ピート・ローズの賭博とフィールド・オブ・ドリームスに描かれた夢

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06 /27 2015


もしMLBというビジネスを倒壊させるにはいったい何をすればいいか?

たとえばPEDを全面的に容認すれば確実に このビジネスは倒壊します。プロレスじゃあるまいしPEDを解襟したMLBなど見ていられるかというファンはおそらく私だけではないはずです。現代にあっても尚PEDを肯定する一部のステロイド容認論者はほんとう何を考えているのか、私にはとても理解し難いものがあるのですが、率直に言って想像力の欠如としか言いようがありません。MLBの深い歴史に対する敬意というものが備わっているならば、PED容認などという愚かな考え方をするわけもありません。なぜならば、PEDの破壊力というものは単に選手の肉体を蝕むだけではなく、150年近くも連綿として続くベースボールの歴史を繋いできた重要なツールである<数(スタッツ)>の価値を破壊させてしまうからです。

薬物を解襟し、とことん薬物を進化させ突き詰めれば、最終的には50歳近くても全盛期に近いようなスタッツをたたき出す選手が出現する可能性も十分にあり得えます。HRの最高記録は73本を越えて次々と更新されてしまうかもしれません。それはこれまでの先人たちの営々と築き上げてきた歴史を蔑ろにする行為に等しいとさえ言えます。

同様にもし八百長を容認にすればPED容認どころの騒ぎではなしにMLBというショービジネスは完璧に破綻します。そういう意味で、PEDよりも遥かには八百長は重罪です。しかしながらもし仮に新コミッショナーが新たなる財源として、賭博の一種であるサッカーくじのようなギャンブル性の極めて低い賭博をMLBへ導入したからと言って、Jリーグが証明していているように基本的にはMLBの健全な運営は保たれると考えてもいいでしょう。賭博にも2種類あります。八百長につながる賭博とそうでない賭博です。



では、どうして野球賭博が禁止になったのでしょうか?


ご存知のようにそれは1919年ブラックソックス事件において、ワールドシリーズがマフィアの賭博に巻き込まれて選手が八百長に買収されたからです。野球賭博は薬物問題よりもたちが悪いものであるとソーシアは言ったそうですが、賭博の一種であるサッカーくじの例からも明らかなように、厳密には賭博そのものではなく、その賭博を通じて派生する八百長こそがベースボールというショービジネスそのものを崩壊させる致命的な問題となる。

よく言われているようにたとえピート・ローズがルール違反の賭博をしていたとしても、ピート・ローズは自分のチームの勝ちに賭けたのか?それとも負けに賭けたのか?そこには決定的に大きな違いがあります。なぜなら負けに賭けるということは手加減することによって賭博が八百長へ転化することを意味していますが、勝ちに賭けた場合は常に全力プレーすることが求められ、賭博が八百長へ必ずしも連鎖することはないからです。

繰り返しになるでしょうが、改めてこの点は極めて重要であると指摘しておきたいです。もちろん誤解はないと思いますがローズの賭博を容認しているというわけでもありません。

映画 「フィールド・オブ・ドリームス」、原作のタイトルは「シューレス・ジョー」です。映画のあのトウモロコシ畑に最初に登場するのは、伝説の4割打者ジョー・ジャクソンでした。八百長は絶対に認めることはできないものです。にもかかわらずベースボールを心から愛するキンセラは、八百長に加担したジョー・ジャクソンに対して、なぜ、あそこまで限りなく温かい眼差しを注いでいるのでしょうか?


矛盾と言えば矛盾ですが、これこそが本稿のメインテーマでもあります。是々非々は大事です。しかしそれらを越えたところに、文学的な素養のみならず真のジャーナリズムの精神というものもまた開かれている。単に正義を語るだけがジャーナリズムではありません。(正義を語ることはジャーナリズムの一部ではあるにせよ)


繰り返しますが私はPEDや薬物については断固としてNOです。しかしそれでも尚、個々の選手に真摯に向き合おうとする時、余りに単純な歴史の審判を裁く裁判官になってはいけいないような気がするのです。一部のマスメディアというものは果たして彼らを簡単に裁けるほど、無謬であり優れた知性と人間性を備えているのかどうか、私自身は大いに疑問を持っています。

もし、今目の前にジョー・ジャクソンが現れた時、あなたは果たしてどのように彼と真摯に向き合うだろうか?

単純に罵詈雑言を浴びせることができるだろうか。そうした想像力を働かせたある種の緊張感の中で、思考を深めてゆくことによってのみ、良識ある健全な批判精神を発揮することができます。批判することはお手軽でそう簡単なことでもありません。



パリーグだけではない!MLBの2015インターリーグ事情

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06 /22 2015
どうやら11年連続でALがインターリーグでNLを圧倒するという結果になりそうです。


なぜ日本ではパリーグがMLBではアリーグが強いのでしょうか?


もちろん、DH制の有無が最大の要因であることは間違いないでしょう。しかしDH制を敷くALホームにおいてNLでは強打者を用意できなからだという分析はあまりに一方的に過ぎます。なぜならその最大のストロングポイントとなっているDHの強打者がNLホームでは使えず、送りバントすら間々ならない投手が9番に入るわけであり、一転してNLホームではALは大きく不利になり、上記の分析は余りに恣意的に過ぎるからです。物事は表と裏をバランス良く眺めてこそはじめて深い洞察を得ることができます。


ではそもそもなぜパリーグ アリーグにおいてDH制が導入されたのでしょうか?

この歴史的な沿革より話をしなくてはならないように考えます。一言で言うと1970年代前後においては圧倒的に人気がセリーグとナリーグに集中していたからです。特にミラクルメッツの人気ぶりはヤンキースの比ではなく、対NYYダブルスコア以上の圧倒的な観客動員数であり、DH制が導入されることになる直前の1971年においてメジャー最高の人気球団はニューヨークメッツでした。NYMが250万人に対してNYYは100万超であり、ALの中でもNYYは決して観客動員が1位ではありません。


ヤンキースの人気があまりなかったことを意外に思われ方もいるかもしれません。当時NYYは暗黒時代、弱小チームへと転落しており最下位に沈むこともありPOにかすりもしない時代でした。統計的にもチームの勝率と観客動員には一定の相関関係があるように、力がなく客を呼べる選手もいなく人気もさっぱりであったというのが歴史的な事実です。


ではなぜ NYYは弱かったのでしょうか?


これは「さらばヤンキース」という本でも明らかになっているように、戦略的な意味で時代の潮流に乗ることに完全に立ち遅れたからに他なりません。1947年にカラーラインが突破されて以降、ブルックリン・ドジャースには数多くのアフリカ系の選手が入りました。彼らの能力の高さはたちまち周知されるに至り、ドジャース戦法が流行すれば他の対戦相手であるセントルイス等も柔軟に取り入れて戦ったように、ブルックリンに対抗すべくNLのライバルチームたちは積極的にアフリカ系の選手を入団させることになります。セイバーメトリクスでもOAKからBOSへという形で同一リーグにおいてまず流行しましたが、ひょっとすると流行とは同一リーグからMLB全体へと波及するスタイルを取るものなのかもしれません。

しかしながら、リーグが違ったNYYやBOSなどは根強い人種差別のポリシーによって、アフリカ系の選手への門戸を基本的にはオープンという方針はとりませんでした。白人だけでもマイナー組織を拡充すれば十分に戦えるものであると判断したようです。ある意味の時代に取り残されたガラパゴス化がALにおいて進行していたわけです。結果、圧倒的な実力差がみるみるのうちにリーグ間でつき 1960から1980年で例えばオールスターの成績を見ると18勝2敗という圧倒的な格差がつくことになりました。もちろんNLの圧勝です。


当時のMLB代表的な選手であったアフリカ系、ヒスパニック系のカラードを挙げてみます。ウィリー・メイズ、ウィリー・マッコビー、オーランド・セペダのSFのトリオやハンク・アーロン、アーニー・バンクス、ボブ・ギブソン、ジョージ・フォスター、フランク・ロビンソン(最初はレッズ)ルー・ブロック、ロベルト・クレメンテなど。ぱっと思いつく選手を挙げてみても、共通することは皆、NLであるという点です。リーグMVPも8割近くをカラードがNLにおいては占めるような状況でした。


スターが枯渇し時代に完全に乗り遅れたNYYをはじめとするALは、実力だけでなく深刻な人気不足になり、結果、1972年にDH制へ踏み切ることになります。NYYが一瞬の輝きを取り戻す1977年、伝説のWSでHR3打席連続でライトスタンドへ打ち込んだのはレジー・ジャクソンでした。NYYの窮状を救ったはアフリカ系の黒人選手だったというのは実に象徴的です。




最後に余談になりますが、メジャリーグにおいてはじめてマイナーリーグをメジャーの傘下に組み込んで安定的な戦力補強をするためにファームシステムを開発したのはセントルイスですが、ご存知の方も多いようにその時のSTLのGMが後に移籍したブルックリン・ドジャースにおいてジャッキー・ロビンソンをMLBデビューさせたブランチ・リッキーです。当時、アフリカ系を登用することは最先端のマネーボール戦略であったと言ってもいいでしょう

ブランチ・リッキーは<兵站>というものを重要視していたことはマイナーリーグをメジャーの傘下に置くファームシステムの確立やカラードによる新たな戦力補給を求めていたことからも明らかですが、当時最高の戦略家であったと言えるかもしれません。


以上まずはDH制について考察するにあたって、まずなぜそもそもDH制を敷くに至ったのかという歴史的経緯について触れました。ではDH制を敷くとなぜそのリーグの実力が上がるのか?次回改めて考えてみたいと思います。(と言いつつオチをつけることができるのかは不明です)



なぜカージナルスはアストロズへハッキングをかけたのか

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06 /17 2015
今から一ヶ月前に 「アストロズの強さの秘密 その戦略をセイバーメトリクス分析する 防御編」というセイバー分析記事を書きました。その前段として「野村IDの源流には「カージナル・ウェイ(カージナルス流)」がある」というスモールの歴史の流れについて書きました。今回のハッキング事件を絡んだ2チームについて立て続けに記事を書いたのですが、それは多少なりとも今回の事件とも関連性はあります。

<では、なぜセントルイスはアストロズへハッキングをかけたのでしょうか?>


すでに一ヶ月前に記事にしたように現アストロズのルーノウGMが2011年の直前まで元・カージナルスのGMであり主にセイバーメトリクスのデータ分析を戦略的に活かす改革をスモールな伝統を持つカージナルスにもたらすと共に新人の人材発掘育成について担当し圧倒的な成果を出していました。


いずれアストロズの強さの秘密を探る延長線上の話として、カージナルスの強さについても触れる機会が来るかもしれないとも言いましたが、それがまさかカージナルスによるハッキングという形でアストロズとの関係について触れることになろうとは予想だにしていませんでした。カージナルスは間違いなく、このアストロズのルーノウGMの戦略的な思考力の高さを直に接していただけに知り抜いているはずです。


現在アストロズはセイバーメトリスの世界においてメジャーでも最先端を往くとは巷間言われています。そしてその戦略的な中枢にあるものは未だシークレットな状態にあるはずです。最初の「なぜセントルイスはアストロズへハッキングをかけたのか」という問いに対する答えを書くならば。現在のアストロズがシークレットにして推進させている戦略的な心臓部をハッキングしてまでもカージナルスは知りたかったということになります。


「アストロズの強さの秘密 その戦略をセイバーメトリクス分析する 防御編」及び「アストロズの強さの秘密 その戦略をセイバーメトリクス分析する 攻撃編」においても、決してルーノウGMの力量を侮ることなく、注意深くさまざまな可能性をより大きく広げながら分析をしていったつもりです。

<カージナルスの古き良き伝統や歴史から流れ込む組織力を生かしたスモールベースボールの持つソフトの力>と<アストロズが今推し進めているセイバーメトリクスにおける最先端の知識、統計学の力>を融合すれば、より戦略性の高いチームへとカージナルスが進化発展してゆくことは間違いありません。
歴史を注意深く学んで行くならば、強さを求めてゆくプロの組織である以上、その融合した姿にこそ進化すべき理想的な強いチームのあり方があります。ただそこに至るまでの手段が今回セントルイスは間違っていたということでしょう。10年ほど前から私はセイバーメトリクスについていろいろと正しく学ぶ段階で、よくありがちなスモールベースボールを軽視し侮るということはせずに、むしろセイバーメトリクスを知るほどにスモールベースボールへの研究を重ねてきたという経緯があります。 そこが単なるセイバーかぶれとも大きく違っているところではないかと考えています。「カージナル・ウェイ(カージナルス流)」の話の直後にアストロズのセイバーメトリクス分析について話題にしたのも決して偶然ではありません。

そうした研究スタイルを採用したその背景にある歴史観についても、いずれお話できる機会があれば幸いです。



左の軸足が完全に浮くブライス・ハーパー  そのバッテング技術 

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06 /13 2015


ハーパーの左軸足がインパクトの瞬間、完全に浮くバッテング技術について少しだけ解説を加えてみたいと思います。

例えば目の前に大きなタンスがあって、あと5cm奥へ押し込みたい時、みなさんならどうするでしょうか?全体重をタンスの表面へ預けるようにして利き手の脇を閉めながら、タンスへ手を押しつけ前に踏み出した足で踏ん張ってタンスを押し込むのではないでしょうかか?


もしこの時、前足ではなく後足で踏ん張るとそれだけ足とタンスとの距離が遠くなり、上手に全体重をタンスへ預けることはできません。人は何も考えなくても前足で踏ん張り、力を合理的にタンスへ伝えているはずです。


ハーパーのバッテング技術もまず最初にステップした右足に全体重をかけ、親指で土をつかむようにして着地し、この時右足を曲げずにグラウンドへ突き刺すようにして体を止める。ここに揺ぎ無い<壁>ができる、その壁へ向かって前足で踏ん張りながら全体重を乗せるようにしてボールを叩く時、全体重の力がボールへきれいに伝わる。


さらに、その下半身で得られた力を今度は上半身の遠心力を駆使して無駄なくボールへ伝える。そのためにはボールが当たってから力が逃げないように頭を中心にして体の軸(体幹の強さ)を絶対にぶらさず、ちょうど室伏のハンマー投げのようにその場で軸回転をしながら上半身を絞り上げるようにひねり、体の回転をさせる。


こうすると全体重をボールへ乗せることに加えて体の遠心力によってインパクトの瞬間、より力がボールに伝わっていく。下半身の力と上半身の力を無駄なく連動させボールへロスなく伝える技術があれば、スタントンほどの体躯を持たなくてもHR数において十分に対等な勝負ができます。


そしてフィニッシュの瞬間はバッドできっちりボールを押し込むという作業をすることによって飛距離が1mとか2mとかいう具合で変わってくる。その1mとか2mとかがフェンス前で取られるか、オーバーフェンスになるかの境目ともなる。


最後の腕の押し込みについて、アベレージヒッターであった田口は力説をしていましたが、個人的にはそこは瑣末な技術に過ぎなくて、あくまでハーパーのバッティング技術における核心は、全体重を預けるための下半身によって得られた揺ぎ無い壁と軸の強さを基礎にした上半身による大きな円心運動にあると考えています。<体重をボールへぶつけること>と<体の軸を中心としたボールを運ぶ遠心力>から比べたら 腕の押し込みなどものの数ではありません。決してロングヒッターではなかった田口の解説、今一 腑に落ちませんでした。高く舞い上がったハーパーの打球はなかなか落下してこない特徴もこうした技術の裏付けがあるように理解しています。


NPB史上屈指のバッターでもあり、名伯楽でもある中西太も後ろの軸足は完全に浮いても全く問題はないと言っています。ボンズやオルティースのような後ろ足に体重を残してクルッとその場で回る<軸脚回転打法>とは対極にハーパーのバッティング技術はあります。


ハーパーの軸足が完全に浮く件について映像を観ることもせず、固定概念によって軸足が浮くわけがない、そう言っていた人もいたのですが、改めて固定概念を如何に排除するのか、とても大事であると考えています。


まもなくブログをはじめて一ヶ月です。戦略を中心とした記事を書いてきましたが、人気が薄い当ブログでも<古典「マネーボール」の正しい読み方>という記事に何かを感じた人が多かったようです。内容自体を掴んでいたのは5年前、具体的に書いたのは3年前だっただけにほんとうに全く意外でした。あの記事のテーマとは <固定概念>は知らぬ間に忍び寄り人の認識を侵してゆくというものでした。


この<固定概念>から逃れるために、最も大事なことはいったい何でしょうか?


おそらくそのひとつは時間との対話です。(もちろんすべてではないです)固定概念からほんとうの意味で逃れるには現在あるものを絶対化させず、相対化する目が大事になります。そのためには過去現在未来を俯瞰するトップビューが必要となり、歴史を学ぶ価値とはひとえにそこにあります。


歴史に関心のある人はどうしても限定されてきます。人の関心は最新情報に向かうのが常でしょうから。しかし個人的には率直に言って最新情報にはそこまで関心がありません。なぜならいずれそれらの多くは時間によって消費されてしまうからです。ちなみに最初に投稿した「LADフリードマン新社長 ゴードンを放出したその思惑」という記事は半年前に書いたものです。たぶんこれからも最新情報を求めている人にとっては必要のないつまらない記事を書くことになりそうです。


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古典「マネーボール」の正しい読み方


野村克也 弱者の戦略の限界 大谷の二刀流 ルーツを求めて プロ野球歴史編 その3

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06 /12 2015
三原脩という人の持つ先進性は、2番に強打者を置くという発想もそうですがじっくり本を読んでいると半世紀前に既にセイバーメトリクスのWARの理念となるような考え方をしている点にも現れています。この三原という人はとにかく固定概念というものがなく、人がやらないような奇策を<合理主義的>に推進するところが大きな特徴です。日本ハムの初代社長でもある三原なら間違いなく、現代にあってはセイバーメトリクスについてもいち早く戦略に中に取り込んでチーム強化に努めていたと確信しています。

三原本人は、自分の原点は伝説にもなっている早稲田大学時代におけるホームスティールを成功させたその奇策を実行するところに自分の自分たる所以があると言っています。人が持ちがちな固定概念を梃子にして、心理に付け入り、奇襲奇策を仕掛けるのが実に巧みな人であったようです。


西鉄ライオンズ時代においては「強者の戦略」ビックボールを実践し見事に勝利を掴んでみせましたが、万年最下位の大洋を就任一年で日本一まで導いた際には「弱者の戦略」を用いて、奇跡を起こしてみせます。この三原はプロ野球史上、「強者の戦略」でも「弱者の戦略」でもどちらでもいけた稀有な能力を持っていた監督であったと言えます。まさに三原脩には状況に応じてどちらにでもいけるという意味で融通無碍という言葉がぴったりであり、野村が言う「超二流を目指せ」という弱者の戦略も、三原脩が大洋時代にキャッチとして唱えたものでした。


この三原脩の融通無碍という見地から、改めて野村克也という人物の「弱者の戦略」を眺めると、「弱者の戦略」こそが野村克也を優れた者にならしめた基本的なフォームであり最大のストロングポイントではあるが、同時に「弱者の戦略」というフレームがひとつの固定概念となり、野村氏の認識における限界を作り出している姿がはっきり見えてくるのです。そうしたパースペクティブを与えてくれるのが三原脩という人物です。



魔術師と呼ばれた知将・三原脩は文字通り数多くの奇跡を起こしてきました。奇跡という言葉を「不可能を可能にする」という意味では捉えるならば、栗山という監督も誰もが不可能であると考えていたことを可能にしてきました。


●ひとつは日本へ行くことは100パーセントないと言い切った大谷をドラフト1位で指名し、見事に口説いて大谷がNPB入りすることによって日本プロ野球界全体の多大な利益をもたらしてみせました点にあります。不可能だと皆思っていたからこそ、あれだけの逸材に対して指名するチームはなかった。大谷を1位で指名してメジャーに行かれた時、リスクが大きすぎる。しかし他が無理だと思っているからこそリスクを取ってでも敢えて攻める。まさに三原流です。


●二つめは誰もがAクラスすら不可能だと思っていたダルビッシュ抜け、前年3位だったチームを就任一年目でリーグ優勝させた点があります。これも誰もが不可能と思っていただけに奇跡と評してもいいでしょう。実際 今年のソフトバンクを優勝させることのできる監督は工藤以外でもできるでしょうが、ダル抜けの日本ハムをリーグ優勝に導ける監督はほとんどいないと言って過言はないでしょう。


●三つめは大谷の二刀流などできるわけないだろうという世間の常識を見事にひっくり返して、13勝11本HRという史上初の快挙を成し得ました。これも完全に世間の常識をひっくり返しました。当初は多くのファンは圧倒的に 反対だった記憶があります。個人的には三原脩、栗山ラインでこの二刀流を捉えていたので、賛成派でした。


仰木彬監督が三原修の最後を看取ったのであるならば、栗山監督は現役で唯一毎年 三原脩の墓参りを欠かさずしている監督です。三原イズムというものはそんな風にして時代を超えて受け継がれてゆくものなのかもしれません。


新聞記者上がりのプロ野球選手という異例の経歴を持つ三原は言葉に卓越したセンスを持っていましたが、この言葉の魔術を通してチーム内のコミュニケーションを図り、モチベーションを選手へ植えつけるとともに、敵に対しては時に怒らせ、時に油断させるという言葉の変幻自在ぶりで巧みに陽動し勝利を手繰り寄せたのが三原でした。日本シリーズ3連敗直後の「首の皮一枚残った」やその後の4連勝で大車輪の活躍したエースを称して「神様 仏様 稲尾様」という後世にまで残る言葉も残しています。この言葉を通して、野球に魔術をかけるという部分に栗山監督も大変に魅かれたと言っています。栗山自身が一流の言葉におけるコミュニケーターであればこそでしょう。


この大谷、二刀流をなんとしてでも成功させるという栗山の信念の原点には、おそらくは三原脩が近鉄の監督時代、あぶさんのモデルともなった永淵洋三の二刀流にあったわけですが、トルネード、振り子、二刀流。結果が出てみれば容易に見えますが、こうした極めてオリジナリティの高い個性を受け入れる器を保守的なプロ野球の流れの中に見出すことは、なかなかに難しいことです。野茂は日本人投手のパイオニアとして、イチローは日本人野手のパイオニアとして、そして大谷は日本人二刀流のパイオニアとしてMLBの舞台に立つのかどうか、、、それが成功するかどうかはともかくそのチャレンジにはファンを魅了して止まない夢があります。夢を見せるという点にこそショービジネスにおけるプロ野球の原点があることも三原脩という人は十分に知っていた人でした。


そしてこの三原脩という人そのものが今から80年前に 日本人最初のプロ野球選手として巨人と初めて契約を結んだパイオニアでありました。成功するかどうかさえ全くわからなかった職業野球に身を投じた三原脩もまた道を拓く人であったと言えます。


栗山監督は2015年シーズンinする前に、オリックスやソフトバンクといった大型補強したチームがシナリオ通りそのまま勝つならば、ペナントを戦う意義などそもそもないじゃないかと言いました。おそらくは誰よりも勝利することを栗山監督は信じ勝つためにどうすべきか戦略を練っている。


大戦力ソフトバンク必勝をよしとしない前提として、野球ほど予測不可能性に満ちたゲームもないことを栗山は確信しているはずです。


   「野球とは筋書きのないドラマである」       三原脩

圧倒的な戦力を持つソフトバンクに勝つことができるのかどうか、これからのペナントも期待をもって日本ハムが繰り広げるドラマを見守ってゆくつもりです。




ブライス・ハーパーの覚醒までの時間とベースボールというゲームの特性

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06 /10 2015
田中から放った今日のHRもそうですがハーパーの放つ打球が一旦高く舞い上がると、それは全盛期のアレックス・ロドリゲスの右中間へ打球と同じくなかなか落下することなくそのままスタンドインとなる特徴が見られます。ハーパーの覚醒に要した時間はおよそ4年から5年。日本ハムの中田もまた覚醒するまで、5年から6年はかかりました。


上原のように巨人一年目で20勝ERA2.00台という活躍を新人であっても投手ならすることのできるのがベースボールという競技の大きな特性のひとつと言っていいです。20勝ERA2.00台を打者換算すれば打率300HR40本くらいに相当すると考えてもいいですが、一年目でいきなりそれだけの成績を残せる野手は日米問わずほぼ皆無です。そういう意味ではプホルスなんかは規格外と言っていいでしょう。


ではなぜ、べースボールという競技では投手よりも打者が覚醒するまでに時間を要するのでしょうか?


翻ってそもそも球技全般という視野で眺めた時、おおよそどの球技でもボールを持っている方が攻撃側です。ラグビーしかり、サッカーしかり、テニスしかり、バレーしかりです。ベースボールという競技を白紙の上に載せて率直に眺めれば、唯一ほんとうの意味で攻撃を仕掛けることのできるポジションはボールを持っている投手であるとも言われます。


おそらくこの例がもっともわかりやすいと思います。たとえばテニスで言えば、サーブをするのが投手であり、それに対応しリターンエースを打ち返すのが打者ということです。どちらが難しいかは一目瞭然です。打率300あれば打者は一流。


既出のように投手がものになるに比べて野手がものになる時間のコストは数倍かかることがわかっています。ペナントを制するにはどこまで投打のバランスをきれいに揃えることができるのかに尽きますが、例えば2017年をターゲットにして勝負に出るべく戦略的計画を立てれば、まず野手から揃えてから時間差をもって投手の整備にかかることこそがカブスの戦略的なチームつくりであるとも言及しました。


対応するのは打者の方が一般に難儀を極める。それを敷衍して考えれば日本人選手が最初MLBに乗り込んだのは野手のイチローではなく投手の野茂であったのも決して偶然ではないということになります。 更に言えばダルビッシュや田中の投手としての市場価値と青木のMLBでの最初の扱いを比較しても明らかなように、打者獲得のリスクの方が数段高いとマーケットは判断するのはある意味、実に合理的です。大谷がMLBではどちらで勝負すべきかは自ずから明らかですが、栗山は二刀流を真剣に考えているようです


表面的な言葉に囚われず観の転換をはかれば、このようにベースボールという競技の特殊性のひとつは、守備の主役と見られている投手こそが実は最大の攻撃的ポジションであるという点にあります。



大谷 二刀流 ルーツを求めて プロ野球歴史編 その2

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06 /09 2015

今回はイチローと野茂について触れます。

巨人対西鉄の伝説となった日本シリーズから時は下り、1980年代のNPB、西武黄金期にありまさに無敵状態でありダイナスティと呼ぶにふさわしい堅牢な強さを発揮していた時代でした。そうした毎年、勝ち続けていたこの全盛期にあった西武の牙城を崩しペナントを制するチームと、最後に西武へ引導を渡したチームがありました。

どのチームが西武を倒したのかみなさんご記憶にあるでしょうか?1980年代後半にリーグ戦、連覇を阻止したのは近鉄であり、西武黄金期にピリオドを打ったのがオリックスです。

この2チームに共通することがあります。いったいそれは何か?


両チームの最も重要な共通点とは監督が仰木彬であったという点です。西武野球の基礎にはV9川上野球があったことは間違いありません。川上野球の頭脳でもあったV9戦士の森 祇晶こそが西武の監督でした。それは森へ禅譲した元巨人の広岡自身が言っていることです。すなわち、西武野球とは隙のなく勝ち続けたV9をひとつの手本としている以上、緻密なスモールベースボールであり、徹底した管理野球です。一方仰木近鉄は<いてまえ打線>でもわかるように、ラルフ・ブライアントと中心としたHR攻勢で相手をなぎ倒すビックボールのチームでした。その原型は、西鉄ライオンズの野武士軍団による流線型打線にありました。


両チームの特徴を表現するこんなエピソードがあります。西武VS近鉄の開幕戦での一コマです。開幕戦試合前のセレモニーが終えると西武の選手たちはベンチへ整然と戻るのに対して、近鉄の選手たちは各々がバラバラでベンチへ戻っていったというものです。監督による指導スタイル、管理統制と自由放任という実に対照的なチームカラーがそこにはありました。


巨人VS西鉄の構図が奇しくも数十年の時を越えてパリーグの覇権を争い、森VS仰木という形で現れたというわけです。恩師三原脩の「三原マジック」に倣って「仰木マジック」とも称されていましたが、病床にあった三原の晩年、唯一ただ一人身内以外で病院へ見舞いを続けた野球関係者がいました。そうした三原の最後を看取ったのが他ならぬ仰木彬だったというわけです。三原イズムの歴史的継承者である自覚を仰木彬は持っていました。このエピソードからもわかるように、仰木彬がかなり三原脩に心酔していたようです。言うまでもなく仰木彬はあの伝説の西鉄ライオンズのセカンドレギュラーです。


そうした仰木彬監督率いる近鉄に1990年に入ってきた大型ルーキーこそが、トルネードの野茂英雄でした。仰木彬は野茂の個性を尊重し一切、手を加えることがありませんでした。その野茂は自らの枠に当てはめようとして後に就任した鈴木監督と大きな確執を引き起こすことになります。更には翌年1991年、鈴木一朗という外野手がV9戦士の一人 土井監督のオリックスに入ることになります。


もしオリックス監督がV9戦士の土井のままであったなら、保守的かつ管理統制を大事とする以上、鈴木一朗は長らく二軍でくすぶり続けた可能性は否定できません。土井に代わって仰木彬監督が鈴木一朗の振り子という個性を受け入れその才能を見抜き、鈴木一朗をイチローと命名していなければ、日本の野球史そのものが大きく変わっていました。野茂もまた入団していきなり、鈴木監督からあれこれと口を出されていたら、すっかりやる気をなくしていたかもしれません。


v9戦士土井監督、300勝左腕鈴木監督。いずれも実績は十分です。しかし彼らの過去における偉大な成功体験に裏打ちされた物差しでもっては、NPBの新しい歴史そのものを変えてゆくことになるイチローや野茂のような存在を正しく把握しきれなかった。振り子にトルネード、個性そのものです。しかし仰木彬には野茂やイチローの個性も認める融通無碍な器の大きさがありました。三原イズムを継承する者であれば、己の管理下に選手を置こうとするよりもその個性を最大限生かすべく自由を重んじ、遠心力によってむしろ巨大な才能との距離をより一層取ろうとします。


時代と共に選手との接し方も変わっていかなくてはなりません。そうした意味で土井や鈴木はいささか少し古過ぎたのかもしれません。過去自分たちが成功してきた古いフレームワークでもって、新たなる巨大な才能まで推し量ろうとするには無理がありました。しかし仰木彬の流儀は、個を重んじるがゆえにイチローや野茂のような個性の塊のような天才たちをも深々と受容した。


いずれにして、史実として仰木彬監督しかあの黄金期にあった西武を打ち破ることもできなかったし、土井監督ならばイチローという命名をアイデアとして出し、新人として世に大きくプロモートすることもできませんでした。その仰木彬の野球哲学の根源にあるものとは間違いなく三原脩です。


三原の哲学である遠心力野球。チームの中心においては監督が束ねつつも、個々の選手が遠心力でより自由に大きな円を描きつつチームの力へと転換してゆくというものですが、その個性が日本のプロ野球という枠に収まり切らなかった時、野茂とイチローという類稀な個性は遠心力で外へと飛び出し最終的に着地した地点はメジャーリーグというフィールドであったというわけです。それにしても鈴木監督と出会わなければ、野茂が1995年にメジャーへ渡ることもなかったことを考えると、その出会いは一見不運にも見えながらそれはMLBへの道を切り開くという意味では幸いであったと言えるのかもしれません


野茂やイチローの深いルーツを辿ると、そこには仰木彬という存在を経由して三原脩というプロ野球史上、ひとつの大きな流れを作り出した巨大な存在がいることに思い当たります。率直に言って野村克也よりも遥かに巨大なエネルギーをこの三原脩という監督には感じるのです。

次回、最終投稿では 大谷の二刀流と栗山監督について触れます 

大谷 二刀流のルーツを求めて プロ野球歴史編  その1

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06 /06 2015

今から65年前、NPBは1リーグから2リーグ制へ移行しました。プロ野球まさに黎明期であり、セリーグ8チームパリーグ7チームという乱立ぶりで、球界再編を迫られます。ちょうど再編によって数年前に楽天が新球団として立ち上がったように、今から半世紀以上前に弱小チームの寄せ集めとして出来上がったチームが、西鉄ライオンズでした。そしてこの楽天の如き超弱小チームを数年かけて強豪へと変貌させ伝説の三連覇へと導いた監督こそ、魔術師・三原脩です。楽天の星野と同じくこの三原もまた過去の因縁により 巨人に対して強烈な敵愾心を燃やしており、三原もまたそのGMとしての秀でた能力によって 星野同様、あらゆる手段を尽くして有力な選手をかき集め戦力を整えてのち勝利を勝ち取るという手法を取りました。

ドラフトやFA制度などもなかった時代、半ば強奪とも言っていい手法を駆使したのが三原脩です。特に有名なのは川上哲治と並んで当時、球界のスターであった大下弘の引抜きです。赤バット青バットという言葉を持ち出せばピンと来る方も多いでしょう。当時は<引き抜き>という言葉が、<トレード>という言葉同様、一般に流通していたようです。


パリーグにあって南海が全盛期でありましたが、そうしたリーグ優勝すら覚束ない頃から、三原脩がターゲットとして考えていたのは打倒、王者巨人でした。当時から巨人は一糸乱れぬ組織野球、管理野球をモットーにしていたわけですが、この管理野球に打ち克つには敵と同じことをしていたとしても勝てるわけがない、個性を最大限重視し責任に裏打ちされた自由を打ち出した遠心力野球を標榜する以外にないと三原は考えるに至ります。


野武士軍団という型破りでアクの強い個性派の集まりの起源は打倒 巨人にあります。この点は、極めて重要です。行儀の良い紳士な巨人の野球に勝つには荒くれ者たちの豪快さが必要であったと名将三原は考えたということです。


巨大な戦力を持ちつつ徹底した管理という方向性を打ち出し緻密な組織力によって勝つ巨人野球と個性重視の自由放任という方向性を打ち出し豪快さを束ね、強さへと転換してゆく西鉄野球。それはスモールベースボールとビックボールという区分けをすることも十分に可能です。巨人がオールドスタイルの2番は確実バントで送るというスモールなスタイルを貫いたのに対して、西鉄の三原は<流線型打線>と評し、2番に小技など一切しない30本近いHRを放つ強打者、豊田を配置するというまさに、ビックボールを採用することになります。


この巨人VS西鉄という構図にこそ、弱者の戦略(緻密なスモールベースボール)という日本プロ野球の保守本流の流れと強者の戦略(豪快なビックボール)という傍流の二つの大きな流れが出来たことを意味しています。


ひとまず今日の投稿はここまでです。次回以降明らかにしていきますが、大谷のルーツを迫ることは実はイチローや野茂のルーツに迫ることにも繋がってきます。それは決してこじつけでもありません。



最速96.1マイル、カイル・シーガーに投げた田中渾身のファーストボールに見るピッチング美学

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06 /05 2015
pitch f/xのベロシティチャートを見ていると4シームの球速レンジが昨年の怪我をする前とした後では、おおよそ2マイル遅れていましたが、怪我より復帰後、4シームの球速レンジが怪我をする前にはじめて戻りました。昨年までは高低差を巧みに使いながら 最後は伝家の宝刀スプリットによって討ち取るという投球スタイルを築いていた田中でしたが、昨日は対左だけでなく対右打者用のフロントドアのスライダーもついに解禁に踏み切りました。

クルーズ第一打席に対して 一球目 外角スライダー見逃しストライク、二球目 外角へのバックドア2シームが大きく外れて内角高めのシュートとなり空振り(結果オーライ)、三球目は高めに外れた内角フロントドアのスライダーを審判にも助けられて見逃し三振。<高低>だけでなく<左右>で4番に勝負する新しい田中の投球スタイルがそこにはありました。


健康さえ保障されたら、<高低><左右>ここにスローカーブなども時折織り交ぜて<緩急>をミックスし打者攻略のスタイルを田中が打ち出せば、相当の成績を残せる予感を感じさせるものでした。


もっともモリソンの第一打席 初球の内角フロトンドアはど真ん中に入って打ち頃のシュートになっていましたが、ひとつ間違えば昨年の開幕でカブレラからいきなりHRを被弾した二の舞でした。3塁の好守にも救われましたし、レフトからの好返球もあり、マスコミや小宮山が手放しで絶賛する程、ドミナントな内容ではなかったことはTV観戦していた人の多くも感じていたに違いありません


9K0BBはたしかに圧倒的な数値ではあるにしても、<誤審 打ち損じ 好守>といった他力の要素にも一定の比率によって助けられた投球内容でありました。必ずしもセールやキングが度々見せる快刀乱麻という感じでもありませんでした。


そんな変化球を多用する新しい投球スタイルを見せた田中ですが、個人的には最後のカイル・シーガーに対して投じた今期最速96.1マイルの見逃し三振に田中の美学のようなものを感じました。田中は多彩な変化球と卓越した制球力で超一流の領域に達した投手ですが、ファーストボールへの拘りも度々垣間見せてくれます。


例えば昨年の最速はpitch F/Xのサイトを見ると96.6マイルです。それがいつ投じられたのか知っていたら相当の田中マニアです。


2014年6月28日。ヤンキースタジアム 得点1-1。9回2死ナポリへ1ボール2ストライクと追い込んでから高めで空振りを三振を狙ったものをものの見事にライトスタンドへ運ばれたあの一球です。ナポリの言葉が印象的です。


「What an idiot!!(なんてバカなやつだ!!)」


試合後田中は高めに一球つり球を餌さとして撒いて最後はスプリットで決めるつもりであったと、インタビューでも語っていました。しかし 実際のところ最後の一球は渾身の4シームであり、それまでがスプリットで完全にナポリを封じていただけに裏をかいて高めで空振り三振を狙ったものでした。でなければ渡米以来 ここ2年であの一球が9回にして最速になるはずもありません。昨日のシーガーの最後の一球のようにファーストボールで三振で決めてマウンドを降りるつもりであったはずです。 ナポリがどれだけファーストボールに強いかをほんとうの意味で田中は知らなかったのかもしれません。自分が映像を見てきた限り100マイル近い高めの速球でも左中間へ叩き込む能力がナポリにはあります。


BBが多過ぎる松坂のピッチングは醜悪なと形容されることが多かったですが、BBが際立って少ない田中の投球は度々、宝石のような磨き抜かれたピッチングと形容されます。これからも絶妙な制球力と多彩な変化球でメジャーの打者を翻弄してくれるものと期待します。しかしそのピッチングの基調となるものは、カイル・シーガーに投げた最後の一球に見られるファーストボールでなければならないはずです。

肘をやって田中はファーストボールのベロシティのレンジを落とした期間に限り、スタッツはかなり悲惨なことになりました。最後は渾身のファーストボールで三振を狙う田中の美学。たとえナポリに打たれようともありです


守備シフトの有効性を過大に評価してはならない

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06 /03 2015
先日、HOU戦をTVで見てたら、初回にいきなり満塁となりました。すべて守備シフトの逆をついて内野安打3本。シフトが裏目に出たと実況の方もおっしゃっていました。

まずは事実を列挙します。

●守備シフトが機能しBABIPを確実に下げているチームがいる一方で、逆に守備シフトが裏目に出てBABIPを上げているチームがある。
●2014年 守備シフトが爆発的に増えた元年にもかかわらずリーグBABIPは過去5年で最低どころか最高BABIP299を記録している。
●一方で投手の時代を反映するかのように打率は過去5年で最低を記録。堅調に打率は低下の一途を辿ってきました。

以下、守備シフトの歴史についてざっくりと書きました。少なくとも現時点において、私は下記を論拠として、プロの評論家が言っている程、守備シフトの有効性を過大に評価はしていません。もちろん過少にも評価していません

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大きく分けるとプルヒッターとスプレヒッターという二種類の打者がいます。


スプレーヒッター(広角打法)
グラウンドの90度すべてのフィールドを使い、右へ左へとヒットを打ち分けるボッグスやグウィン イチロー 張本のような巧打者が代表的です。

プルヒッター(引っ張り専門)
グラウンドの45度だけを使い、 反対方向、半分のフィールドは使うまでもなくスタンドインさせればいいという考える テッド ウィリアムズや王などの強打者が代表的です


そして これらを両極として、大多数の選手が この両極の狭間に位置するはずです。 日米の歴史を振り返るに守備シフトの起源を求めるならば、その嚆矢として日本史上最強打者である王貞治対策として講じられた 王シフトがあり、メジャー史上最強打者であると言っても過言でない テッド・ウィリアムズ対策として講じられた ブードロー・シフトがありました。 (テッド・ウィリアムズはルースがいずれも手にしてない4割打者にしてトリプルクラウンを2度も奪取、おまけに二度の兵役で計5年全盛期を潰されています)


守備シフトの歴史を俯瞰すれば、このプルヒッターにしてリーグ史上最強打者であった王およびテッド対策を原点として、やがて 2000年代に入ると一般的なプルヒッター対策として数多く講じられることになり、ついには2014年 プルヒッターでもスプレーヒッターでもない一般的な打者に対しても 個別的にデータに基づいて対応していったというのがおおまかな 守備シフトの歴史だと言っていいでしょう。純然たるスプレヒッターには従来どおりのシンメトリーな守備陣形にならざる得ません。


2013年以前においても プルヒッター対策としての守備シフトは有効でありましたしここ10年ほどすっかり定着していたはずです。それは織り込み済みとして 2014年に大々的に一気にシフトの数が前年比3倍強にも上った。


この2014型の歴史的な守備シフトというものが どれだけ機能していたかを物語るに、既に2013年以前から 織り込み済みである プルヒッター対策のBABIPを見て、さあ 守備シフトはすごいだろうと数字を並べても どれだけ説得力があるのか大いに疑問です。要は プルヒッターでもスプレーヒッターにもカテゴライズされないような一般的な打者に対して 守備シフトが有効であったのかどうか2014のBABIPのデータが重要ではないのか?


結果を見ると プルヒッターにはもちろん、相変わらず守備シフトは有効です。直感的に小学生でもおそらくわかることでしょう。45度しか使わない打者に対してそのフィールド半分に野手を固めたら、BABIPは下がるのは当然です。 しかしそれは2014になって突然始まったことでもない。


結局 リーグ全体のBABIPが上昇しているということは、裏を返せば プルでもスプレーでもない一般的な打者に対して敷いた シフトが有効ではなかったことの証明と言えるのではないか?確実にひとつ言い得るのは 前年比3倍増となったセイバーに基づく守備シフトが真にメジャーの歴史に対して革新的な出来事であったなら、リーグ全体のBABIPは目に見えて下がらなければおかしいはずです。しかし実際はシフトを敷いてBABIPが上がっているチームすらあり、それどころかリーグ全体のBABIPも299へ上がっている。


昨年の2014リーグ全体の打率の更なる低下の原因は少なくとも 守備シフトを起因としたリーグ全体のBABIPの大幅な低下に求められることはありません。数字ではっきりしているように 投手の奪三振率の更なる向上 および 被本塁打率の低下に打率の低下原因は求められます。

改めて、リーグ全体のBABIPを押し下げる機能を十分に果たしていない守備シフトをそこまで過大に評価すべきなのか?この疑問は昨年末から消えることがありません。

今年も昨日時点でBABIPは296でした。これから夏に向かって、投手は体力が奪われ力が衰えるトレンドにあるのに引き換え、投球に対して慣れてくる打者の力は相対的に上がってくるのが毎年起こる現象です。春に比べて相対的に夏に打者は強者になってくる。ふつうに帰納的な予測をすれば現在のBABIP296は将来的には上がる可能性が大であるということになります。

2010 BABIP 297
2011 BABIP 295
2012 BABIP 295
2013 BABIP 297
2014 BABIP 299
2015 BABIP 296


2015 BABIPの推移についてもうしばらく見守るつもりです。


大谷翔平についてのスタンス

日本ハムOB・野球評論家・プロ野球ファン・日ハムファンから二刀流・大バッシングのまさしく四面楚歌だった新人時代から一貫して栗山監督及び大谷二刀流の擁護する立場を貫く。

メジャーに大谷レベルの選手いくらでもいるとした二刀流否定派・メジャー通による「ゴロゴロ大谷説」も日本ハム時代から一蹴。

当ブログのポリシー

「これは現代に繰り広げられる壮麗なサーガであり、神話という文脈の中で大谷翔平という選手を捉えなければ、その実相は決してわからない。」

写真は古代ギリシャの神殿。