えようとはしていません。ステロイドの始祖でもあり最初の伝道者であったカンセコの一番弟子であったとも言えるマーク・マグワイアが手を出したのは1988年から1989年であり、球界全体に広がりを見せるようになるのは1990年前後であったとも言われています。そしてステロイド時代のひとつの大きなピークが、象徴的な出来事とも言える1998年のマグワイアとソーサの本塁打ラプソディーであり全米中を席巻しました。少なくともマグワイヤが服用していたアンドロステンジオンというステロイドは当時サプリメントとして誰でも処方箋なしに購入できるものであり、IOCでは禁止薬物の指定をされていましたが、MLBでは罰則規定などなく、マグワイアのアンドロステンジオン服用自体は全く問題なかったのです。(その後、マグワイアは他の薬物も服用していたことも発覚したにせよ。)

これに対して記者ウィルスタインがステロイドの問題提起した。ところがMLB機構はもちろん他の多くの記者たちまでもが 寄ってたかってマグワイヤを擁護し、ウィルスタインを悪者としてつるし上げた。 その時、殿堂入りを決定するBBWAAの記者たちはいったい何をしていたのか。その多くは薬物を使用していた選手たちを容認、あるいは擁護していたということになります。しかし今となっては、そんなことはなかったかの如くステロイド時代の決算として ボンズやマグワイアそしてパルメイロ クレメンス等にすべての罪を擦り付けようとして終わりにしようとしている。ミスを犯すのは果たして選手だけであるのかということです。

己のエラーに対しても真摯に向き合うような人物にしか ほんとうは正義を語る資格はないのではないか。もしマグワイアらの影に隠れて1998年の400HR-400SBを史上唯一達成したボンズがメディアによって正当に評価されていれば1999年にボンズがステに手を出すこともおそらくありませんでした。ボンズは500HR-500SBも余裕で視野に入っていたメジャー史上最高の選手であることを自認していました。しかし遥かに劣るマグワイアとソーサがメディアによって自分よりも評価されることにプライドが許さず手を出したと言われています。 ボンズが薬物に手を出し体が巨大化したのは1999年にシーズンインする前。400HR-400SB以後のことです。ステロイドの力を借りずともこの史上唯一の記録で 一発殿堂入り可能だったのがボンズでした。

健康面及びスポーツマンシップからも ステロイドについて肯定されるべきではないことは明白です。個人的には王の記録を公で小馬鹿にするようなボンズに対して特に好意を持っているわけでもありません。そういう白黒や好き嫌いのレベルとしての話でもありません。例えば興奮剤のアンフェタミンは1960年代においてメジャーにおいて蔓延していました。「中毒になっているとは言いたくないけど、ユニフォームを着るのと同じ感覚なんだ 」殿堂入りも確実なチッパー・ジョーンズもそう言っています。グウィンも50パーセントの選手は服用していると証言しています。 つまり発覚していなかっただけで、チッパーもやっておったということです。過去1960年代に活躍し殿堂入りした選手の中にも 現代においては禁止薬物に指定されているアンフェタミンを服用していた選手がいたことは確実です。ではもし興奮剤使用の証拠が仮に見つかったからと言って、彼らを殿堂からすべて外すべきなのでしょうか? 現代においてアンフェタミンは禁止薬物の指定に入っています。

あまり指摘する人はいませんが、ハンク・アーロンは今となってはたとえ一度であっても禁止薬物であるアンフェタミンを服用したこともある自分を棚に上げて、ボンズのステロイド使用を批判していると見ることは可能です。たしかにPEDと興奮剤ではそのパフォーマンスに与える影響力は大きく違いますが、アーロンは白でボンズは黒という単純な色分けは、どこかおかしいのではないか。そもそも私も含めた多くのファン自身もまたメディアの情報に乗せられ諸手を挙げてマグワイアを英雄視し称賛していたのではなかったのか。正義を振りかざしPEDを使用した選手を容赦なく断罪するメディアやファンはほんとうに真っ白な存在なのか、という疑問が沸々と胸の内から湧いてくるのです。

残念ながら一部のジャーナリストに限っては、己の正義感に対する警戒というものがまるでなされていません。

野球賭博の問題においても正義を無暗に振りかざす者に限って、八百長とは無縁であったタイ・カッブについても浅薄な歴史の知識によって、カッブを黒扱いするというあるまじきミスを犯し、そのミスの重大さについてすら気づかず正義の剣を振り回すことに得々として己の言動に対する責任は一切取ろうとしません。

かつてマグワイヤを擁護していた記者がもし現代においてステロイダーを強烈にバッシングしているとしたら・・・単に時代の潮流に流されているに過ぎず、そこにはジャーナリズム精神の欠片もないことになる。時代を超えて尚、存在する本物のスポーツジャーナリズムとは何なのかという問いについて、改めて深く突っ込んで考えてみたいのです。それは世間において永久追放の大合唱の中にあって、なぜこのブログで福田を永久追放してはならないと間髪入れずに記事にしたのかという態度にも直結してきます。

正義を語ること自体はとても重要であり、それを否定しているわけでもありません。ただ真に抑制された中で正義の剣を抜くところにジャーナリズムの精神というものは宿っている以上、容易く正義の剣を抜くことが如何に薄っぺらな態度であるかに無自覚であってはならない。現代の価値観でもって過去を安易に裁くことが果たして本物の正義でありジャーナリズムなのかどうか よくよく考えていかなくてはなりません。ステロイドなどなくてもボンズは偉大だろうという単純な意見でもありません。ステロイドをやったからボンズは絶対悪であるという原理主義に陥ることもありません。そのどちらの声にも少しだけ耳を傾けながら、そのどちらにも組みしないバランスの中でフェアーな歴史感覚を研ぎ澄ませてゆく中にこそ、真のジャーナリズムの精神というものも拓けてくるものなのではないか。

「ボンズへ殿堂入りの投票することは正しいことなのか?それとも間違ったことなのか?」そこにはジャーナリズムの精神というものが深く問われている。例えば「ボンズへ投票することは絶対に間違いである。」という、もしこのような教条的であり白黒でしか観ることができない人は非常に残念と言わざる得ない。ボンズへ一票を投じるのせよ、しないにせよ、すべてはどういう根拠を持ってその投票行動に臨んだのかという部分へすべては集約されてきます。この問題に限っては結論に至るまでの思考プロセスの質によって、ボンズへ投票することがジャーナリズムの精神に適っている人もいれば、ボンズへ投票しないことがジャーナリズムの精神に適う人も存在するということになる。それはNYYの戦略の是非のようにやがて結果が客観的に白黒で明らかになるものとは全く違い、主観的な倫理観や歴史観が深く問われている事柄であるために、二項対立した単純な構図で捉えることは、ジャーナリズムの精神を深く哲学する絶好のチャンスを失っていることに他ならない。

ちなみにもし私に投票権があるならば、例えばアンチドーピングプログラムが正式に起動された以降に発覚したAロッド、マニーに対して投票は絶対しないが最終的にボンズへは投票することになると思う。しかしおそらくボンズへ投票はしないであろうケン・バーンズのような人物も私は認める立場を取る。(以前見た記事ではケン・バーンズは断固PED使用者の殿堂入りには否定的であったと記憶していますが、今はどうかは不明です。)なぜなら投票しないという結論に至るまでのプロセスは敬意を表すべきものがケン・バーンズにはあるからです。ブログを書くにあたって、どれだけ拙く、時にはミスを犯しながらも私はリベラルアーツに立脚したジャーナリズムの精神を大事としていきたい。少なくとも一本の細いロープを渡ってゆくようなギリギリのバランス感覚の中で、ジャスティスというものを多角的に捉えようとする営みだけは決して手放してはならないと考えている。

今はまだほとぼりが冷めていない状況ですが、時間というものはその対象との距離を適正に取らせる働きがあります。時間には人を冷静に立ち返らせる力があると言ってもいい。私の歴史観に基づいた直感ですが、おそらくボンズはいずれかの機会(ベテランズ委員会)において、必ず殿堂入りすることになります。(2016 1/7追記)


参考記事「巨人、福田を永久追放してはならない そしてピート・ローズ」


大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。